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デヴィ夫人の婚活論「大統領からのプロポーズ」 [with]

2018年01月31日(水) 20時00分配信

ヤソオ宮殿にて大統領と。後方のデヴィ夫人の肖像画はパスキアブドラ画伯のもの。

今回はデヴィ夫人がインドネシアの大統領からプロポーズを受けた時のことをお届けします。外国の国家元首の妻に選ばれるという国を超えたロマンス。こんな貴重なお話は絶対に見逃せません。

たった2週間でプロポーズ

みなさま、ごきげんよう。
デヴィ・スカルノです。

私とインドネシアの大統領の場合は、たった2週間で結婚が決まりました。出会いから3ヶ月後のことです。
今日は大統領との出会いから結婚までのお話をしましょうか。

高級サパー・クラブでのアルバイト

中学を卒業し、私は都立三田高校の夜間部に通っていました。
その時、近所に東芸プロダクションがオープンしたのを機に研究生として入団し、演技、声楽、舞踊などを習っていました。
徐々にテレビや映画の仕事をいただくようになり、早朝から撮影所やロケ地へ向かう生活をしていたので、高校へは足が遠のいてしまっておりました。
そんなときに当時赤坂にあったコパカバーナというサパー・クラブにご縁がありアルバイトを始めたのですよ。お客さんの90%が外国人。世界の社交場のような名声を得ていて、当時の大学新卒の給与が1万ぐらいだった時代に、その時のテーブルチャージはフランク・シナトラが歌った夜は1人10万円。どのぐらい豪華なクラブだったかおわかりかしら。
新聞の朝刊に米上院議員のテッド・ケネディ氏が来日したという報道があると、その夜には彼の姿がそこにあるぐらいの世界の社交場。ここで働く女性はファッション誌から抜け出したような人たちばかり。そして、ここへ遊びにいらっしゃる紳士たちは女性の椅子を引き、飲み物をオーダー、ダンスをする時は手を差しのべる、すべてがレディーファースト。
わたくしは美しい花、そう“レディ”に憧れを抱いておりました。

ここでのお給料はOLの月給がたった一晩で入ってくるほどの超高収入。
自立や家の家計を助ける意味もありましたけど、わたくしはそれとは別の計算があったのですよ。

「これからの社会では絶対に英語が話せないといけない」
社会で生かせる英語は教科書で学んでもダメ。クラスで英語は一番だったとはいえ、
実際多くの外国人と話さなければ上達しないと思っていたので、世界の社交場である
サパー・クラブで働きながら会話の練習をする毎日。
そして一流の外国人と会話を交わしながら世界への道を模索するチャンスを伺っておりました。

スカルノ大統領との出会い


そんなわたくしがスカルノ大統領と出会ったのは19歳の時。
当時、来日していた大統領が帝国ホテルでティーパーティを開いていて、わたしくはたまたま旧帝国ホテルのプルニエで友達と待ち合わせしておりました。
偶然、わたくしの近くを大統領一行が通りかかり、そこで見染められたことが始まりでした。その場で大統領の側近の副官からティーパーティに誘われ、そこで初めて大統領にお会いしました。淡い紫が少しかかったようなブルーの軍服を着た男性は、いま新聞をにぎわせているインドネシアの大統領なのだと紹介されました。大きな目はキラキラと輝き、チャーミングな八重歯が印象的。
第一印象で慈悲深い大きな優しさを感じ、一瞬イナズマに打たれた気がしたのは今もハッキリと覚えています。
クラブで働いていたので外国の富豪とは対等にお付き合いしてきましたが、それでもその時の雰囲気は特別! とても緊張しましたが、しばらく談笑してその日はお別れいたしました。

その後大統領から、思いがけなくお手紙が届けられました。
「わたくしの写真を送ってほしい」と書かれていたので、写真を添えて返事を出させてもらいました。そこから3カ月間、わたくしと大統領の文通が続き、
ある日“2週間ぐらいインドネシアに遊びに来ませんか?”と書いた手紙を頂きました。

女の直感で大統領がわたくしをとても気に入っていることはわかっていましたし、これから男女の関係が待ち受けていることも想像がつきました。
当時、私はアメリカやフィリピンの大富豪たちから求婚をされ悩んでいました。
お相手が外国の大統領ということもあり、インドネシアへ向かうのを躊躇しましたが、
“インドネシアへ行ったら、何か閃めきがあるかもしれない”
そんな冒険心が働き、わたくしはインドネシアへ向かいました。



私のインスピレーションになってください

インドネシアへ行き実見した彼の偉大さは、私のあらゆる想像を超越しておりました。
インドネシアでの、大勢の国民を前にした演説。
その姿はどんな言葉にも形容できないほどの英姿でした。

首都のジャカルタから専用のジェット機でバリ島の離宮に招かれたときのことでした。

楽園のような島の高台で、真っ赤な太陽が沈むのを眺めていたときのことです。
「私のインスピレーションとなり、力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください」
このような美しい言葉はこれからの人生でもう聞くことはできないのではないかと心を打たれ、これがプロポーズなのだと悟りました。

わたくしはこの偉大な大統領から選ばれたのだ。
これはもう神の天啓なのだ。
そして、この方に選ばれたのだから、全身全霊をもってこの方に尽くそう。

2週間で日本に帰国するつもりでしたが、それが永遠につながるとは。
そして、インドネシアに住むことになろうとは、日本にいるときにだれが想像できますでしょうか。

人生はなにがあるかわかりませんよね。

さて、ここでみなさんに質問です。
わたくしはなぜ大統領から選ばれたとお思い?

その理由はわたくしの容姿が美しかったからだけではありません。
またの機会にその理由をご説明いたしましょう。

ごきげんよう。
デヴィ・スカルノ
PROFILE

デヴィ・スカルノ

PROFILE

デヴィ・スカルノ
19歳でインドネシアに渡り、22歳でインドネシアの初代大統領スカルノ氏と結婚。日本人で海外の国家元首の妻になったたったひとりの女性。大統領が亡くなった後はパリへ拠点を移し、社交界では『東洋の真珠』とうたわれ、デヴィ婦人の愛称で親しまれる。華麗な経歴、そして浮世離れした存在感として講演、コメンテーター、バラエティー、他TV番組等多様に展開。また地球規模で慈善活動を行っている。

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