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祈りと思いに満ちた島 絵描き下田昌克が旅する五島列島 [FRaU]

2018年08月28日(火) 10時40分配信

Photo:Norio Kidera

かつて多くのキリシタンが弾圧から逃れ、密やかに信仰を守り続けた五島列島。島々に点在する教会はじつに個性的で、そこに暮らし、祈りを捧げ続けた人々の手触りとぬくもりが残っています。

教会に刻まれた彼らの想いをじかに見たいと、絵描きの下田昌克さんが島を巡りました。
信仰の歴史が残る五島列島。人の “手” が造った教会へ

Photo:Norio Kidera

信仰の歴史が残る五島列島。人の “手” が造った教会へ

セスナ機のプロペラが止まり、乗客が一列にタラップを降りていく。日差しは夏のそれにすでに近く、みな上着を脱ぎつつゲートへ向かう。島の空気はいい。肩肘張るところがなく、いつだって普段着のまま。

空港から車を走らせると、下田昌克さんは窓に顔を近づけ「うわ、島が近い」と声を上げる。イラストレーターや画家として活躍する下田さん。デビューのきっかけとなったのは、20代の頃夢中になった旅だった。

中国、ネパール、インド、ヨーロッパへ。足が向くまま旅をし、出会った人々のポートレートを描き続けた。その絵が注目を浴び、本格的に活動を始めることになったのだが、多忙な今も旅は大切な時間だ。

Photo:Norio Kidera

「少し前に隠岐を旅したのですが、それはもうすごかった。神社や祠はもちろん、いたるところに巨岩や奇岩があって神が宿ると信じられている。信仰というものが自然の中でむき出しの状態のまま在るというのかな。その風景には心を打たれました」

あちこちで見る椿は島のシンボル的存在。教会ではステンドグラスのモチーフに使われていることも多かった。

Photo:Norio Kidera

五島列島の教会には裏手の緑に隠されるようにしてマリア様が置かれていることが多い。

今回五島列島を訪れたのも、島々に残る教会に興味を持ったから。かつて長崎で偶然見たある教会のことがずっと忘れられなかった。

「1860年代に多くの隠れキリシタンが暮らした集落だと聞いたのですが、彼らが造った教会の中に入ると天井や梁に綺麗な木目のある木が使われているんですね。でもよく見るとそれ、全部人の手で描かれた木目だったんです。それは気の遠くなる作業だったはず。信仰を守る場をそうやって地道に造っていったんだとハッとせずにはいられなかった」

福江島で旬の海の幸を食べるなら「いけす割烹心誠」へ。 Photo:Norio Kidera

それは長崎市の外海地区にある出津教会堂だった。禁教下にあっても信仰を守り抜いたキリシタンたちは爪に火を灯すような暮らしの中から資金を捻出し、教会を建てた。決して瀟洒なものではなくても、市井の人々の “手” によって造られた教会は下田さんの心を震わせた。

「そうした隠れキリシタンの多くが迫害から逃れようと渡ったのが五島列島だと聞いて、そこにはどんな教会があるんだろうと。彼らの痕跡というか、手の跡を見てみたくて」

Photo:Norio Kidera

かつて3000人以上の隠れキリシタンが海を渡って移住したといわれる五島列島。なかでも福江島と上五島は当時の教会が多く残り、その歴史を今に伝える。

その福江島の三井楽教会ではモザイク模様の壁画に感激。信者たちが集めた貝殻や陶器で描かれている。

読み聞きするだけでは決してわからない、人の手から伝わる想いのようなもの。それをじかに感じるために、下田さんもまた、海を渡ってやってきたのだった。

Photo:Norio Kidera

「焼りんご」パンは五島列島のソウルフード。りんごではなくクリームが入っている。

三井楽教会
長崎県五島市三井楽町岳郷1420

いけす割烹 心誠
長崎県五島市福江町10-5

PROFILE

下田昌克 Masakatsu Shimoda
1967年生まれ。世界を放浪中に描いたポートレートが注目を浴び、絵描きに。近年は、キャンバス生地で恐竜の作品を制作。近著に『恐竜がいた』(詩・谷川俊太郎 スイッチパブリッシング)ほか多数。

●情報は、2018年6月現在のものです。

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