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誰でも始められる「忖度しないで生きる」コツ [おとなスタイル]

2017年11月23日(木) 10時00分配信

経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さん。

「おとな」になるって、どういうこと?
何を身につけ、何を知れば、自信を持って、心地よく生きられるのですか?
50代の心と頭をほぐすために、各界の第一人者に「今、必要なこと」を尋ねました。

「忖度よりも対話ができることがおとなの条件」とお話しをしてくださったのは、経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さん。暉峻さんが実践してきたことなどをうかがいました。

忖度するから、失敗するのね

これだけ多くのツールがあるのに、私たちにはなぜ、語り合う場がないのだろう? それは、「日本人は、考えないように教育されてきたから」だと、暉峻さんは言う。
「封建制度だった徳川幕府の時代から、日本は“出る杭は打たれる”社会。他の国では『もっと自由を!』ということで市民革命が起こったけれど、日本にはそれがなかった。さらに、明治時代に入って政府ができ、各藩が持っていた個性まで失ってしまったんです。そのとき生まれたのが、標準語。さらに、作文に力を入れてやらせたことで、もっとも本質的な対話の言葉を、人々から奪ってしまった。文字で書かれている文章なんて、本当は亜流だったんですよ。それなのに今は、実感がこもった話し言葉のほうが隅に追いやられている。とても残念なことです」

また、対話がなくなることで、生まれるものがある。それが、最近ニュースで取りざたされた、あの“忖度”だ。
「日本は島国で、ヨーロッパのように価値観の違う人たちが自由自在に行き来する社会じゃない。だから、皆が同じ考えだということを前提にしての忖度が成り立つんです。思いを言葉にしなくても忖度で汲んでくれる相手は楽だから、政治家やトップの人たちは、そういう人たちで周囲を固めてしまう。それで対話を失って、失敗するのね」
相手を理解したい、親しくわかり合いたい……対話は、そんな人間的な本能に基づくもの。その重要性を伝えたくて、近年、暉峻さんは研究会の名称を「対話的研究会」とあらためた。
「人とつながることで、人間の本性に基づいた言葉をもう一度、皆さんに取り戻してほしいと思った。ただ知識をまくしたてるのではなく、自分の頭でよく考えて、感じたことを言葉にして、皆からの反響を聞き、それによってまた発見し……長く参加するほど、自分の価値に目覚めていく、そういう会であってほしいと願っているんです」

現在、対話的研究会の参加者のうち、50代は最若手に当たるという。
「見方を変えると、50代くらいになってはじめて余裕が出てくるということかしら。仕事や子育てからもある程度解放されて、ひとりの時間も抵抗なく持てるようになると、狭い世間のことだけじゃなく、社会のこと、世界のことを知らなきゃいけないと思い始める。自分のことを振り返っても、自分の思いがどのくらい普遍性を持っているかをわきまえて本を書けるようになったのが、やはり50代からでした」

おとなは、自分なりのやり方で進歩できる

そして、みずみずしい心を開いてさえいられれば、真の飛躍はおとな世代からこそ可能なのかもしれない。
暉峻さんはウイーン大学で客員教授を務めていた60代、ふとした出会いがきっかけで旧ユーゴスラビアの難民支援活動に携わりはじめ、現在まで20年以上も続けている。きっかけとなったのも、ある対話の記憶だった。少女時代、母方の祖母と交わし、刻まれた言葉。
「自分が幸せなときに『ああ、私は幸せでよかった』としか思わないような人間は罰当たりなのよ、って、祖母はいつも言っていたんです。自分が幸せなのにそうでない人がいる、どうして自分は幸せでいられるのか、よくよく考えなくてはだめだと。私自身は、職業を持っていて、夫も子どもも健康で、本も書けていて、ほどほどの収入もあった。表面的には幸せ。だけど、何か違うんじゃないかという気がしていたのは、やはり『罰当たり』だったということじゃないかしら。で、いくらかできた余裕を、これからは人のために役立つことに使いたいと思ったとき、難民の人たちと出会ったのね。私が恐れていたのは、自分の幸せに舞い上がってしまって、世の中の不幸から目を背そむけたら、いつか私は自分を信じられなくなるんじゃないかということ。『気の毒だ』と思ったらサッと手を差し伸べられる、そういう普通の人間の感覚を失わずにいられたら、この先も、自分を信じていけるでしょう?」

それが、人として生きる幸せ。自分を信じられるからこそ他人に話しかけられるし、相手を認め、信頼関係を築く対話もできる。暉峻さんが実践してきたことは、きっと誰にも始められるのだ。おとなであるならば。
「人生50年といわれていた時代ならば、もう円熟の極みに達していなければいけないでしょうけど、今は人生80年時代。まだまだ積むものがあると思えば、年をとることも楽しみになるでしょう? 経験を得て、感情も知識も一途なだけでなくある程度深みができて、自由さ、融通性が持てる。だから、過度にうぬぼれることもなく、ちゃんと自分のやり方で進歩できるはずです」

最近、対話をしている最中、暉峻さんは、ある幸福を発見したという。
「『若返りの妙薬を手に入れたら、何歳まで若返りたいか』という話を、皆でしていたんです。多かったのはやっぱり、熟年の頃。私も考えてみた。もちろん50代まで戻れば、今よりもっと思考や行動のスピードが上がる。しみもしわもなくなるしね(笑)。でも、ものごとを深く、多面的に考えるということにおいては、50代の頃より、私は進歩しているんですよ。そのすべてをなしにして戻るのだったら、私は戻りたくないと思った。そういう自分を、はじめて発見したの」

そう語った笑顔が、この日最上のものであったことを、憧憬を込めて記す。

“幸福な今だから、生まれた余裕を
誰かのために使いたい
普通の感覚を失わなければ、
自分を信じて生きていけます”
■Profile
暉峻淑子(てるおかいつこ)さん
埼玉大学名誉教授 ・ 経済学者
埼玉大学、鶴見女子大学、日本女子大学、ベルリン自由大学、ウイーン大学など世界各国で教鞭をとりながら、ベストセラー『豊かさとは何か』をはじめ『豊かさの条件』『社会人の生き方』(以上、岩波新書)など、豊かな知見に基づく著書を多数出版。最新刊は、研究会での発見をもとに著された『対話する社会へ』(岩波新書)。2012年には、長年の人道支援活動に対し、セルビア共和国から功労金章が授与された。

〈History〉
1928   大阪市に生まれる
1947~  日本女子大学文学部卒業
農林省(当時)、東京大学・東畑精一の助手をしながら、
法政大学大学院で経済学を学ぶ
1953   経済学者・暉峻衆三氏と結婚のちに二子を儲ける
1963   法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程修了
1963~72 鶴見女子大学講師
1977~  埼玉大学教授 ’91年より同大名誉教授
1993~  ウイーン大学在任中に旧ユーゴ難民支援を開始
2008   NGO/NPO法人国際市民ネットワークを設立
2010~  公共研究会(現・対話的研究会)を開始

 

 

『おとなスタイル』Vol.8 2017夏号より
撮影/大河内 禎

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