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「貴女、僕のタイプなんだよね」と言われてはいけない【齋藤薫の美容自身】 [VOCE]

2018年08月17日(金) 12時10分配信

一人の男に生涯かけて愛される女は一体どんな女か?

文/ビューティジャーナリスト斎藤薫さん

一人の男に生涯かけて愛される女は一体どんな女か?

「貴女、僕のタイプなんだよね」そう言われるのはセクハラか否か、今やそれ自体が議論される時代となった。もちろん悪い気はしないけれど、「タイプ」として括られてしまう小さな屈辱もないではない。そうした複雑さがある一方、セクハラかどうかについては、ズバリ言ってしまうなら、相手しだい。つまり、自分のほうもその相手が「タイプ」ならばセクハラだなんて思わないし、もう大っ嫌いなタイプの男なら、いきなりセクハラに感じてしまう、そういうものではないのか。

誰に愛されるか? 言うまでもなく女の魅力を測る上で、それはとてつもなく重要。万人に愛されることも極めて重要だけれど、どうでもいい10人に好かれるより、ひとかどの一人から好かれることのほうが、はるかに人生の成功に値する。例えば、フィギュアスケートの羽生結弦とか、大リーガーの大谷翔平とか、あるいは小泉進次郎のような“満点”男たちが、一体どんな女性と結婚するのか?

勝手に盛り上がるのは早計に過ぎるし、全く余計なお世話なのだが、気になって気になってしょうがない、誰がふさわしいのかと本気で悩んでいる人もいたりする。つまりはそういうふうに、“ひとかどの男に愛される女“という特別なカテゴリーが存在することは確か。それは女の魅力の中でも、特別なランクを持つこと、もうちょっと重く考えたいのだ。

例えば、プライベートな行いの是非は別として、やっぱり天才であることは間違いがないジャスティン・ビーバーが、執拗にこだわり続ける女として、特別な視線を集めるのがセレーナ・ゴメス。別れても別れてもジャスティンはいつも未練たらたら、元サヤに収まろうとするただならぬエネルギーを感じる。そんな報道のたびに、私たちはセレーナ・ゴメスの魅力について考えさせられることになるのだ。一体何が彼女を、そんなふうに“諦められない女”にするのか?と。申し訳ないけれど見た目には、華やか、わがまま、自信家……に見えてしまいがちな人だけど、あるインタビューで、自分自身を3つの言葉で表現するなら?という質問に「誠実、親切、寛大」と答えていて、ひょっとするとその通り、実はとんでもなくまともで、いい人だったりして。

とすればそのギャップに心惹かれるのは当然だしもっと言えばセレーナ・ゴメスが10代にして既に人格者だったからこそ、悪童天才少年の魂を捉えてしまったのではないのか。こういうふうに、“ひとかどの男に生涯をかけて愛される女”は、まずその理由を考えさせられる。彼女はなぜ重要な男に愛されるのか? そういう種類の関心が集まることが、額面以上にこの人を輝かせるのである。

“一番の女”を追い求める男に愛されるのは、女冥利に尽きること

一方こんなケースもある。日本一のモテ男との呼び声も高い、伊勢谷友介。その恋人遍歴が半端ではなく、明るみに出ているメジャーな人だけでも、広末涼子、吉川ひなの、麻生久美子、常盤貴子、木村佳乃、長澤まさみ、森 星……何これ? ってくらいの錚々たる顔ぶれだけれど、特定の「タイプ」というものはあまり感じない。むしろその時代その時代を象徴する“旬の女”を遍歴してきたと言うほかなく、言葉は悪いが、その時代その時代一番落としにくい、すこぶる付きの“いい女”たちが軒並み落とされているのだから、伊勢谷友介という男の魅力と才能には脱帽するばかり。派手な女性遍歴から彼だけには気をつけろとの警告が芸能界中に張り巡らされているはずなのに、それでも恋をしてしまうというのは、やはり彼は何らかの媚薬的魔法を天性持ち合わせているのだろう。

どちらにせよ、ここに名を連ねるのは名誉か不名誉か? と言うならやはり名誉なのだろう。彼の審美眼と、時代を読み取る感性はやはり人並み外れていて、彼の選択基準に引っかかってくる事は、もはやそれだけで圧倒的いい女の証。いや、ある意味、一番の女。タイプを超えた一番の女。もしも彼に恋人遍歴をストップさせる女性が現れたら、これはもう見事に一番の中の一番の女、そう位置づけたくなる。言い換えれば、彼がいくら女遍歴しようと、彼に愛される事は女冥利に尽きるはずだ。

別の意味で、特筆すべき女性遍歴を見せた人に、ブラッド・ピットがいる。彼がまだ無名の時代、交際が発覚したのは、二人続けて黒人のアーティスト、次がファニーフェースの個性派女優。女性に求めるものが一般的な男とはちょっと異なることを印象づけつつ、やがて、グウィネス・パルトロウ、ジェニファー・アニストン、アンジェリーナ・ジョリー……という、ハリウッド史に残る見事な女性さに完全にタイプが異なる上に、各タイプの象徴的存在となる、ある意味“一番の女”たちだが、外見的にというよりは内面の奥深さを感じさせる女ばかり。そして今は別居状態だけれども、元サヤも噂されるアンジェリーナ・ジョリーが、ブラピにとって一つの着地点になったのも、何か求めていたものがそこに結実したことを物語る。彼が女に求めるものはあまりに濃厚かつ高級、そういう意味ではブラピに選ばれる女もまた、女冥利に尽きると言えるのだ。

もちろん、女は遍歴されてしまうことなど望んでいない。ただ本当の意味で理想の女に出会うためにこそ素晴らしい女を遍歴している男に、一時的にでも愛される事は、人生において無駄ではない気がするのだ。

ちなみに、ケイト・モス、ヴァネッサ・パラディ、アンバー・ハードと、見るからによく似た妖精系ばかりを遍歴してきたジョニー・デップは、文字通り、女を「タイプ」として見ている典型的な男。モデルとしかつき合わないディカプリオも同様だが、それこそ同じタイプばかりを追い求めていて、果たして人としての内面をきちんと見つめているのだろうかと、少々首をかしげることも多かった。だからこの人の女遍歴には終わりがないのではないかと。いやそれが人間のサガの一つだとしても、その人自身よりも、女の類型に心惹かれてしまう、それは人生を形作る上で、実はとても危険なことなのかもしれないのだ。

どんなタイプが好き? と聞いて、迷わず見た目の特徴を話し始める男には、やっぱりそれなりの覚悟を持って関わるべき。最初は見た目で愛されても、やがて内面の魅力で引き留め続けなければ、永遠の愛は獲得できないという覚悟を持って。「貴女は僕のタイプ」と言われて喜んでいる場合ではないのである。

どんなタイプが好き? と聞いて、特にタイプはない、好きになった人がタイプ………できればそういう男を探そう。異性と対峙する時、見た目を通り越して、ちゃんとその奥にある内面を見つめている人に他ならないから。

そして私たち女が日々美容に励む上で、改めて心に留めおかなければいけないのは、女のタイプというものを超え、全ての人の心に響くような美しさへ自らを磨き上げるべきだということ。例えばの話、山ガール系のファッションに身を包んでいたとしても、本来は丸の内コンサバ系のタイプが好きなはずの男をも、いつの間にか惹きつけてしまっている、そんなタイプを超えた引力を持ちましょうということなのだ。

その男にとっても、タイプを超えて人を好きになるだけの視野の広さと、人間の中身にこだわるエネルギーを覚醒させてあげたことになる訳で、男も女もなく、誰もが、好きなタイプを超えるような恋愛をしなければいけないのだ。でないと、男と女はいつまでたっても、“永遠”を得られない。永遠の絆は生まれない。だからタイプを超える女になること。タイプを超えて、人を愛する男と出会うこと。人生を愛で満たすための、実はとても重要な決め手である。

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