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おおやぶみよの“ガラス作家”というしごと [おとなスタイル]

2017年11月19日(日) 10時00分配信

おおやぶみよさん

人気のガラス作家、おおやぶみよさんをご存じですか? 彼女はなぜ、沖縄の読谷村(よみたんそん)に暮らし、この場所で作品を作ることになったのか。
就職していたガラス会社が倒産、職を失ったおおやぶさんは、友人がいた沖縄のガラス工房を訪ね、そこで見たガラス制作の様子に衝撃をうけたのだそう。
本土のガラス教室ではマイナスのことばかりが耳に入ってきていたが、沖縄には『これでもいいんだよ』『やってみたらいいさ』という空気があり、その空気に背中を押してもらえた、とおおやぶさん。

即決、行動、熱情の人だ。おおやぶさんは見学したガラス工房に、その場で「なんでもやるので働かせてください」と交渉した。修業希望者が多く待っている工房だったが、熱意が伝わり、すぐに働き始めることができた。
その後、沖縄の人と結婚して、3人の子どもを授かる。
「お金がなかったので、最初はバスで暮らしました。持っている軍用地をただで使ってもいいと言ってくださる地主さんがいて。軍用地にはプレハブかコンテナか、すぐに撤去できるものしか置くことができないんです。それで中古のバスを持っている方から10万円で譲ってもらい、仮ナンバーをつけたバスを軍用地まで運んで、そこを家にして住んだのです。バスを拠点に、まわりに水場や仕事場を自分たちで作りました。それらは掘っ立て小屋のようなもので、屋根はトタンなので、雨のときに電話がかかってくると聞こえない。『雨がやんだらかけ直すね』って(笑)。なかなか楽しい暮らしでした」
母であり、一家の大黒柱です

撮影/大河内禎

母であり、一家の大黒柱です

結婚を機に、ガラス工房を辞めていたおおやぶさんだが、長男を出産するとガラス作りをしたい血が騒ぎだした。
「それで、まずはガラス用の窯を作ろうと。窯作りを業者に頼んだら何百万円もしますが、自分で作れば何十万円ですむので。ほんと、お金がなかったので、そのときは自分で作る選択肢しかなかったんです」
知人を介して、京都に工房を構えるガラス作家、荒川尚也氏から窯作りを学んだ。
「生後6ヵ月の長男を実家に預けて、『窯作りを教えてください』とお願いしに行きました。荒川さんは懐の深い方です。弟子でもなんでもない私に、惜しげもなく窯作りを伝授してくださった。その後も京都と沖縄でやりとりをして、何かにつけて相談させていただきました。
図面を起こして、設計図を描くことから始まり、煉瓦をひとつひとつ積んで、ナットやボルトを使って機械を連結させたり、灯油の配管とつないだり、小さなコントローラーや緊急時のブザーを仕込んだり……。いやぁ、難しかったです。生涯で一番の難関だったかもしれない。
子どもが寝たな、と思うと煉瓦を積む日々で、窯が完成するまでに2年間かかりました」

苦心した自作の窯で制作が始まった。ガラス作家として独立した、と言ってもいい。おおやぶさんの作品はすぐに沖縄県内外のギャラリーや、ものに対する感度の高い人々に注目された。

撮影/大河内禎

メディアにもたびたび取り上げられ、6年ほど前には生命保険会社のCMにも登場している。
「CMに出た当時はまだバスで暮らしていて、工房とギャラリーもひとつながりでした。子どもたちがおやつを持ってウロウロしているそばで、お客さんが作品を選んでいて、『決まったら声をかけてくださいね』と言って私は工房で制作をしていた。本当にバタバタでした。でも、なつかしいです、あの頃が」

その後、おおやぶさんは離婚をして、3人の子どもを女手ひとつで育ててきた。
「一家の大黒柱です(笑)」
頼もしく、たくましいガラス作家なのだ。

今年の春、彼女は個展が開かれた東京・中目黒のセレクトショップに3日間在廊すると、沖縄へ飛んで帰り、中学1年生の次女、高校1年生の長女の入学式に出た。長男は高校3年生。大学受験を控えて、放課後に予備校へ通う彼を、母は一日の仕事を終えたあとに、往復1時間かけて車で迎えに行く。
「今しかできないことですから。私の手を離れるまでは、責任を持って3人を育ててやろうと思っています。なにせ最初がバスだったので、子どもたちのために家を建てようかな、と思って。ギャラリーから車で10分ほどの場所に、去年、新しい工房と住宅を建てました。ギャラリーも大変辺へん鄙ぴな場所にありますが、さらにまわりに人工物が何もない大自然の中での生活です。毎朝、子どもたちを車で学校へ送り、その足でギャラリーで仕事をし、工房に戻ってひとりで昼食もとらずに夢中でガラスを作る。地味な日々です。それを淡々と続けている。

でも、そんな、自分と向き合う孤独の時間がもの作りには必要で。私は人のためには作っていない。売れる、売れないもまったく考えていない。どれだけやったら、自分の腑に落ちるか、それだけです。だから尽きることがないんです」
■Profile
おおやぶみよ/ガラス作家。1970年生まれ。京都出身。服飾学校卒業後、石川県能登のガラス学校で学び、大阪のガラス工場で修業。20代半ばで沖縄に渡り、ガラス工房を経て、2003年に沖縄中部の読谷村に工房とギャラリー「日月(hizuki)」を設立。

日月 hizuki
沖縄県中頭郡読谷村渡慶次273

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