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奇跡の99歳、現役開業医に教わる! 人生において大切なこととは? [おとなスタイル]

2016年07月24日(日) 09時00分配信

ユーモアあふれる理事長は、病院の職員にも患者さんたちにも人気。

世界一の女性長寿国、日本。そんな中、年齢を重ねるごとに、毎日を楽しむ“美しい人”が増えています。お話をうかがうと、50代からの生き方がひとつの大きな分岐点だったよう。これからの自分がもっと好きになる、楽しくなるヒントが、きっと見つかります──。

朝8時半になると、3階の自宅から51段の階段を下りて、隣接する秦野病院へ出向く。

みんなに必要なら自分がやる・作る


趣味を楽しんで、今はのんびりと暮らす高橋さんだが、70代までは仕事一筋の多忙な日々だった。
少女の頃から職業婦人になりたかった彼女は、日本占領下の中国・青島に21歳で渡り、海軍省のタイピストになった。かの地で、貧しい子どもたちを支援していた牧師の清水安三氏の話を聞いたことで、その後の運命が変わった。
「前のめりの性格で、『これ!』と自分で決めたら、即行動したいほうなのね。清水先生のお話に感動して、『ぜひ、私も働かせてください』とお願いしたんです」
海軍省を辞めて清水氏の秘書のような仕事をしているとき、氏から「医者になったらどうだろう」
と勧められ、人助けができるなら、と決意。帰国して27歳で医科大学に入学し、33歳で医師になり、新潟の県立病院に勤務した。戦後に清水氏が東京・町田に桜美林学園を設立すると、校医として、学校の近くに小さな診療所を開いた。
「スクーターの免許をとって、周辺の人たちの往診もして。忙しかったけど、やりがいがありました」
神奈川県の中央林間に、自身の病院、内科・小児科の高橋医院(現・はたの林間クリニック)を開院したのは39歳のときだ。さらには精神科の必要性を感じて、高橋さんは40代後半で慶應大学医学部付属病院の精神科で学んでいる。そして「草ぼうぼうの安くて広い土地を見つけて」秦野病院を開設。
以後も、子どものためのメンタルクリニックや、患者の生活と就労を支援するケアセンターなど、さまざまな施設を設立。現在は、それらを総括する医療法人社団秦和会の理事長の立場だ。
「これに満足していてはいけない、という気持ちがいつもあるんです。次へ進もうとする私をみんなが支えてくれた。母は96歳で亡くなるまで一緒に暮らして食事を作ってくれたし、姉や妹たちも病院を手伝ってくれました」
常に前向きで、「人のためになるなら」の思いで行動する彼女を、誰もが放っておけなかったのだ。

「人生、なんでも最初の一歩がすごく大切なんですよ」(高橋さん)

いくつになっても諦めないことね


からだも心も元気な人だが、実は92歳で大腿骨を骨折している。
ベランダから部屋に入ろうとして、窓の桟につまずいてしまったのだ。
「手術の翌日からリハビリを始めて、1ヵ月もしないうちに歩けるようになったんですよ」
普通はそこまで頑張れないのに。
「だって、寝ていてもしょうがないし。一生、車椅子っていうのもつまらないじゃない? でも、平地はいいんだけれど、階段を上るのはやっぱりすごく怖かった。それでも“このままじゃだめだ”と思ってね。“階段を上らないと、自分の家に戻れない、元の生活に戻れないんだから頑張ろう”と思って。うんっと踏んばって、最初の1段を上がったんです。そうしたら、2段目も3段目も上れた。だから思うの。人生、なんでもそうなんですよ。最初の一歩がすごく大切。そこで勇気を出せば、あとはなんとかなるものです」
諦めない。勇気を奮い立たせて、一歩を踏み出す。それができないのを年齢のせいにするのは「甘えですよ」と高橋さんは言う。
「私は決して器用じゃない。不器用なほうなんです。不器用だから、水彩画も丁寧に描く。丁寧に描けば、それなりに見られるのよね」
丁寧に、は才能ではなく心がけ。一秒一秒の時間の積み重ね、と言い換えてもいいかもしれない。丁寧に、ひたむきに年を重ねてきた人の勲章は美しい笑顔だ。


<高橋幸枝さん プロフィール>
1916年、新潟県生まれ。タイピストなどを経て、医科大学を卒業。33歳で医師となる。50歳で秦野病院を開院し、院長に就任。現在は医療法人社団秦和会理事長。『小さなことの積み重ね』(マガジンハウス)など。


おとなスタイルVol.3  2016 春号より
(撮影/浅田政志)

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