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忖度よりも対話ができること、それがおとなの条件 [おとなスタイル]

2017年11月20日(月) 10時00分配信

経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さん。

「おとな」になるって、どういうこと?
何を身につけ、何を知れば、自信を持って、心地よく生きられるのですか?
50代の心と頭をほぐすために、各界の第一人者に「今、必要なこと」を尋ねる連載第1回に登場するのは、経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さん。
経済的な豊かさより、もっともっと贅沢で、大切なことがあるって、本当ですか?
自分の人格のすべてを持ち込んで、語り合う

参加者たちが熱心な聞き手であることにも感銘を受ける。「対話は聞く姿勢があってこそ成り立つもの」と暉峻さん。

自分の人格のすべてを持ち込んで、語り合う

政治、経済のニュース。数々の社会問題や国際情勢。職場やコミュニティーなどで見聞きするトラブルの種……。日々、目に映り、耳に飛び込んでくる出来事について、あなたは、身近な人とじっくり話しているだろうか?
愚痴や不満は漏らしても、政治や社会の問題については考え方の違いもあるし、生活に密着した出来事はかえって話題にしにくくて……と、つい二の足を踏みがち。問題を共有する者同士、思い切り話せる場があれば―そんな願いを叶える小さな会合が、毎月、都会の一隅で開かれている。
東京・練馬区の公共施設で月1回、夕刻に始まる「対話的研究会」。毎回、さまざまなジャンルのテーマが設定され、20名ほどの参加者が円卓を囲み、あらかじめ決められた報告者からの問題提起をきっかけに、おのおのの考えを表明し、話し合う。いずれも近隣に住まうおとなたちで、職業を持つ人もいれば、主婦やリタイア組など、年齢も肩書も異なる顔ぶれだ。

その創設メンバーのひとりが、経済学者の暉峻淑子さん。国内外の大学で研究のかたわら教鞭をとり、89歳の現在も執筆活動に励む人が、座の精神的な支柱役を7年間、務めてきた。
「私はガイドも何もしていないの。ただ、同じジャンルのテーマが何度も並ばないように、同じ人が何度も報告者にならないように……その辺を振り分ける係を引き受けているだけ。本当に、自発的な会なんです」
発端となったのは、2010年に区で開かれた、自治基本条例作りにまつわる講演会。そこにたまたま集った、暉峻さんをはじめとした住民たちの中から、当日の講演の内容についての疑問や不満が湧き出したのだ。
「地方自治体を住民の手で動かそう、そんな希望を持って専門家の先生をお呼びしたのに、何だかぼけたような話で、皆、怒っちゃって。話し足りないという人たちでそのまま喫茶店に流れて、議論を始めたんですが、本当にやりたかったのはこういうことだよね、ということに気づいたんです」
皆が求めていたのは、一方的な話を受け身で聞くことではなく、人と人が問題を共有し、顔を突き合わせ心ゆくまで語り合うこと。こうして、月1回のペースで例会が開催され、現在まで継続されているのである。

当初の名称は「公共研究会」。その名の通り自治にまつわる問題、地域の課題が中心だったが、その後、テーマは教育のあり方、医療や福祉の問題、原発など時事問題へと次第に拡大。近年は病や介護など、自身の体験をもとにした報告も数多い。報告者や参加者ひとりひとりは一般市民で、分野の専門家というわけではないが、だからこそのよさがあると暉峻さんは言う。
「報告者は一所懸命に調べて報告するし、参加者はそれをしっかり聞いて語り合う。堅いと思われるテーマでも、けっこう皆さん、率直に発言されるんですよ。それも、誰かから教わったとか、本や新聞に書いてあるようなことでなく、自分の気持ちを。私、そこが素敵だなと思ったの。生活実感というか、生活体験、経験の中から出てきた意見だから、言葉が浮ついていなくて。未熟ながらも目覚めている人同士だから、議論も質問もしやすいのね」
しかし、コミュニティー内の集まりとはいっても、20人もの他者を相手にしての会合である。ひるんだり、つい言い淀む人もあるのでは? と尋ねると、暉峻さんはにんまり笑う。

「皆さん、最初は『私なんか、とても』とおっしゃいます。でも、私は『待てよ』と思った。人間であるからには、何か言いたいことはあるはずだと。それで、義務として、参加する人には報告をしてもらうことに決めたんです。そうしたら皆さん、自分の番になったら、実に堂々と役目を果たされるんですよ。『ほらやっぱり!』って」
ときには、意見がぶつかり合うこともある。暉峻さんが話したのは、介護問題を話し合ったある会の例。
「報告者が『私たちはもっと弱い人に寄り添わねば』と話したら、出席したひとりが『寄り添うなんて気持ち悪い。私は寄り添われても困る!』と言って、聞いた皆が大笑い。面白いですよね。
もっとも大事なことは、自分の体全体、人格のすべてを持ち込むこと。ディスカッションやディベートは論理の正しさを突き詰めるものだけれど、対話は感情を持ち込んでもかまわない。言いにくそうに言う、悲しそうに話す、ときには、言葉がなかなか出てこないという状況も、その人の表現のひとつ。それが、対話というものなんです」

4月に行われた「対話的研究会」例会のテーマは憲法改正。憲法の歴史と政府の改正草案をもとに、3時間にわたって活発な対話が繰り広げられた。

“人とつながり、対話する

言葉を取り戻せば、人は必ず

自分の価値に目覚めていくはず”

根本的に思考し、感受性を突き詰めて

話をする。話を聞く。対話を通して人は、意識することのなかった、自分の姿を知る。最初は模範生のような意見ばかり言っていた人が、次第に本音をさらけ出すようになる場面も多々目にしてきたという、7年間の営み。しかし「いちばん過激なのは、やっぱり私かな」と、暉峻さんは笑う。彼女の言う「過激」とは、いつでもラディカル=根本的に考えているということ。
「何でも『ああ、まあ、いいや』って流せるほど、善意な人間じゃないんです。たとえば、政治家が何かさわりのいい抽象語を言ったときは、必ず疑ってかかる。『美しい国』なんて言われたら、美しいってどういうことなのかと、具体的なところまで降りていかなければ気が済まない。そうしないと、神経の回路はどんどん鈍るし、衰えていく。危険なことですよ」

ラディカルであることへの目覚めは、幼い頃。家庭での原体験だった。
「父は自然科学者でしたけど、自然科学には抽象的なことがないですよね。元素の分析とか、究めるところまで究める学問。だから、父親が家で私たちと話すときも、ものごとの本質に触れるところまで掘り下げるような言葉の使い方をすることが多かったように思います。もうひとつは、ピアノを習ったこと。ひとつ鍵盤を叩いても、遠くまで跳ねるような音になったり、ものすごく悲しい音になったり……と、都度、自分なりに感じることがあった。ひとつひとつの音をどんな音にしようかと考えて弾くことは、感受性を突き詰める訓練になったんじゃないかしら」

突き詰めるには、精神の自由が必要。
昭和3年生まれの暉峻さんの少女時代は、それがもっとも制限された戦時中にあたる。しかし、少数であっても気持ちの通じる教育者の存在が幸いした。
「先生たちの中には、大正デモクラシーの頃に教育を受けた方たちが、けっこういらしたのね。そういう先生は、理想主義的でロマンを持っていて、軍国主義教育が嫌い。文学なら芥川龍之介の作品を課題にするし、音楽の時間にも『海ゆかば』なんて絶対に教えないんです(笑)。で、そういうリベラルな人を、子どもは見抜くの。軍国主義がいいのか平和がいいのか、どこでその判断をつけていくかというと、それは人間的であるかどうか。理屈はどんなふうにもつけられるけれど、よりよく生きたいという人間の願いは、ごまかそうとしてもごまかせないから」
もっともっと突き詰めたい。その思いは、文学少女だった暉峻さんに経済学への道を開いた。文学を深く理解するには、社会を知らなくてはならない。
その社会の基盤が経済である――と。

卒寿を前に、ますます意欲旺盛。執筆や調べもので徹夜になる日も。

“平和がいいのか、争いを選ぶのか。

理屈はどうにでもつけられます。

でも、よりよく生きたいという、

人間の願いだけは、ごまかせない”
考える力。それは、「関連づける」能力だった

ひとつひとつの音を、確かめながら。ピアノとの向き合い方もまた「対話的」。

考える力。それは、「関連づける」能力だった

「研究でも、『どうしてこんなことが起こったんだろう?』と思うと、足を運んで、生の声を聞いて知りたくなる。
そうじゃないと、納得できないんですよ。一般の学者は、文献だけで論文や本を書くでしょう? 皆さん、よほど人格者でいらっしゃるというか、騙されやすいというか……(笑)。そんなふうに、学者として私はわりあい経験を積んでいるほうなので、研究会でどんなテーマが話題に上っても、『何のこと?』ということがないんです」
それは、どんなことでも自分と関連づけて思考できるということだ。「関連づける能力がない人は、考える力のない人」と、暉峻さんもズバリと言う。
「たとえば、今日買ったきゅうりが1本35円だったことは、誰でも生活に関連づけられる。でも、シリア情勢と自分の生活を関連づけることのできない人は多いでしょう? 『どうしてアメリカは前触れもなくシリアにミサイルを打ち込んだのか』『難民にならずにシリアに留まる人はどんな人だろう』と、遠くの出来事を自分に関連づけて考える人の思考は広く、深くなる。そうすると何がいいかというと、判断力がついてくるんですね。きゅうりの値段しか考えられない人は、何か判断を迫られたときに、間違えやすいの」

自分に関係のない出来事なんて、この世には何もない――それが、89年間、世の中を見つめ、思考し続けてきた暉峻さんの結論。そして、その思考は、他者と向き合って対話をすることで、さらに深められるのだという。
「ネットで言い合うのは、私に言わせると、対話じゃないんです。なぜって、そこには全人格が持ち込まれないから。ネットでむちゃくちゃに人の悪口を言えるのは、相手を前にしていないからでしょう? 口ではどうとでも言えても、顔を見ればわかるっていうことがあるように、肉体が語るものはとても大きい。人と一緒にいて、認められてうれしくなったり、『あの人は私とは違う』と思うことで、逆に自分を発見したりする。コミュニケーションは発達の培養土。他者との関わりの中で、人はさまざまなものを得るんです」
■Profile
暉峻淑子(てるおかいつこ)さん
埼玉大学名誉教授 ・ 経済学者
埼玉大学、鶴見女子大学、日本女子大学、ベルリン自由大学、ウイーン大学など世界各国で教鞭をとりながら、ベストセラー『豊かさとは何か』をはじめ『豊かさの条件』『社会人の生き方』(以上、岩波新書)など、豊かな知見に基づく著書を多数出版。最新刊は、研究会での発見をもとに著された『対話する社会へ』(岩波新書)。2012年には、長年の人道支援活動に対し、セルビア共和国から功労金章が授与された。

〈History〉
1928   大阪市に生まれる
1947~  日本女子大学文学部卒業
農林省(当時)、東京大学・東畑精一の助手をしながら、
法政大学大学院で経済学を学ぶ
1953   経済学者・暉峻衆三氏と結婚のちに二子を儲ける
1963   法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程修了
1963~72 鶴見女子大学講師
1977~  埼玉大学教授 ’91年より同大名誉教授
1993~  ウイーン大学在任中に旧ユーゴ難民支援を開始
2008   NGO/NPO法人国際市民ネットワークを設立
2010~  公共研究会(現・対話的研究会)を開始

 

 

『おとなスタイル』Vol.8 2017夏号より
撮影/大河内 禎

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