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齋藤薫「女と女。人生の勝負。明暗を分ける、その分岐点を見た!」 [VOCE]
2016年04月30日(土) 17時30分配信
正直言って、こういう比較は良くない。良くないことはわかっているが、あまりに対照的なので、女の人生を考える時、どうしても比較せずにはいられない2人の女優がいる。かつて『17歳のカルテ』という映画で共演したウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーである。
それは、精神病院に収容される少女たちを描く“実話を基にした問題作”で、すでに20代後半になっていたウィノナが原作に惚れ込んで、自ら映画化の権利を取得し、製作総指揮まで手がけつつヒロインを演じた、“ウィノナ一色”の作品。そして評価は極めて高かったが、女優賞を総ナメにしたのは、“助演女優”としてのアンジーの方だった。映画女優としては無名の24歳がいきなりアカデミー助演女優賞を獲得してしまうのだ。もちろんウィノナも、演技には定評があり、なんと22歳と23歳ですでに2回ノミネートはされている。だからそこはもう運があったかないかだけの違いなのだ。 でもその翌年、アンジーは出世作『トゥームレイダー』で世界的に大ブレーク。飛ぶ鳥を落とす勢いで、忽ちスーパースターとなっていく。しかもロケでカンボジアの惨状を見たのを機に、人道支援に熱中、従来のセレブの慈善活動とは次元の違う働きで、いきなり国連難民高等弁務官事務所の親善大使となり、養子も迎える。その後の活躍はご存知の通り、ブラピとの完璧な夫婦関係も、6人の子供たちにとっての母親ぶりも申し分がない。
ところがどうだろう。2人の女優は見事に明暗を分け、ウィノナは、その翌年にゴールデンラズベリー賞、つまり最低4 4最悪4 4映画賞に立て続けに2度もノミネートされてしまう。ラズベリー賞など、作品に恵まれなかっただけのこと、ご愛嬌で済ませてしまうこともできるのに、ウィノナ・ライダーにはもうそれを笑い飛ばせるだけのゆとりも自信も精神力も残っていなかった。いやそれどころか、“例の事件”、ロサンゼルスのブティックで万引きを犯し逮捕されたのは、まさにこの年である。「ウィノナ・ライダーはもう終わった」と囁かれたもの。
当然のことながら、彼女を起用する勇気ある者はいなくなる。いくつかの小品に顔を出す程度、久しぶりに注目を浴びたのは『ブラック・スワン』での嫉妬に狂う元トップダンサーで、それこそ正視できないほど怖くてイタイ役だった。それを、“致命的”と見るのか、“プロ根性”と見るのか、それは世間にゆだねられたが、そこで決定的にこの人を見限れない“何か”があったのも確か。
この人はかつて、ジョニー・デップと婚約までしていたが、なぜか破局。まだ20代前半であったことも災いして、深く傷つき、精神のバランスを崩していったとも言われるのだ。ちなみにジョニデが次に婚約及び婚約解消したケイト・モスも、精神的なダメージは尋常ではなく、薬に走ってモデル生命を危ぶまれたのも、その影響であるとされる。ジョニデによる“心の痛手”はとりわけ長く深く尾を引くということなのだろう。
それは、精神病院に収容される少女たちを描く“実話を基にした問題作”で、すでに20代後半になっていたウィノナが原作に惚れ込んで、自ら映画化の権利を取得し、製作総指揮まで手がけつつヒロインを演じた、“ウィノナ一色”の作品。そして評価は極めて高かったが、女優賞を総ナメにしたのは、“助演女優”としてのアンジーの方だった。映画女優としては無名の24歳がいきなりアカデミー助演女優賞を獲得してしまうのだ。もちろんウィノナも、演技には定評があり、なんと22歳と23歳ですでに2回ノミネートはされている。だからそこはもう運があったかないかだけの違いなのだ。 でもその翌年、アンジーは出世作『トゥームレイダー』で世界的に大ブレーク。飛ぶ鳥を落とす勢いで、忽ちスーパースターとなっていく。しかもロケでカンボジアの惨状を見たのを機に、人道支援に熱中、従来のセレブの慈善活動とは次元の違う働きで、いきなり国連難民高等弁務官事務所の親善大使となり、養子も迎える。その後の活躍はご存知の通り、ブラピとの完璧な夫婦関係も、6人の子供たちにとっての母親ぶりも申し分がない。
ところがどうだろう。2人の女優は見事に明暗を分け、ウィノナは、その翌年にゴールデンラズベリー賞、つまり最低4 4最悪4 4映画賞に立て続けに2度もノミネートされてしまう。ラズベリー賞など、作品に恵まれなかっただけのこと、ご愛嬌で済ませてしまうこともできるのに、ウィノナ・ライダーにはもうそれを笑い飛ばせるだけのゆとりも自信も精神力も残っていなかった。いやそれどころか、“例の事件”、ロサンゼルスのブティックで万引きを犯し逮捕されたのは、まさにこの年である。「ウィノナ・ライダーはもう終わった」と囁かれたもの。
当然のことながら、彼女を起用する勇気ある者はいなくなる。いくつかの小品に顔を出す程度、久しぶりに注目を浴びたのは『ブラック・スワン』での嫉妬に狂う元トップダンサーで、それこそ正視できないほど怖くてイタイ役だった。それを、“致命的”と見るのか、“プロ根性”と見るのか、それは世間にゆだねられたが、そこで決定的にこの人を見限れない“何か”があったのも確か。
この人はかつて、ジョニー・デップと婚約までしていたが、なぜか破局。まだ20代前半であったことも災いして、深く傷つき、精神のバランスを崩していったとも言われるのだ。ちなみにジョニデが次に婚約及び婚約解消したケイト・モスも、精神的なダメージは尋常ではなく、薬に走ってモデル生命を危ぶまれたのも、その影響であるとされる。ジョニデによる“心の痛手”はとりわけ長く深く尾を引くということなのだろう。
180度心をひっくり返すか、 はたまた一段上に自分が昇るか
ただ、人生の失敗をそういう可哀想な出来事のせいにしたら、その人に未来はない。むしろ人間は、ネガティブな出来事をいかに“勢い良くひっくり返す”か、その「回転力」で明暗が決まるのだ。アンジーも、10代の頃イジメにあい、父の裏切りに悩み、リストカットを繰り返して“葬儀屋で遺体の保存から火葬まで行う仕事”に傾倒するなど、暗く陰湿で常に鬱状態にあったと言われる。20代初めまでは、どん底にあったのだ。
しかし慈善活動に本気になるのは弱冠25歳の時。まさに劇的大逆転。暗黒の時代があったからこその、反動なのだ。そういう心の変化がおざなりでなかったことは、その後の人生で明らか。天下のブラピが、“妻を尊敬してやまない”とまで語るのだから、本物なのだろう。いや、ブラピはアンジーに“男として恋をした”と言うより、“人として心酔”し、「アンジーのような人間になりたくて結ばれた」のではないかと思えるほど。だから、“ブランジェリーナ”と呼ばれるほどの類稀な関係が出来上がる訳だが、その人格を作ったのは、苦悩と挫折だったのだ。
それこそ、心の傷を人生の失敗の理由にする人とは真逆にあり、だからここまでの差がついてしまったと言ってもいい。ネガティブを次なるネガティブの理由にするか、はたまたネガティブを180度ひっくり返すか、その差が2人の女優の40代にはっきり示されたのだ。
じつは、例の『17歳のカルテ』でアンジーだけがオスカーに輝いた時、ウィノナは悔し紛れに、「あの役(アンジーが演じた精神病棟のボス的存在)は、誰がやってもオスカーが獲れた」と発言したことで、性格もひねくれているという批判を受けている。足元からガラガラと人生が崩れていくイメージがそこに投影されるが、この人の最大の問題は、そこにこそあったと言ってもいい。
つまり、自分が製作した映画で、いわば自らがキャスティングしたと言ってもいい女優が絶賛されたことに、素直に拍手を送れなかった。そこにこの人が一気に凋落していく始まりの起点があったとは言えないだろうか?
確かに難しい。自分が作り、自分が演じた自分の映画で、他の女優に大喝采を持っていかれる、それを喜ばしく受け止めるなんて、とてもじゃないが心の広い人間でも難しい。それは確かなのだが、そこで負け惜しみを言うから負けてしまう。少なくとも彼女は製作総指揮者であり、アンジーより実績も評価も高い“実力派女優”だったわけで、アンジーよりも一段上で、受賞を讃え、また感謝すべきだったのだ。そう、一段階上で。
一般の仕事でも、後輩が良い仕事をして評価されたら、「なにさ」と悔しがるのか、自分より若いのに、経験も浅いのに、彼女は素晴らしいと、ちょっと上から何%かでも思えるのか、そこで女の人生、大きく変わってくると言うことなのだ。
もちろん、根拠なき自信ではもともとそこまで上がれないが、正当な自信がベースにあれば、心穏やかに、素晴らしい人を素晴らしいと、美しい人を美しいと、正当な評価ができるようになる。それが本当の意味でその人を一段高みに上げることになるのだ。アンジーは、180度心をひっくり返すことで、一気に高みに上がったが、そんなふうに自らを一段上に上げて、言うならば徳を高めることで、高みに上がる方法もあるわけなのだ。
いずれにしても、2人の女優は、全くスケールの違う人生を営んできた。でもじつはごく最近、ウィノナ・ライダーに復活の兆しが見えてきている。ずいぶんと遠回りしたかもしれない。でも、人にはそれぞれ旬の年代があって、この不器用な人にはむしろこれから本当の人生が待っているのかもしれない。とすれば、遠回りした分だけ充実度や密度は濃くなるはずなのだ。いやそうあってほしい。
アンジーも今は、女優よりも監督業で、自らの溢れ出るような正義感を映画で表現しようとしている。天才と言われたウィノナ・ライダーが、 もしここで本当に復活を果たしたら、私たちにどれだけの勇気を与えてくれることになるかわからない。人生は回転させられる、復活させられるという生き証人となるのだから。
しかし慈善活動に本気になるのは弱冠25歳の時。まさに劇的大逆転。暗黒の時代があったからこその、反動なのだ。そういう心の変化がおざなりでなかったことは、その後の人生で明らか。天下のブラピが、“妻を尊敬してやまない”とまで語るのだから、本物なのだろう。いや、ブラピはアンジーに“男として恋をした”と言うより、“人として心酔”し、「アンジーのような人間になりたくて結ばれた」のではないかと思えるほど。だから、“ブランジェリーナ”と呼ばれるほどの類稀な関係が出来上がる訳だが、その人格を作ったのは、苦悩と挫折だったのだ。
それこそ、心の傷を人生の失敗の理由にする人とは真逆にあり、だからここまでの差がついてしまったと言ってもいい。ネガティブを次なるネガティブの理由にするか、はたまたネガティブを180度ひっくり返すか、その差が2人の女優の40代にはっきり示されたのだ。
じつは、例の『17歳のカルテ』でアンジーだけがオスカーに輝いた時、ウィノナは悔し紛れに、「あの役(アンジーが演じた精神病棟のボス的存在)は、誰がやってもオスカーが獲れた」と発言したことで、性格もひねくれているという批判を受けている。足元からガラガラと人生が崩れていくイメージがそこに投影されるが、この人の最大の問題は、そこにこそあったと言ってもいい。
つまり、自分が製作した映画で、いわば自らがキャスティングしたと言ってもいい女優が絶賛されたことに、素直に拍手を送れなかった。そこにこの人が一気に凋落していく始まりの起点があったとは言えないだろうか?
確かに難しい。自分が作り、自分が演じた自分の映画で、他の女優に大喝采を持っていかれる、それを喜ばしく受け止めるなんて、とてもじゃないが心の広い人間でも難しい。それは確かなのだが、そこで負け惜しみを言うから負けてしまう。少なくとも彼女は製作総指揮者であり、アンジーより実績も評価も高い“実力派女優”だったわけで、アンジーよりも一段上で、受賞を讃え、また感謝すべきだったのだ。そう、一段階上で。
一般の仕事でも、後輩が良い仕事をして評価されたら、「なにさ」と悔しがるのか、自分より若いのに、経験も浅いのに、彼女は素晴らしいと、ちょっと上から何%かでも思えるのか、そこで女の人生、大きく変わってくると言うことなのだ。
もちろん、根拠なき自信ではもともとそこまで上がれないが、正当な自信がベースにあれば、心穏やかに、素晴らしい人を素晴らしいと、美しい人を美しいと、正当な評価ができるようになる。それが本当の意味でその人を一段高みに上げることになるのだ。アンジーは、180度心をひっくり返すことで、一気に高みに上がったが、そんなふうに自らを一段上に上げて、言うならば徳を高めることで、高みに上がる方法もあるわけなのだ。
いずれにしても、2人の女優は、全くスケールの違う人生を営んできた。でもじつはごく最近、ウィノナ・ライダーに復活の兆しが見えてきている。ずいぶんと遠回りしたかもしれない。でも、人にはそれぞれ旬の年代があって、この不器用な人にはむしろこれから本当の人生が待っているのかもしれない。とすれば、遠回りした分だけ充実度や密度は濃くなるはずなのだ。いやそうあってほしい。
アンジーも今は、女優よりも監督業で、自らの溢れ出るような正義感を映画で表現しようとしている。天才と言われたウィノナ・ライダーが、 もしここで本当に復活を果たしたら、私たちにどれだけの勇気を与えてくれることになるかわからない。人生は回転させられる、復活させられるという生き証人となるのだから。