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大切なものを、皆で共有する決断

向井山　この考え方に、私たちが学ぶべきところがあると思います。自分の持っているもの、特に大切なものほど人と分かち合うのは難しいことですが、何がおじいさまを、そうさせたのでしょうか。

ウィレム　彼が生きていた20世紀初頭は、皆を高みに引き上げて、知識や可能性を共有し、等しく学ぶ機会を提供しようという時代でした。祖父は、自分が持っている膨大なコレクションはグローバルコミュニティーのために存在し、人々が常にアクセスできるようにするべきだと考えたのです。

向井山　その大きな決断は、おじいさまが一人でなさったのですか。ウィレム　そうです。祖父はコレクションを手放すにあたり、オランダ政府に対し、作品を適切に管理し、ゴッホ美術館を設立するという条件を付けました。オランダ政府は１９６２年にこれに合意してゴッホ財団を設立し、１９７３年には美術館が開館されました。

向井山　家族はその決断をどう受け止められたのでしょう？　反対する方はいませんでしたか？

ウィレム　私は父に、あの素晴らしい油彩を見て育ったのに手放すことをどう思うか、と聞いたことがありました。すると父は、そもそもあのコレクションは自分のものではなく、祖父の所有だった、祖父の決断は正しかったと信じる、と答えました。

向井山　フェアな行いだと。

ウィレム　そうです。祖父は次の世代に揉めごとが起きないよう、自分の二人の息子と娘にも、政府との契約書に署名を求めました。

向井山　合理的かつドライ、非常にオランダ的なやり方ですね。作品を１点だけでも手元に残したいという人はいなかったのですか。たとえば、自分の楽しみのために。

ウィレム　祖父は教育と情報は皆に平等に提供されるべきだという考えでした。私が10歳のときでしたが、彼の考えは十分に理解していました。でも、私は好きだったスケッチを１枚もらえないかと頼みました。自分で楽しむだけだから、と。祖父の答えは、それを許したら、君が亡くなったときに家族が作品を売ってしまうかもしれない。そうなったら、コレクションの完全性が保たれなくなるだろう、と。祖父はコレクションを、一枚残らず美術館に寄託しました。

ゴッホが残した人類へのレガシー

 

向井山　ゴッホを個から公に解き放ったことで、おじいさまはとても豊かな人になったと思います。金銭的な豊かさではなく、ゴッホを皆のものにした、という意味で。そのおかげで、私たちにまでレガシー（遺産）をくださったのです。

ウィレム　祖父は、そのことをとても誇りに思っていました。美術館は彼が83歳のときに開館し、その歴史的イベントにも立ち会うことができました。また、そこには祖父の事務所までありました。コレクションをまとまった形で残すことが、祖父の夢だったのです。

向井山　おじいさまは、ご自分の壮大な夢を叶えたのですね。

ウィレム　私は世界中から大勢の方が美術館を訪れコレクションを見て、メッセージに触れてくださることをうれしく思います。そして、私自身がゴッホのレガシーの一部であることを誇りに思います。

向井山　おじいさまの決断には、押し寄せる難民問題や民族紛争などに直面して排他的になり、ますます自分を守る殻を固くしている私たちが、学ぶべきメッセージが込められていると思います。

ウィレム　私はそのメッセージこそが、ゴッホのレガシーだと思っています。

■ゴッホ美術館
４階建ての館内はフロアごとに初期〜後期の作品が展示され、順を追って見て行くと、わずか10年ほどの活動で数々の傑作を残したゴッホの足跡がたどれる。年間約180万人が来場。

 

＜向井山朋子（むかいやまともこ）さん　プロフィール＞
ピアニスト／アーティスト。在蘭26年。映像、ダンス、ファッションを融合した音楽の新境地を開く。4月に東京でコンサートを開催。

＜フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホさん　プロフィール＞
ゴッホの弟テオドルスの曾孫。弁護士を経て、現在はゴッホ美術館のネットワーク拡大・強化のために大使として活躍。

おとなスタイルVol.3  2016 春号 より
（撮影／蝦名まゆこ）