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ママ起業家の成功の秘訣「転職を繰り返した20代は無駄じゃなかった」 [mi-mollet]

2018年07月28日(土) 10時00分配信

撮影/横山翔平(t.cube)

「“好き”を仕事にしよう」、「自分が打ち込めるものを持とう」。そんなフレーズが飛び交う昨今、「やりたいことを見つけなければ」と焦るものの、「自分が一体何をやりたいのか分からない」と途方に暮れている人は多いのではないだろうか。「ブラウンシュガーファースト」の代表取締役社長で、ココナッツオイルブームの火付け役である荻野みどりさんもその一人だった。天職を探し求めて転職を繰り返し、妻として母としての役割に葛藤し、ようやくたどり着いた「美味しくて心豊かな食を未来の社会につなぐ」という役割。その軌跡を追いつつ、「自分が幸せでいる状態」の見つけ方を教えてもらった。

荻野みどり 1982年生まれ。福岡県出身。2011年に出産したのをきっかけに、食材を厳選したお菓子ブランド「ブラウンシュガーファースト」を立ち上げる。その後、有機エキストラバージンココナッツオイルの輸入販売を開始し、美容や健康におけるココナッツオイルブームを巻き起こす。

ココナッツオイルブームの火付け役として

シンプルな透明ビンに、ココナッツの実がパカッと2つに割れたイラストのシールが貼られた有機エキストラバージンココナッツオイル。今や多くのスーパー、百貨店の食品売り場に並んでおり、商品を見せられれば誰もが「知ってる!」と言うのではないだろうか。

株式会社ブラウンシュガーファーストが手がける有機エキストラバージンココナッツは、2013年から発売。欧米でココナッツオイルはトランス脂肪酸を一切含まず免疫力を高める効果があると話題に。その影響をうけ、「健康や美容に良い」と日本でも空前のココナッツオイルブームを引き起こした。このブームの火付け役となったのが、専業主婦で一児のママであった荻野みどりさんだ。

「“安全で美味しい食”で社会をつなぐ。それが私のやりたいことであり、やっていて自分がワクワクできることなんです」
今でこそそんなふうにやりたいことが明確にあり、大変ながらも充実した毎日を送っている荻野さんだが、意外にも今の場所にたどり着くまでは、「自分が何になりたいのかまったくイメージできなくて」と、迷走に迷走を重ねる日々を過ごしてきていた。
チャンスを与えられなかった10代

ココナッツオイルの存在とその魅力を世に知らしめた荻野みどりさん

チャンスを与えられなかった10代

荻野さんの出身地は福岡県久留米市。母もおばも女性は皆専業主婦で、「早く結婚して子供を産み、旦那の出世を支えていくのが女の役割で、女の幸せ」という保守的な価値観の中に育ったそう。

「東京の人が聞いたら驚くと思いますけど、母もおばたちも一人で飛行機に乗ることすらできなかったんです。なぜなら、女が一人で飛行機に乗る必要性なんてないから。そんな環境だったので、私に才能とか“何ができるか”といったことは期待されてませんし、選択肢もなかった。だから『何かやりたい』とずっと沸々していたんですけど、世界が狭すぎて具体的にイメージできなくて。中途半端に生きていたんですよね」

年齢を重ねるにつれて、荻野さんの「何かやりたい」という思いはますます強くなり、やがて「海外留学をして外の世界を見たい」と考えるようになる。そこで両親に、「高校を卒業したらアメリカに留学したい」と切り出すのだが……。

「案の定返されたのは、『必要ない』『学費が高い』という言葉。そこで私は考えに考えて、当時は物価が安かった中国への留学を2年、その後アメリカの大学に2年行って卒業すると、日本の学費と変わらないと提案してみたんです。が、『お前は何を言ってるんだ?』と呆れられただけ。私としてはものすごい名案だと思ったんですけどね……。結局、高校卒業後は地元の短大に進んだんですけど、私があまりに『海外、海外』とうるさかったからか、1年生のときに1ヵ月だけニューヨーク留学することを許してもらえたんです」

ようやく手にしたチャンス。荻野さんは「1日も無駄にしたくない!」と、語学学校に通うだけでなく繊維会社のインターンとしても働き、さらに毎日デッサンを10枚描くことを自分に課したという。

「久留米を初めて出て、自分がいかに狭い世界にいたかを教えられました。それはニューヨークにというより、同世代の日本人と自分とのギャップによって。みんなは当然のように、アメリカの大学に進むとか“その先”を考えている。反対されないどころか、むしろ応援してもらっているぐらい。自分の前に立ちはだかる壁を思うと挫折感が大きかったんですけど、だからこそ今この時間を無駄にしたくない、と強く思ったんです」
天職を探して転職を繰り返す日々に……

「家庭に入るのが女の幸せ」という価値観の中に育った荻野さん。有機エキストラバージンココナッツオイルとの出会いが人生を変えることに

天職を探して転職を繰り返す日々に……

1ヵ月後、約束通り久留米に戻ったものの、一度外の世界を知った荻野さんのモヤモヤは大きくなる一方。そして2年生になるのを前に、「今挑戦しないと後でものすごく後悔する!」と短大を辞めることを決意。福岡のアパレル会社で働き始めるが……。

「もともとアパレルの仕事に興味があったので、そこで楽しくやっていたんです。全力で働いていたので、1年で店長に昇格し、売上げを18倍に伸ばすこともできて、まわりからも努力と結果を認めてもらっていました。でも10年後を考えたとき、無礼なことですが、情熱があってもここでは限界があると感じて。『よし、福岡を出よう!』と、またもや辞める決意をしたわけです」

当然、ここでも家族の大反対に遭う。「もう二十歳なのに、そんなことをしたら嫁に行けなくなる」と。説得できる気がしなかった荻野さんは、「東京に一泊二日で遊びに行く」と嘘をつき、何とボストンバッグ1つだけで出て行ってしまったのだ。

「完全に家出です(笑)。しかも当時の私はローンを抱えていたんですよ。アパレルのバイヤーって、商品を自ら着ることで宣伝するのが一般的だったので、私も何万もするお店の服をカード24回払いとかで買っていたんです。呆れますよね。だからお金がなくて、本当はニューヨークに行きたかったんですけど、東京までの飛行機代しか払えなくて。上京後はシェアハウスやネットカフェに泊まって、派遣会社に登録して食いつないでいました」

婦人服の販売員、ウェイトレス、工場内軽作業、外資系企業でフランス人の秘書、ホームページ制作会社の営業、ヨガスタジオの店舗開発管理の仕事……。東京で荻野さんはありとあらゆる仕事を経験し、様々なスキルを身につけていく。その結果、900円だった時給は上京1年後には1800円にアップ。月収は成果報酬を合わせると70万円にも上り、ローンも全額返済することができたという。それでも、仕事は定着しなかった。

「飽きっぽいというのもありますが、私は『充分に学んだ』と感じたらパッと終わりにするところがあるんです。だから働いているときは、常に全力。フルマラソンを100メートル走の勢いで走っているような働き方をするので、周囲からはものすごく期待されます。でもある程度経つと、『もっと違う世界を見たい』という思いが沸いてくるんですよね。おかげで転職の数だけ経験値が上がりましたし、様々な価値観に触れて自分の許容範囲も拡がったんですけど、一方で『医者になる』とか若いときから進む方向が定まっている人がうらやましかった。人生をどう走ればいいか分かってるなんて、何て頑張りがいがあるんだろう!と」
子育てをきっかけに見えた、本当にやりたいこと

「やりたいことを探し求めるあまり、履歴書の経歴は3ページ以上に。そんなこじらせまくった20代だった」と笑う

子育てをきっかけに見えた、本当にやりたいこと

気づけば荻野さんの経歴は、履歴書3ページにも渡るほどに。次第に「私の天職は何?」、「そもそも私は何がしたいの?」と、自分への問いかけは壮大になっていく。結婚を機に一度は働くことを止めてみるものの、すぐにつまらないと感じ、仕事再開。アクセサリーのデザインプロデュースやアパレルのブランディングなど、もともと「やりたかった」と感じていたアパレルの仕事を重ねていくうちに、「ここは私の生きる場所ではない。どうせなら誰かの幸せにつながる仕事がしたい」とぼんやりと考えるようになっていった。そんなときに出会ったのがココナッツオイルだった。

「私は29歳で出産したのですが、娘が4ヵ月になった頃、ときどき湿疹を出したり便秘が続いたりするようになったんです。娘は母乳で育てていたので、原因は私の食にある可能性が高い。それでよく考えたら、その頃から私はクリームたっぷりのケーキを食べたりコーヒーを飲んだりするようになっていたんですね。それまでも気を遣ってはいたんですけど、あらためて食の安全性の重要さというものを痛感しました」

この出来事をきっかけに荻野さんは、「“安全”と“美味しい”が両立するお菓子を販売したい」とブラウンシュガーファーストを立ち上げる。

「最初は厳選食材で作ったお菓子をウェブショップやファーマーズマーケットで販売する程度の規模で、売上げも月20万円くらいでした。しかし、支出も20万円くらい。商売になっていなかったのですが、買ってくださる人たちの顔を見ていると、確実にみんなの幸せにつながっている、と感じられた。それが嬉しくてたまらなくて、ようやく『人生をかけてやりたいことを見つけた!』と思いましたね」

その後ココナッツオイルと出合い、荻野さんの「やりたいこと」はどんどん拡大し、どんどん形になっていく。それはまさに、荻野さんにとっての「天職」だった。

「最初からやりたことが分かっている人なんて、ほとんどいませんよね。だからこそ、『これ面白いかも』、『これ得意かも』ということは、どんどん拡げることが大事だと思うんです。でも多くの人は、『もっとすごい人がいるし』とか『私は勉強したわけじゃないし』と、ブレーキをかけてしまいますよね。それでは、本当にやりたいことにはなかなかたどり着けない。謙虚な気持ちには蓋をして、もっと自分を過信すべき!(笑) 私の20代は転職の繰り返しで、本当にこじらせまくっていましたけど、あらゆることにチャレンジした経験があったからこそ、心の底からやりたいと思える仕事に巡り会えた。すべて無駄ではなかったと思います」

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