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人気服飾ディレクターに聞く、「スタイルのあるくらしの作り方」 [mi-mollet]

2017年12月17日(日) 11時00分配信

ファッションプレスを経て、ご自身のKOというブランドを発信、インスタでも確固たるファンが多い服飾ディレクターの岡本敬子さん。ブランドでのものづくり、PR、nanadecorや千駄ヶ谷の「Pilli」というお店のディレクションも。ファッションを心底愛し、楽しんでいるからこそ際立つ、独自のスタイリング。オシャレの醍醐味、自分らしいスタイル作りから人生論まで、根ほり葉ほり聞いてみました。

撮影/林洋介

岡本敬子/アタッシェ・ド・プレス、「KO」ディレクター。文化服装学院スタイリスト科卒業後、スタイリストオフィスに入社。その後、大手アパレル会社のPR部門にて国内外のブランドのPRを担当。独立し、アタッシュ・ド・プレスとして複数のブランドを担当しながら、2010年に自身のブランド「KO」を立ち上げている。現在はnanadecorにて「KO」ラインを、千駄ヶ谷のショップ「Pili」のディレクションも手がける。
「自分のものは自分で選びなさい」と育てられて

撮影/林洋介

「自分のものは自分で選びなさい」と育てられて

神田 最近、読者の皆さんから多く聞くのが「クローゼットがパンパンになっているのに、明日着ていく服がない」「着ていきたいものがない」という服を買っているのに出口が見えない、という悩みです。きっと真面目におしゃれをしていくと、買い物やコーデイネイトに行き詰まり「何を着たらいいの?」というおしゃれに向き合うことに疲れてしまう。もともとファッションが好きな人ほど、真面目に取り組んで悩んでしまうことがあるようです。今回は、どのようにして今のご自身のスタイルに行き着いたか、そのヒストリーをうかがいたいです。

岡本 私のファッションのベースには、母親が私の服を全部縫っていたということが大きいと思っています。祖母は着物が縫える人で、母も洋裁が得意でした。だから小さい頃から既製のお洋服を買ったことがなく、洋服からバッグ、お弁当の巾着まで、すべてが手作りだったんです。母は「ドレメ式」と言われている「ドレス メーキング ブック」シリーズを愛していて、「この本から好きなものを選んで」とよく聞かれていました。そこからさらにアレンジを効かせてオリジナルを作ってくれていたんです。幼稚園ぐらいからは一緒に池袋のキンカ堂に行き、生地はもちろん、ボタンからファスナーまで、すべてのパーツを私に選ばせてくれました。とにかくその頃から「自分のものは自分で選びなさい」という教育方針で、何事も選択をさせられていました。父親の着ていたツイードの服をリメイクして私のお弁当袋にしたり、絣の着物から作ったワンピースを親子お揃いで着たり、とにかくオリジナルのものしか身の回りになかったわけです。

神田 まさに服育! きっと失敗したこともあったでしょうから、トライアンドエラーの経験もしっかり自分の中に蓄積されていて。

岡本 正直、小さい頃はボタン、ファスナーまで選ばなきゃいけないのがめんどくさいと思っていたんですけどね(笑)。
ファッションは失敗しないと分からない!?

撮影/林洋介

ファッションは失敗しないと分からない!?

岡本 大人になってからも、いろんな服を着たし、もう家一軒分くらいは買ったのではないかというくらいファッションには投資をしてきました(笑)。いろいろなブランドの服も着てきました。私はどちらかというと、試すことに関してはあまりリスクを感じないタイプ。「失敗したらしょうがない!」と腹をくくるのが早い。人生と一緒で、自分が決断して買ったのだから、失敗したなと思っても、リセットしてすぐに前向きになって、毎日を楽しみたいな、といま、皆さんの買い物を拝見していると、失敗してしまうことを恐れている気がします。悩むことは決して悪いことではありませんが、悩み過ぎると分からなくなってしまいます。似合うか似合わないかよりは自分が好きか嫌いかということ、好きという判断をきちんと自分で出来ることが大切。ファッションは、自分で失敗しないと糧にならない。実際に着て、街に出てみないと気づかないことはたくさんあります。

神田 洋服を買うときは、自分に似合うかなとか、挑戦したいなとか、どんな基準で選んでいますか?

岡本 いまは好きなものがかなり絞られてきましたけれど、昔はよく試着をしていました。雑誌や映画なんかを見て、「これいいな」と思うとすぐに挑戦する。似合う、似合わないがあるから躊躇する方もいると思うのですが、「好きなもの=着たい服」だったから仕方がない(笑)。失敗したときは、そこで諦めずに、例えば丈を変えてみるとか、ボタンを変えてみる、と工夫して納得いくまでカスタマイズしてみる。服や生地が好きなので、基本的には捨てたくないんです。今は着なくなっているアイテムだとしても、しばらく寝かせたらまた復活させる。そして、直したり、カスタマイズしながら、ずっと着続けています。

神田 衝動買いの失敗も、そのままにせずに、真剣に挑戦したり、常に研究しているんですね。
堂々と「好きなものを着る」ことが大切

撮影/林洋介

堂々と「好きなものを着る」ことが大切

岡本 だから、夜に新しい組み合わせが思いついて突然コーディネイトしちゃったりすることもあるんですよ。ワンピースをスカートとして着てみたり、ヒックリ返して着てみたり。何か新しい発見があるんじゃないか? ととりあえずやってみる。皆さんにも、着こなし一辺倒じゃなく、自分らしいコーディネイトの楽しさを伝えていければな、と思っています。日本には四季があるので、季節感を重視し、服を決めるところがある。そのうえ、さらにトレンドを追いかけると……だから、みんな同じようなスタイリングになってしまうんですね。たとえば、冬だからといって薄い素材のものを着てはいけないということはなく、服は自分の体感温度で選んでほしい。そして、シーズンを問わず、堂々と「好きなものを着る!」という思いが大切です。「この組み合わせでいいのだろうか?」と自分は思っていても、それに「おかしい!」と思う人なんて案外いないものです。そもそもファッションにおかしい、という感覚は私はないと思っていましすし、それこそが「個性」になるとも思っています。ひとと違うスタイリングで「私、浮いてる?」と感じたなら、それこそが「個性」だと自信をもってほしいです。

神田 敬子さんのコーディネイトを見ると、それぞれにデザイン性があり、パンチがあるものばかり。それがなぜかまとまって見えるからすごい。

岡本 身につけているものの共通点は「自分が好きなもの」ということ。春夏はよく色を身に着けていて、色と色の掛け合わせを楽しんでいます。というのも、夏の光は、強い色同士のコーディネイトがすごく映えるから。いつも光の加減や体感温度で服を選んでいるんです笑。旬のものばかり買っていた時もあります。でもトレンドを追いかけ続けていると、次のシーズンには次のトレンドが必要になり、スタイリングをガラリと変えないといけない。「自分のスタイルがない」という悩みに陥っている方は、まずは自分の軸となる「好き」を見つけることが大切です。手始めにワードローブの基本を、好きなベーシックカラーで揃えることでもいいかもしれません。そして、さし色となるものもそのベーシックカラーに合うものを選んでいくようにしていく。

神田 ファッションの筋力を育てるには、黒、グレー、ベージュなど決まったベーシックカラーを決めて、そこにさし色で好きな色を足していく。それが小物、靴やバッグでもいいですね。

撮影/林洋介

岡本 私はアクセサリーやバッグなどの小物が好き。実は、服はわりとベーシックでシンプルなアイテムが多く、小物でいろいろアクセントをつけていること場合がほとんど。小物はフォークロアっぽいものが好きなので、なんとなく無国籍な印象のものが集まってきます(笑)。

神田 アクセサリーは大ぶりのものが多いですね。きっと敬子さんは自分の好きなものを買っていて、自分の好きなもの同士の中だから、何をどう合わせても、自由にフィットするんじゃないかな。

岡本 買い物は恋愛と一緒。「これだーっ」と思ったら後先考えずに買っちゃう。その直後に「失敗だった」と思っていてもそこには確かに愛があったのだから、せっかく手に入れたから、それをなんとかして着ようという努力をしようと(笑)。
「大変だった」という経験は必ず役に立つ

撮影/林洋介

「大変だった」という経験は必ず役に立つ

神田 仕事のキャリアが変わる度にご自身のスタイルも変わってきたのでしょうか?  キャリアのお話も聞かせてください。

岡本 スタイリスト事務所へアシスタントで入り、百貨店のチラシなどいろんな撮影の現場をこなしました。私は見た目が派手だったので、一番怖い売れっ子の先輩につけられてしまい(笑)、その方の下でビシバシ鍛えられました。その時に子供服の撮影、紳士の下着、器や料理と、ありとあらゆる撮影をこなしました。アシスタントの身だったので地味な仕事の連続でしたが、コツコツといろんなことが経験できたと思っています。そうしているうちにVIVA YOUというブランドから声がかかり、そこで6年半くらいプレスを。その後、一度退社をしたのですが、ケイト・スペードが日本に上陸するタイミングでVIVA YOUと同じ会社(当時サンエー・インターナショナル)に業務委託で舞い戻りました。そこから10年以上、国内外のPRを行いました。

神田 ファッション業界はとても上り調子で忙しい時代でしたよね。ケイトも絶好調に売れていて。ポジティブな敬子さんも「やめてやる!」みたいに辛かった時期もあったんですか?

 

岡本 そんなのしょっちゅうでしたよ。でも、性格なんでしょうか、辛いことは忘れてしまいました(笑)。辛い経験も、その前のスタイリスト事務所で大変な仕事をこなしていたので、「こんなものだろう」と乗り越えてもいけましたし。くよくよもするけれど、1日寝ると「しょうがないか」と忘れてしまう。頭にくることも、理不尽なことも仕事をしていたらありますけれど、忘れちゃう(笑)。

神田 そういう感情はどうやって消化しているですか? イライラして眠れないということは?

岡本 楽しいことを考えたり、旅行に行ったりしてよく気分転換しています。眠れないほど、ということはさすがにない。イラついたところでしょうがないし、体を悪くして自分が損しちゃう。だって怒ってもイラついても状況は変わらないから。それより「寝ちゃえ!」「飲んじゃえ!」って。お酒も美味しい食事も好きなので、そんな感じで発散しています。

神田 仕事のプレッシャーやストレスも「仕方ない」と思えたらずいぶん楽になりますよね。あまり完璧主義者になりすぎると、自分も相手も苦しくなる。仕事も子育ても、家庭環境も、適度な逃げ道が必要。ストレスが多いなら、環境を変えるとか、思い切りも大切ですよね。そうそう、敬子さんも仕事を一度やめて、鎌倉に移住した時期もありましたっけ。
ファッションはライフスタイルの中にある

撮影/林洋介

ファッションはライフスタイルの中にある

岡本 会社員という枠がどうしても合わなかったみたいで(笑)。忙しく働いても働いても、お給料は散財して消えていく。25歳で結婚もしていたので、27歳の時に仕事をやめて、夫婦で「引っ越そうか」という話になり、9年くらい鎌倉に。服の好みやテイストががらりと変わったのもこの頃です。都会で着ていたおしゃれな服が全然マッチしない。素敵なレザーのジャケットや、バッグも靴もすべてカビちゃうんですよ(笑)。もう、サビとカビとの戦いです。当時、エルメスとパラブーツがコラボしていた、アザラシの毛が甲部分についたチロリアンシューズがあり、東京ではよく夫婦ではいていたのですが、鎌倉ではしばらく締まっておいた。そして久しぶりに見たら靴全体がアザラシの毛になっている。で、よくよく見たらカビが積もっていて……。もう思い切って捨てました。東京ではアリだったものが、鎌倉のライフスタイルでは合わない、と感じ、リネンやシルク、コットンなどの天然素材をこの頃からよく着はじめていました。

神田 鎌倉でゆっくり過ごすうちに、本当に好きなもの、似合うものへと、移行したんですね。

岡本 鎌倉時代は遊びで服を作ったり、半年間フランスに一人で遊びに行ったり、自分のファッション感を作るのに大事な時期だったように思います。フランスでは普通のひとたちの日常のオシャレを間近で観察できたのも楽しかった。それが29歳。その時、東京でバリバリ働いていたら、もっといろいろな人脈が広がったかもしれないけれど、人生を楽しむほうにどうしても舵をきっちゃうんです。そうやって十分に遊んでリセットした頃に、ケイトのプレスの話をいただきました。鎌倉から東京に通い、二重生活を始めたのですが、次第に忙しくなり、もう一度東京にベースを戻したんです。

神田 ご主人様(編集部注:エディタ―の岡本仁さん)との息もぴったりで、おしどり夫婦として有名です。

岡本 気が合うんです。人生の節目という大きなスパンでの気も合うのも大きいです。転機が一緒 。私が会社を辞める直前に、主人のほうから「会社辞めようと思うんだけれどどう思う?」って聞かれて。「いいんじゃないの?」「あ、そう」「まあ、私も辞めるんだけどね」って(笑)。「もう、どうする岡本家!」と笑ってしまった感じです。主人は長年勤めた出版社を辞めて、自分より若い社長のいる会社にいくからと言って、もう決めてきていました。

神田 それを素直に聞ける敬子さんはすごい。

岡本  でも、私も退社を決めていたから怒る権利も困る権利もないわけで(笑)。私は会社に所属するより、フリーランスがいいな、と。声をかけてくれた方の展示会の手伝いを始めるようになりました。しばらく続けていると、主人から「そろそろ、ひとのPRじゃなくて、自分で何かやって、それをPRするのがいいんじゃない?」と言われ、「たしかに」と思い、自分が好きなアクセサリーの作家さんとコラボレーションを初めて、KOというブランドを作りました。
「ここに頻繁に来たい」。ならば仕事にしよう!

撮影/林洋介

「ここに頻繁に来たい」。ならば仕事にしよう!

神田 その仕事は鹿児島がベースとなり、人生の楽しみのひとつになっていますね。

岡本 主人の会社が鹿児島にお店を作るときに、一緒に通ううち、きちんと自立をしてクラフトを作っている若いアーティストの方々に出会い、とても刺激を受けました。その中に好きで通っていたアクセサリーの店があったので、KOの最初の商品もそちらで作ってもらうことに。鹿児島の方々と徐々に縁が深くなり、今では家も借りていて、親にも薦めたことで、なんと親も鹿児島に移住しちゃいました(笑)。現地の皆さんのエネルギーや住みやすさに惹かれ、「ここに頻繁に通いたいな」と感じたので、まずは行く口実となる仕事を作ろうと。それからは合同展示会にアクセサリーを出展して、そこで取り扱いを希望してくれる店がシーズンごとに増えてきて、今があります。他にもたまたま通っていた眼鏡屋さんから「そんなに眼鏡が好きなら自分で作ってみたらどうですか?」と声をかけられ、眼鏡も KOで作りました。自分が「好き」と思ったものがKOの商品になり、そのまま仕事になっているという感じです。ブランド自体は最初は全然まわっていかなかったのですが、2011年からスタートして3年くらいでまわりだし、ちょっとずつ、ちょっとずつ大きくなってきています。

神田 KOのアイテムたちは個性豊かだけれど、やっぱり敬子さんのセンスでつながっている。たくさんオーダーを受けすぎないなど、個人だからこそできるバランスも大切ですよね。ブランドの仕事は細かなことも多いと思いますが、ぜんぶご自身でされているんですか?

岡本 タグつけ、検品、発送、伝票、請求書など全部やっています。自分でやれる範囲でないとブランド自体が続かないと思っているので。

神田 それもいろんな経験から、自分のできること、持続可能な範疇をわかっていて、自らきちんと動いているあたりが、敬子さんらしいです。好きなことこそ細く長く。「何事も継続は力なり」だと私もいつも思います。

岡本 仲良くしている主人の先輩から「敬子ちゃん、フリーランスの仕事は3本立てがいいよ。一本だけに絞ると、それがなくなるとすべてがなくなっちゃうから」と言われたのが頭に残っていて。複数の仕事を並走させることはいつも念頭においています。今の私はPRの仕事がひとつ、KOの仕事がひとつ、ディレクションの仕事がひとつ。この3つ。最近は、「pilli」という千駄ヶ谷のお店のディレクションも加わったので、ディレクション業が広がっている感じです。

神田 敬子さんと一緒にお仕事をするようになったきっかけは、nanadecorのパジャマを愛用してくださったことでした。私は敬子さんが睡眠のために、食事の時間にも気をつけていたり、朝はおかゆ、夕食を通常は8時まで、会食も減らしているなど、体調管理を徹底されているところに刺激を受けました。私は敬子さんのバリバリキャリア時代も知っているので(笑)。健康的な生活こそ元気の源であり、睡眠の大切さに気づき、きちんと実践されていることにリスペクトです。nanadecorは睡眠の大切さを伝え、サポートしていくためのパジャマ屋です。ここまで徹底して寝ることに取り組んでいる方はなかなかいないので、ぜひ一緒に何かをしたいと思ってお声がけしました。今は敬子さんと一緒にコラボ商品を持って地方にもうかがいますが、行く先々、全国津々浦々に敬子ファンがいらして。

撮影/林洋介

岡本 完売してしまうことも多いと聞いて、本当に有り難く思っています。オーガニックコットンの素晴らしさも改めて感じることができて、皆様にもお知らせできて嬉しいです。最近始めた「Pilli」も他では探せないような私が好きなアイテムを揃えているので、わざわざ地方から見に来てくださる方も多いんです。こちらも感謝です。

神田 ライフステージによって仕事も拠点も軽やかに変えていく、いつもハッピーな敬子さん。ますます今後の展開が楽しみ!

岡本 ありがとうございます。
聞き手:神田恵実/nanadecor ディレクター/Juliette主宰

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