• > 伝説の作家・白洲正子が50代で迎えた転換期とは? [おとなスタイル]

伝説の作家・白洲正子が50代で迎えた転換期とは? [おとなスタイル]

2016年07月11日(月) 09時00分配信

巡礼中の白洲正子。(写真提供/武相荘)

素敵なおとなのライフスタイルを実践している女性、そのルーツを辿(たど)ると行きつくのは、やはりこの人ではないだろうか。伝説の人、白洲正子。
“ほんもの”をとらえ続けた彼女の目線が、今を生きる私たちにこそ、きっと必要だ。
高度成長に背を向けて、西国三十三ヵ所の観音巡礼へ

白洲正子のおとなスタイル世代の年譜。

高度成長に背を向けて、西国三十三ヵ所の観音巡礼へ

「どの巡礼の本を読んでみても、信仰はあってもなくても構わない、ただ歩けばよい、と書いてある ──『白洲正子自伝』より」

白洲正子の年譜を見ると、50歳の時に大きな転換期を迎えていることに気づかされる。
能の免許皆伝を授かったとほぼ同時に、能舞台と決別するのだ。
「能は男にしかできない物という結論に達し、以来きっぱりあきらめてしまった。(中略)肉体的に限界があるという意味だ。ことに『かつらもの』(女の能)の場合は、どんなに上手に演じても、女は『女』になり切れない」(『夕顔』より)と悟り、「子供の時からあれほど能の世界にいりびたった」にもかかわらず、扇を筆に持ちかえたと記している。もっとも大切なものからこそ離れる必要がある、そう判断したのだろうか。
そして、総括と呼ぶべき一冊をまとめる。
53歳のときに出版した豪華本『能面』だ。
43歳の頃より10年の歳月を掛けて取材、執筆をしている。能面を求めて全国を巡り、また面を使う祭礼や芸能も見て回る。徹底的に調べた上で、「内から見るのと、外から眺めるのでは、雲泥の差があることに気がついたのです。別の言葉でいえば、それはお能という、せまくて古い伝統の世界から、陶器や絵画と同列に、能面をひっぱり出して、外の空気にあてることでした」(『能面』より)と、能面をまっさらな眼で見直したのだ。
固定観念に縛られた世界を広い野に放つこと。それは能を舞うことから離れた自分自身への問いかけでもあったし、その後の白洲正子が貫いた姿勢でもあった。
もうひとつ注目したいことがある。白洲正子の50代は、ぴったり1960年代に重なっている。第二次世界大戦で満身創痍となった日本は復興、東京オリンピックに向けて、新幹線や高速道路などの整備、観光開発を猛スピードで進めていた。しかし正子は、高度成長期のお祭り騒ぎに背を向けて、古式ゆかしく西国三十三ヵ所の観音巡礼に向かうのだった。それは、幼少期より能や古典を学び、古寺巡りもしていた正子の、文明を危惧する本能的な行動だったかもしれない。
とはいうものの、麹町の洋館育ちで、14歳から4年間、アメリカ文化に浸った帰国子女、早すぎた現代人でもあったから、信仰心をもたない自分が巡礼をしていいのかと逡巡(しゅんじゅん)もする。が、「どの巡礼の本を読んでみても、信仰はあってもなくても構わない、ただ歩けばよい、と書いてある」(『白洲正子自伝』より)、だからまずはとにかく歩こうと決める。50代という成熟の年齢だからこそ感受できる何かがある、という予感もあっただろう。

<文/田中敦子さん プロフィール>
1961年東京生まれ。工芸、きもの、日本文化を中心に、執筆、編集、プロデュースなどを行う。『もののみごと江戸の粋を継ぐ職人たちの、確かな手わざと名デザイン。』( 講談社)、『更紗』(誠文堂新光社)他、編著書多数。

おとなスタイルVol.3 2016 春号より

【関連記事】

NEWS&TOPICS一覧に戻る

ミモレ
FRaU DWbDG
  • FRaU DWbDG
  • 成熟に向かう大人の女性へ
  • ワーママ
  • Aiプレミアムクラブ会員募集中!

このページのTOPへ戻る