• > 伝説の作家・白洲正子さんが、50代で決めた覚悟とは? [おとなスタイル]

伝説の作家・白洲正子さんが、50代で決めた覚悟とは? [おとなスタイル]

2016年07月01日(金) 09時30分配信

伝説の作家・白洲正子さん。

素敵なおとなのライフスタイルを実践している女性、そのルーツを辿(たど)ると行きつくのは、やはりこの人ではないだろうか。伝説の人、白洲正子。
“ほんもの”をとらえ続けた彼女の目線が、今を生きる私たちにこそ、きっと必要だ。
50代、執筆に専念する覚悟を決めた

白洲正子おとなスタイル世代の15年。

50代、執筆に専念する覚悟を決めた

「自分の好きなものだけは、はっきりしている。それを知るために何十年もかかったといっていい」    『縁あって』より抜粋
伝統的な日本の美への関心が芽生えた時、きっと白洲正子の存在が立ち現れる。類いまれな審美眼で日本を再発見し、色褪せない名著の数々を残した彼女は、没後17年を過ぎた今もなお、愛読者を増やし続けている。
白洲正子は、小説よりも奇なり、な人生を地で行く女性としても知られている。
祖先から受け継ぐ、滾(たぎ)るような薩摩の遺伝子。明治維新に貢献した華族の家柄。4歳で能と運命的に出会い、14歳でアメリカ留学。18歳で帰国した直後、のちに吉田茂首相の懐刀となる白洲次郎と恋に落ち、19歳で結婚。子どもは3人。
太平洋戦争中、30代前半で東京近郊の古民家(現・武相荘(ぶあいそう))に移住し、30代半ば以降は、作家の小林秀雄、装幀家にして美の達人である青山二郎を師匠に、血を吐くほどの骨董と文章修業の日々。その最中の40代半ば、思いがけず染織の店「こうげい」のマダムとして銀座に通うことになる。そして迎えた50代。執筆に専念する覚悟を決め、『能面』『巡礼の旅 西国三十三ヵ所』『かくれ里』『明恵上人』を始めとする名作を世に送り出していく。
彼女は、『白洲正子自伝』の中で、50代を自分の完成期と位置づけた。
「生まれつき持っていたものを、西国巡礼をすることにより、開眼したといえようか。或は自分自身に目覚めたと言い直してもよい。それから後、私はよそ見をしないようになった」
だから、80代で執筆したにもかかわらず、自伝は50代でそっけなく終わっている。
出版デビューは33歳の時の『お能』である。しかし、自伝にもあるとおり、ひたすら歩き、五感で感じ、表現する、『巡礼の旅 西国三十三ヵ所』から始まる執筆こそ、白洲正子の真髄なのだ。
かくして“白洲正子”は完成したが、そこからが新たなスタートである。自伝では詳(つまび)らかに記していない“巡礼の時代”とでも呼ぶべき白洲正子の50代、私も含めて読者と同年代の時期。
40代までのがむしゃらな時代を経て、人生はどんな季節を迎えたのだろうか。
<文/田中敦子さん プロフィール>
1961年東京生まれ。工芸、きもの、日本文化を中心に、執筆、編集、プロデュースなどを行う。『もののみごと江戸の粋を継ぐ職人たちの、確かな手わざと名デザイン。』( 講談社)、『更紗』(誠文堂新光社)他、編著書多数。

メイン写真:写真提供/武相荘

おとなスタイルVol.3  2016 春号より

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