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マルチな肩書きを持つ松居大悟のルーツを探る! [FRaU]

2017年08月08日(火) 20時00分配信

いま活躍する様々な人の「ルーツ」を探る! ゲストは、松居大悟さん。ぬいぐるみ遊びに興じた幼少期、引きこもりの中学時代、芸人を目指した高校時代、演劇に夢中になった大学時代に迫る。

松居大悟さんのCHRONOLOGY

1985年 福岡県で次男として生まれる
2004年 上京し、慶應義塾大学へ入学。
2006年 大学内で初演出『かけぬけない球児』上演
2009年 ドラマ『ふたつのスピカ』(NHK)で脚本家としてデビュー。
2012年 映画『アフロ田中』監督、クリープハイプのMV『オレンジ』監督
2013年 映画『自分の事ばかりで情けなくなるよ』監督・脚本
2014年 映画『スイートプールサイド』監督・脚本
2015年 映画『ワンダフルワールドエンド』『 私たちのハァハァ』監督・脚本
2016年 映画『アズミ・ハルコは行方不明』監督
2017年 ドラマ24『バイプレイヤーズ』(テレビ東京)監督・脚本
漫画家、芸人、演出家......とにかく何者かになりたかった。

Photo:Seiji Ishigaki(BLOCKBUSTER) 

漫画家、芸人、演出家......とにかく何者かになりたかった。

劇作家、映画の脚本・監督、ミュージックビデオから漫画原作までを手がける松居大悟。デビューは大学時代、NHKのテレビドラマの脚本だった。

「当時『クロサギ』という映画のスタッフが、学生演劇のシーンがあるからと、僕のいた演劇サークルへ見学に来たんです。そこで出会ったプロデューサーの方が、テレビ局とかで企画の募集があるときに声をかけてくれるようになって。あの頃はとにかく何者かになりたくて必死で。何度も書いて、やっと採用されたのがNHKの『ふたつのスピカ』というドラマでした」

何者かになりたかった青年は、大学生でプロの脚本家に。2回目の大学3年生のときだった(後にもう1年留年する)。華々しいデビューとは対照的に、まわりは就職活動の真っ只中。

「放送される日は世界が変わると思ってました。でも大学の同期はほとんど就職が決まっていたし、逆に演劇を続けてるやつには浮気してると思われそうで、まわりにはうまく言い出せなくて」
高校時代には同級生とコンビを組み、M-1グランプリにも出場している。

「M-1は4回出てます。でも全部一回戦敗退。それで相方と『おれたちに足りないのは演技力だ』って、大学では演劇サークルに入りました。高校が男子校だったので、大学の浮ついた雰囲気になじめず、演劇のちょっと暗い感じが心地よかったんですよね」

はじめは役者だけをやるつもりだったが、劇団「ヨーロッパ企画」の芝居を観て衝撃を受ける。

「演劇でこんなことができるんだ! って、カルチャーショックでした。そこから自分でも演劇の台本を書いたり、演出をするようになり、休学してヨーロッパ企画のお手伝いをしてました」
その後、大学時代に立ち上げた劇団「ゴジゲン」の芝居をはじめ、映画監督デビュー作『アフロ田中』や『男子高校生の日常』など、松居は “童貞もの” を手がける作家として注目を集める。

「高校時代はゴーイング・ステディとかの童貞を美学としているバンドに憧れていて、女子と遊ぶとおもしろくなくなるっていう謎の自己肯定をしてました。僕自身も28歳まで童貞でしたし」

童貞であることがアイデンティティ、さらには作家性にも強く影響を与えていたゆえに、初体験には葛藤が......。

「女性と付き合っても、うまくできなかったらどうしようとかそればっかり考えちゃって。色々あって、最初は名前も知らない人妻と。でも言いだせなくて、1年くらいは隠してました」

太っていて天然パーマがコンプレックスだった小学生時代

中学時代はあまり学校へ行かず、部屋で漫画ばかり描いていたという。

「僕が中1のときに親が離婚して、2コ上の兄貴がグレたんです。家のリビングにはいつもこわい人たちがいて、部屋から出られなくて学校に行かなくなりました。なので精神的というより、物理的な原因。大好きな漫画と飼っていたハムスターが僕の居場所でしたね」

母親は、福岡を拠点に “トコ” の芸名で活動するコラムニスト。小学生のとき、母親と一緒に初めて演劇を観る。

「三谷幸喜や阿佐ヶ谷スパイダース、ラーメンズの舞台にも連れて行ってくれました。僕が幼稚園の頃からベッドの上は半分ぬいぐるみ、100はあったかな、その全部に名前をつけて遊んでいたので、芝居でも観せてあげようって思ったのかもしれません」
キャリアの転機となったのは、いまでも親交が深いバンド、クリープハイプのミュージックビデオを監督したこと。女性の繊細な感情を描いた。

「クリープとは同世代で、一緒にものを作って、それが世間にも評価されて、初めて自分の感性は間違ってないと思えました。この出会いがなかったら、童貞ものに固執し続けていたかもしれません」

だが、いまだに「自信はない」という。

「いろいろやっているのは、自分に何ができるのか分からないから。なりたかった漫画家も芸人も諦めた結果、今がある。ストイックにひとつのことをやっている人に後ろめたさがないわけじゃないけど、自分の感性を信じてやるしかないですね」

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