もし映画界から、佐藤健が消えたなら。 [with]

2016年06月03日(金) 17時30分配信

もし映画界から、佐藤健が消えたなら。

佐藤健と猫、という組み合わせが、もはやその時点でズルい!としか言いようのない『世界から猫が消えたなら』。

物語は死を間際にした「僕」の前に悪魔が現れ、「人生から大切な何かを消すかわりに、寿命を一日伸ばしてやる」という契約を持ちかけられるわけですが、何を消すかを本人が選べない、さらに消したものにまつわる思い出が自分以外の人からも消えてしまう、というのがミソ。 一番いい思い出に絡んだもの、主人公の場合だと、例えば前の彼女との出会いのキッカケになった電話とか、仲のいい友達と共通の趣味である映画とか、不仲の父親が修理を生業にしている時計とか、なかなか痛いところついてくれあたりは、さすが悪魔ですな。

もし映画界から、佐藤健が消えたなら。

この悪魔、実は佐藤健が一人二役で演じているのですが、「僕」は内気で口下手、悪魔は多弁で意地悪、とキャラが正反対。でも佐藤健はこれまでも『龍馬伝』岡田以蔵の悲しい狂犬ぶりから、『とんび』の優秀でまっすぐな編集者、『バクマン。』の内気でウブなオタク高校生、『天皇の料理番』の情熱的な丸刈り料理人、『るろうに剣心』のひょうひょうとした凄腕剣士など、様々な役にハマってきた人。『せかねこ』は2役ですがどちらも比較的分かりやすい役なので、本人は大変でしょうが、見てるこちらはぜんぜん余裕、安心して見ていられます。

それにしてもこうしてあげてみると、どれもこれも面白い作品ばかり。「もし映画界から佐藤健が消えたなら」、あんな作品もこんな作品もなくなってしまうと思うと、ああ、佐藤健がいてよかった、と思わずにはいられません。

「ふり幅が広い役者」という言葉、「こんな役もできる、あんな役もできる」という意味でもありますが、佐藤健の場合、ひとつのキャラクターの中の「ふり幅」、つまり「えー、こんな人がこんなことする?」というキャラクターの行動を「まあ、そういうこともあるかもしんない」と思わせられるのが、すごいところかなーと思ったりします。

次回作は朝井リョウ原作の『何者』で、この矛盾だらけの――というか、辛い時代の若者ゆえの歪みだらけで、単純なキャラクターが一人も登場しないこの作品をどんなふうに演じるのか、今から楽しみです。(文:渥美 志保)

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