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【齋藤薫】このまま恋愛しないでいると、女が危ない本当の理由 [VOCE]

2018年07月29日(日) 20時30分配信

自分が大切……も、いい加減にしないと、男も女も危ない

ビューティジャーナリスト斎藤薫さん。

自分が大切……も、いい加減にしないと、男も女も危ない

日本の男女は本当に恋愛をしなくなった。40代までの独身男女で、 恋人がいる人は約3割……その数値、一方的な恋も含めれば9割がたが恋をしていた20年前に比べると、全くしていないに近い。かつては失恋しても、立ち直るや否や次の恋愛を始めてた。そういう時代があったというのに、今はどうだろう。ほとんど明治時代か大正時代だ。

でも一体なぜ? 傷つくのがイヤ。フラれるのがイヤ。片思いもイヤ。そして何より面倒くさい。すべては「自分がとても大切だから」という一点に行き着いてしまう。自分を守りたい。自分のことで精一杯。自分が好き……というふうに。いや人間などもともとそういうもの。自分が一番好きに決まっている。でもそうした人間の本質が、本来の欲望である恋愛まで止めさせてしまったのには、ひとつ理由がある。性ホルモンの減退である。

少なくとも男の中で男性ホルモンが減っているのは確か。これは戦争がない、その危険もない(あるか?)時代が長く続くと、男は戦う本能を失い、致命的に男性ホルモンを減らしていく。女性も男なみの仕事で女性ホルモンを減らしたのは確かだが、少なくとも、男が女をギラギラ見つめなくなってから、女が女性ホルモンを、男に選ばれるためには使わなくなった。自分が美しくなるためだけに女性ホルモンを使う時代、そうも言えるのだ。

女の体はまさに神秘で、排卵日には見た目に最も美しくなる。肌だけでなく、顔立ちまで美しく整い、体つきまで女っぽくなる。なんと体臭まで芳しくなる。すべては“雄に選ばれ、求愛されて、子孫を残すため”。けれど男たちが“戦うこと”を前提に生きていないように、女も“産むこと”を前提には生きていないから、女性ホルモンの使われ方も変わってきた。男に選ばれようとは誰も思わず、選ぶのは自分、という意識も手伝って、女性ホルモンはたっぷりあっても、それが恋愛に結びつかなくなってしまったのだ。

でも、果たしてそれでいいのだろうか。女たちは美しすぎてモデルルームのよう。家として使われないから、長い時間そこにいられない居心地の悪い美しさ。本当の意味での魅力というものが、そこには育っていないのか。草食もいい加減にしないと、男はもちろん、女も危ない。

必ずもう一度恋愛しなければいけない運命がやってくる

いや逆にそう思わせてくれるのは、密かに恋愛していた女たち。唐突に恋愛していることが判明した時、女性は妙に魅力的に見えるという事実なのだ。例えば、武井咲さん。本当に人形のように美しくて、その分人間味を感じにくく、だから無関心だった人もいたかもしれない。ところがあの電撃結婚。既に出産も終えている。それが、この人への見方をいきなり変えてしまった。突然女に見え、突然どうしようもなく魅力的に見えたのではないだろうか。

一般企業に勤めるある女性の話。会社ではとても地味な存在で、誰も自分に関心がなかったはずなのに、ある日唐突に結婚を発表したら、いきなり男たちの見る目が変わり、女たちの対応も変わったと証言している。恋愛などしているはずがないと決めつけていた女性がちゃんと恋愛をしていたことで、いきなりスポットライトが当たるのだ。女として。

思えば、みんなが恋愛していた時代は、恋愛に興味がない女性が何だかむしろかっこよく見えた。みんなが恋にグズグズ悩んでいる中、潔くきっぱりと自分の人生を生きていることが。でも今はそこが逆転しているのだろう。みんながあまり恋愛していない中で、まったりと熱い恋愛をしている女性が、妙にかっこよく見えるのだ。ましてや、人並み以上に仕事をこなし、一見そんなゆとりなど無いように見えながら、恋に身をやつしていると、女性として限りなく艶めいて見えるのは紛れもない事実。

同じ意味で、宮沢りえさんも、また小泉今日子さんも、シングルを楽しむ仕事人に見えたのに、俄然女っぽさを増した。不倫の是非は別として、恋愛は50代をこそ艶めかす。大体が聞いただろうか、小泉今日子の恋人は会見で彼女のことを「天然記念物のような人」と語った。言い得て妙。天然記念物とは、何をおいても大切に保護しなければいけない価値あるもの。他に置換のきかないもの。圧倒的に魅力的なもの。……50代で、同年代の男にそう言わせる女も、そういう恋愛も、何やら凄いって思ったはずなのだ。

恋愛なんて面倒? 確かにそうだ。ましてや既婚者にとっては、今更な話。でも聞いて欲しい。昔の貴族は、恋愛ばっかりしていたし、不倫など当たり前。貴婦人が、誰の子供か分からない子供を産んだりもした。経済的にゆとりがあって暇ならば、当然。しかし彼らにとって恋愛はあくまで文化だった。いかに恋の駆け引きができるか、いかに感動的な恋文が書けるか、いかに煽情的な魅力を振りまけるか。全ては感性と知性のなせる技。ほとんど芸術。本来の恋愛とはそういうものなのだと思う。頭も心も体も使う。だから女として、人間としても活性する。単純な若返りだけでなく、人として熟成し、ひとつ上の存在に昇華すると考えてもいい。まさに熟成。気づいていただろうか。50代、60代で結婚する人はみな知性派。 本来が知性派でないと本物の恋愛はできないと言ってもいいくらい。

とすれば、20代、30代の恋愛とは違う。むしろ感性と知性でする恋愛がこの先まだ待っている。いや既婚者だって夫とただの同居人になってしまうのでなく、夫にずっと好きと言われ、家の中で恋をする、そんな夫婦になればいい。その時、夫婦の会話にも、やっぱり相手を惹きつける会話の知性がなければ夫に恋をさせる妻にはなれないだろう。恋愛=知性だとしたら、改めてもう一度恋愛してみたい気にならないか。

死ぬまでにもう一度“生涯で最高の恋”をするためにこそ、人間は本を読み、絵画を観て、それまでに知恵や教養を磨くのだと言った人がいた。昔はピンとこなかったけれど、でも人間の寿命が100歳まで延びることが濃厚になった今、70歳80歳でそういう恋をしてしまうことだって十分にあり得るわけで、たとえ今は恋愛なんて面倒でも、すでに結婚していても、生涯最大の恋愛が待っているかもしれないと思うと、何かまた違う未来に展望が開け、自らの磨き方も変わってくるはず。正直、今自分をせっせと磨いているのだって、本当はそうした自分の魅力の集大成に向けてどんどん積立貯金をしているのじゃないのか。今積み立てたものを一体何に使うのかと考えると、やはり将来、絶対的に相手を魅了し、夢中にさせる自分づくりを始めなければと思うはずなのだ。

今は、恋愛していなくても、休んでいるだけ、将来最も重要な恋愛をするのだと心に決めてほしい。そうすると今の美しさも、モデルルームではなくなるはず。ちゃんと使える居心地よい美しさになる。年齢を重ねていく上で一度水着を着なくなると、生涯二度と着られなくなるほど、自分の体をほったらかしにしてしまうのが女の生態だからこそ、今恋を止めていても、いつかまたもう一度水着を着るのだというつもりで体を磨くように、いつか大恋愛をするのだと言う気持ちで自分を磨いてほしい。未婚者も既婚者も。


恋愛とは、お互いを褒め合う会話である。そんなに大切に磨いた自分が集中的に褒められなかったらなんだか虚しくないか。いつかそうやって恥ずかしくなるくらい自分を褒めてくれる人と出会い、濃密な会話を楽しむために今自分を大切に磨いているのだと、そういう考えに切り替えてほしいのだ。 世の中には男と女しかいない。近いうちその意味をもう一度見つめ直す時がくる。絶対に。あなたは女なのだから。命ある限り、恋をするのだから。

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