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【齋藤薫】異性もライバル?女が今、急いで備えければいけないものとは何か? [VOCE]

2018年09月30日(日) 21時10分配信

男同士のピュアな恋愛に心震わすのは女たち

文/ビューティジャーナリスト斎藤薫

男同士のピュアな恋愛に心震わすのは女たち

既に放送が終了しているのに、改めて話題になっているのが『おっさんずラブ』なるドラマ。放送中から“この春いちばんピュアな恋愛ドラマ”と言われていたらしいが、話題になるのに時間差があったのも男同士の恋愛がテーマだったから。誰もが声を大にして評価するのが憚られたからだが、やがて誰からともなく、「あのドラマいい」と言い出して、終了間際、ようやく巷にも評判が広がっていった。

漫画の世界におけるBL=ボーイズラブもの人気とはちょっと異なる現象とはいえ、男同士の恋愛ドラマに心奪われたのは女性たち。女子が恋愛を夢見るのは今も昔も変わらない。やっぱり女は恋がしたい。でも男女のリアルな恋愛に夢を持てなくなったからこそ、男同士にピュアな恋愛感情を見つけて、心震わすというのはありえないことではないのだ。

一方で今、ジュテームの国、フランスでちょっとした異変が起こっている。パリの美しい風景の中に見事にとけ込んでいる恋人たちの抱擁シーンは、まさしくパリの風物詩のひとつだが、最近はその多くが“男同士”だったりするのだ。それがひとつのトレンドにも見えるほど。

一瞬戸惑うものの、美しくファッショナブルな男ばかりだから、女にとっても目の保養になっていたりする。そのためか、今パリで目を引くのはパリジェンヌよりパリジャンで、オシャレな店のギャルソンたちもみんな美しくたおやかで、だからみんな“LGBT”に見えるのだ。ところがそれが嫌じゃない。男同士の恋愛ももはや特異的なものではなく、とても自然なことに思えるほど、一遍に価値観を変えられてしまったのである。

対象は男でも女でも犬でも猫でも。他者を愛することが美しさの鍵

そう、いよいよそういう時代が来たのだ。“LGBT”という言い方も、そこに偏見はもうないよという意識変化をカタチにしたもの。彼らだけを線引きして見るのではなく、恋愛対象としてもう男も女もない。極端な話、犬も猫も含めて愛情の受け皿になるはずで、同じように、男が男を、女が女を本気で愛しても誰にも咎められない時代が来たのだ。もちろんバイセクシャルも全然あり。例えば、オスカー作品『ブロークバック・マウンテン』の男2人はそれぞれ結婚していたし、『キャロル』や『リリーのすべて』も結婚生活の中で同性愛に目覚めたのだし、『人生はビギナーズ』では妻を亡くして75歳でカミングアウトして、第二の人生を始める男性が描かれる。ともかく、映画の中ではバイの人々がたくさん描かれるし、先ごろカミングアウトした勝間和代さんも2回の結婚、離婚をし、3人の子どもがいる。逆に若いうちは同性愛に生きるも、のちに異性と結婚して子どもを儲けるケースも多々あるわけで、そういう意味でも性の境界線をとっぱらった形で、誰が誰を愛してもいい、それが今の時代の愛の形なのかもしれない。

かくして、この数年でにわかに顕在化したジェンダーフリー。保守的な性の概念からの解放。これからは年々それが揺るがぬ常識になっていくはずなのだ。実際に女同士手をつないで歩く姿を見ても、最近は何も思わなくなった。彼女たちの関係は不明だが、“好き”の対象が完全にボーダレスとなったのは確か。となれば当然、異性がライバルになる場面も少なくはないはず。自分の周囲にはそんなこと起きるはずはないと思っていたはずだが、それ以上に時代の流れのほうが早い気もする。さてその時、私たちはどうすべきか。

だからこそ、“美しさをさらに研ぎすませなければ”という考え方もあるだろう。そもそも性の垣根を越えていく人は、その分だけ美意識が高いはずで、美しさはどういう価値観の人も惹きつける。映画『ベニスに死す』で、息を飲むほど透明感ある美しい少年に心を奪われる中年男のモデルとなったのは、もともとゲイではなかった作曲家マーラー。美しさを突き詰めていった時、性の区切りは意味をなさないものとなる。今こそ、そういう超越した透明な美しさを持つべき時なのである。それこそ美しい景色のように人を、圧倒する美しさを。

ただ逆に、見た目の美しさなど無力にする、性を超えて人を惹きつける引力や魅力についても、いよいよ本気で身に付けなければいけない時。同性なら、誰を好きになるだろう。それは、なりたい顔とか、憧れのプロポーションとか、そういうことを一切取り外したところで、同性なら一体誰を好きになるか、目を閉じて考えてみてほしい。体に触れるという前提でなくていい。でもある意味、生理的な好き。ずっとそばにいて、手をつなぎたくなる好き。やっぱりずっとずっと、その目を見ながら話をしていたくなる好き、なんだと思う。そう、実際まわりにいる友人たちではリアルすぎて判断がつかない。そこでやってみて欲しいのが、映画の中の女たちの中から、自分の好きな人を見つけること。

そういう意味で私には、好きすぎる女性が3人いる。まず、20年ほど前の映画だけれど、『あの頃ペニー・レインと』のケイト・ハドソン。人気ロックバンドのグルーピーの一人でありながら姫的存在で、 みんなを魅了してしまう女性……たまらなく魅力的なのだ。次に、『プライドと偏見』のキーラ・ナイトレイ扮する次女。強くて優しくて女として見事。そしてもう一人『ジョイ』のジェニファー・ローレンス。いわゆるQVCで自分で作ったお掃除モップを売り出して大成功させる普通の主婦ながら、強くて前向き、とても勇敢な女性だ。

そうやって実際に好きな女性を具体的に並べてみると、自分が求めている女性の共通点が見えてくる。私の場合は、“強くて、包容力ある女性”。一見強く見えなくても、実はまわりの人をいつも包み込んでいる女性の強さに、人として強く強く惹かれることに気づいたのである。自分にないものを求めていると言ってもいいし、その中に男性的なものを見ていると言ってもいい。でもそうやって、性の垣根を自ら取り払って、同性である女性を見つめてみると、改めて女はどうあるべきか見えてくる。それもまた女としての自分磨き。自らもあらゆる境界線を越え、すべての人に愛される可能性を持った女になるための女磨き。

どちらにせよ、女は最近、人に愛されることの大切さをないがしろにしがち。何となくみんながあまり恋愛しない時代だから、美しくなることや自分を高めることには一生懸命なのに、誰かにとって重要な自分であろうとすることを、時々忘れがちである。それは裏を返せば、自分しか見なくなった、自分しか愛せなくなった証ではないか。他者に強い関心を持たなくなった表れではないか。だからこそもう一度目を見開いて魅力ある人を探すべき。相手を本気で見なければピュアな愛情など絶対に生まれない。なぜなら、人間の絶対の掟として、まず自分が人を愛さなければ人から愛されないから。それ自体、人は忘れがち。何か、人を愛することの仕組みが大きく変わりそうな今こそ、そのことを思い出してみるべきではないだろうか。

何も、同性を愛しましょうとか、一線を越えて斬新な出会いをしましょうとか、そういう提案をしているわけではない。ただ人はやっぱり一人では生きていけない。誰かを愛していてこそ人生は豊かなものになるのだ。異性より同性を好きになる、そういう人が自然に増えている中、もう一度、自分を愛してくれる人、自分が愛すべき人のことを考えてみたいのだ。愛のある暮らしほど人を美しく見せるものはないのだから。それを教えてくれた男同士の恋人たち。ありがとう!

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