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漫画家・羽海野チカの原点「リア充とは対極の学生時代。青春は遅咲きで始まった」 [FRaU]

2017年04月02日(日) 18時00分配信

大ヒット漫画『ハチミツとクローバー』『3月のライオン』の著者である、漫画家・羽海野チカさん。めったにメディアに登場しない超人気作家の知られざる姿に、プロインタビュアー・吉田豪が迫る!

(C)Chica Umino/HAKUSENSHA 

――羽海野先生はお洒落漫画を描いていた人じゃないですか。

羽海野 お洒落したこともなく、友達がいたこともなく、美大にも行ったことがない人があこがれを込めて描いたら「お洒落漫画」ってレッテルを貼られてショックを受けて。

――「作者も友達が多そうだな」みたいな誤解をされて。

羽海野 そう、「こんなリア充漫画は読まねえ」とか言われて、どれもみんな私の夢なのに……。でも、だいぶ経って『ライオン』のときにツイッターでそれを書いたら、某有名イラストレーターさんに「ごめんなさい」ってリプをもらいました。
――せっかくなので羽海野先生の原点をちょっと探ってみたいんですけど。子供の頃からそんな感じだったんですか?

羽海野 子供の頃は記憶があんまりなくて(笑)。1人で図書館か家で本を読んでるくらいの記憶しか……。きっと、こうやってボーッとしてたんだと思うんだけど。

――思い出がない!

羽海野 記憶のシーンはすべてひとりで。どこからひとりだったのかなって考えたら、幼稚園でもう仲間外れになってたので。幼稚園のお庭の端っこの砂山に横穴を掘ってハチのお家を作ってました。ここにハチが住んでたらっていう。てっぺんに葉っぱを刺して、葉っぱのカーテンをつけて、なかにベッドとか作ってました。

――そういうひとり遊びの思い出しかない。

羽海野 ひとり遊びをしたり、ひとりで前へならえをさせられて、そのまま放置されたりとか。幼稚園の頃からしてました。

――その頃から人と馴染めないタイプだったんですね。

羽海野 馴染めなかったですね……。

――10代の頃は、かなり逃げ場のない感じだった。

羽海野 逃げ場なく……。美術系の高校に行ったら仲間がいるかもと思ったんですけども、都立で探したら一つしかなくて、それが工業高校のなかのデザイン科だったから、ものすごいビーバップなところで、「しまった!」ってなりました。ボンタンしかいない、みたいなところで。

――ダハハハハ! 不良だらけのなかに、友達のいない羽海野さんが!

羽海野 女の子が少なければイジメられないかもと思ったんですよ。でも、デザイン科だけは男の子が7人であと全部女の子で。そしたら『花のあすか組!』みたいな人たちがいて、「あかん……」と思って。最も厳しい3年間でした。

――デザインの話が合う人がいるかと思ったら。

羽海野 いなかった! でも、先生がよくしてくれて。課題をまじめに出すとものすごいかわいがってもらえて。私、細かい絵が好きだったんですよ。美術の授業だけ女子美から来てくれてたおじいちゃん先生がいて、「おまえが課題を持ってくるの楽しみなんだよ」っていつも言ってくれて。その先生がサンリオの入社試験を受けられる道を作って下さったんです。

――「あいつはまじめにやってるから」っていうことで。

羽海野 当時は女の子が24歳ぐらいで結婚する時代だったので、サンリオの社長が美大卒を採っても入ってすぐみんな結婚して辞めちゃうから高校生を探してたんですよ。それで「じゃあ僕の知ってる子を」ってことで紹介してくれて、大卒の方々に混ざって試験を受けさせていただけて、すごいラッキーでした。全部、先生のおかげと思って生きております。

――会社には馴染めたんですか?

羽海野 最初はあぶない香りがしたんですけど、頑張ろうと思って。少し怖い女の上司が最初ついてたんですけど、その人の愛情を勝ち取ろうって延々、日々頑張り続けたら、ある日すごい好きになってくれて、めっちゃかわいがってくれて。お家に泊めてくれたり、遊びに連れてってくれたり、そこからたいへん幸せな人生に変わりました。

――やればできるじゃないですか!

羽海野 すごい必死だったんです。学校と違って卒業がないので。

――1回しくじったら最後っていう。

羽海野 クラス替えみたいに時間切れでシャッフルになるのを待つことができないのが会社なので、頑張るしかないと思って。あと同期の女の子はみんな4つ上の美大卒だったんですけど、すごく仲良くなれて。とてもやさしいお姉さんたちだったので、会社に行くのが楽しかったです。残業は大変だったんですが。

――朝、出かけるのが楽しみっていう思いを初めてしたわけですかね。

羽海野 帰りも一緒に帰りたい、みたいな。「一緒に帰ろう、待ってるから」みたいなのは初めてで楽しかったです。

――そうやって、美大卒の人たちと交流していくうちに、美大へのあこがれが出てきたんですか?

羽海野 あのワチャワチャした感じが、たぶん『ハチクロ』です。美大に行ってる人の話を聞くじゃないですか。自分も美術の高校で、実際には恐ろしいビーバップでしたけど、一応授業とか受けてたので。

――先生との楽しい感じとかは経験しているし。

羽海野 そう、先生にはとてもよくしていただいたので!!

――そういうのを混ぜたら、ああなった。

羽海野 そうなんです。高校なので広く浅くの授業だったんですけど、シルクスクリーンの授業とかあって。最初、シルクスクリーンってどこまで細部の表現ができるのかと思って、細かい絵をまず試しに刷って見てみようと思って、ものすごい細かーい線の後光が射してる仏像の絵をガーッと刷って、こんなに細かいところまで出るんだと思って、よしじゃあ何か好きなの刷ろうと思ったら、先生がその仏像の絵を見て「素晴らしい! 高校生でこの仏像を選ぶなんておまえはすごい!」って言われて、「しまった、試し刷りだったなんて言い出せない」ってなって、そのまま卒業生の作品として20年ぐらい飾られてたので、言わないでおこうって。仏像を刷った立派な子ってことでサンリオ紹介してもらえたのかもしれません(笑)。

――じゃあ、学生時代の話を聞いてもあんまり出てこない感じなんですね(笑)。

羽海野 学生時代は恐ろしい話と悲しい話しか出てこないかな(笑)。でも、私が元気になったのって『ハチクロ』のアニメーションの頃からなので、ちょうど吉田豪さんとお会いしてカウンセリングみたいなインタビューをしてもらって、自分がずっと言えずにいたようなことも笑って聞いてもらえることがわかったり、アニメになったことで出演してくれた人たちとお友達になって。いまもお友達で行き来してるので、あそこから学生時代が始まったな、みたいな。

――ようやく楽しい学生時代が(笑)。

羽海野 かなり遅かったんですけど。遅くから青春が始まったので、長生きするかもしれません(笑)。
※フラウ2017年4月号より一部抜粋

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