• > 漫画家・ヤマザキマリさんが辿る、作家・須賀敦子の生き方とは? [おとなスタイル]

漫画家・ヤマザキマリさんが辿る、作家・須賀敦子の生き方とは? [おとなスタイル]

2016年07月03日(日) 09時30分配信

須賀敦子さん:1991年女流文学賞受賞式にて(県立神奈川近代文学館所蔵)

この都心の小さな本屋と、やがて結婚して住むことになったムジェッロ街六番の家を軸にして、私のミラノは、狭く、やや長く、臆病に広がっていった。
~『コルシア書店の仲間たち』より~
常に笑顔を絶やさない、明るく元気な人だった

ヴェネツィア、ゲットーへ渡る橋の上から。【写真:aflo】

常に笑顔を絶やさない、明るく元気な人だった

ペッピーノが亡くなった4年後に日本へ戻ってきた敦子は、大学で講師をしたり、イタリア文学を日本語に翻訳したり、カトリック系の理念に基づいた社会活動を組織したりしていたらしいが、その人柄は生前の彼女を知る人の言葉によると、とにかく彼女は笑顔を絶やさない、常に明るく元気な人だったという。しかも、彼女の言葉にはウィットもユーモラスも、毒を帯びた辛辣さすら盛り込まれていたという。「須賀さんは、見た目はああですけど、きつい事もどんどん言ってましたよ」と彼女と交流のあった編集者は言っていたが、「だけど須賀さんの口から出ると悪口ですらチャーミングで、男性にモテるんです。とても。敦子萌えが何人もいたのを知っています」なのだそうだ。
それを聞いた時、私は須賀敦子という人が本当に、今のイタリア人が懐かしそうに言うところの、古き良き、そして繊細でかつ逞しい知的触発に満ちていたイタリアの空気を存分に呼吸しながら生きていた人なのだということを感じて、胸が熱くなった。
家族。本。キリスト教。イタリア。文学。結婚と別離、そして帰国。翻訳者として、そして教師としての暮らし。
そこから生まれたありとあらゆる感性の、ひとつひとつを心の奥底で丁寧にメンテナンスし続けながら、61歳という年齢になって初めて自らの本を出版した須賀敦子。本人にとっては自然の流れに身を委ねていたに過ぎないようなその生き方は、知性や知識や飽くなき探究心というものが、女性にどれだけの強さとしなやかさを齎(もたら)すものであるのかを伝える、素晴らしいテキストと言えるだろう。


十一年にわたるミラノ暮らしで、私にとっていちばんよかったのは、この「私など存在しないみたいに」という中に、ずっとほうりこまれていたことかもしれない。(中略)あ、これはおもしろいぞ、いったい彼らはなにを話しているのだろう、と、いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむける側にまわった。
~『コルシア書店の仲間たち』より~
<ヤマザキマリさん プロフィール>
漫画家。1967年4月20日生まれ。14歳でヨーロッパひとり旅へ。その後17歳で渡伊、11年間油絵を学ぶ。以降、中東、ポルトガル、シカゴと移り住み、現在はヴェネツィア在住。著書に『テルマエ・ロマエ』『プリニウス』『スティーブ・ジョブズ』など多数。

おとなスタイルVol.2 2015冬号より
(文/ヤマザキマリ)

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