• > “好き”を仕事に!スーパーマーケット研究家 菅原佳己さん [おとなスタイル]

“好き”を仕事に!スーパーマーケット研究家 菅原佳己さん [おとなスタイル]

2017年11月10日(金) 10時00分配信

菅原佳己さん

人生経験を積んだ50代は、今が自分の生かしどき。でも、“好き”の先の仕事をたぐり寄せるにはどうしたらいい? “好き”を原動力に自ら才能を掘り起こしたおとなたちに、そのヒントがありました。
47歳で出版した書籍『日本全国ご当地スーパー 掘り出しの逸品』が大きな話題を呼んだ、スーパーマーケット研究家、菅原佳己さんに、“好き”を仕事にするまでの過程や思いを教えていただきました。
夢は遠くではなく、あなたの身近に潜んでいる

書籍『日本全国ご当地スーパー 掘り出しの逸品』

夢は遠くではなく、あなたの身近に潜んでいる

「何もできない」と諦めていた、私を変えてくれた暗黒時代
今ではメディアなどで華々しく活躍する彼女も、そこに至るまでの日々は「ずっとモヤモヤしていた」と打ち明ける。
「サラリーマンの夫には数年ごとに転勤があったので、働くといっても就職というわけにはいかず、アルバイト程度。そんな仕事でも信頼を得ようと頑張ってはいたのですが、次の転勤が決まれば、自分の意思とは無関係に、しかも唐突に辞めざるを得ません。結婚前には放送作家をやっていたのですが、あまりの忙しさに自分から放り出してしまった。それ以来、自分は何をやっても最後までできない人間なんだというコンプレックスもありました。
第一線で活躍する当時の仲間の番組を目にするたびに落ち込んで、自分はこういう人生を生きていくしかないんだろうな、って」

第一子を妊娠したのは結婚16年目の41歳、何度目かの転勤で東京に住んでいた時だった。出産と同時にマンションを購入し、菅原さんは今までとは違う生活を思い描き始める。当たり前だと思っていた転勤ではなく、夫の単身赴任の可能性である。
「“根無し草にやっと根が生えた”という感じで。出産後には出版社で仕事も再開し、“私はここで子育てをするんだ”と思っていました。でも娘が1歳になった頃、夫がまた名古屋に転勤することになってしまって。いろいろ話し合った末に、私が意地を張る形で東京に残ったのですが、働きながらひとりで子育てするのは本当に大変でしたね。その冬に限って、子どもが外で3回もノロウイルスをもらってきて、私も周囲が心配するほどやせ細り、結局は半年で音を上げました。その時は“また最後までできなかった”という敗北感で、魂が抜けたような状態になってしまって……本当に暗黒の時代だったと思います」

ようやく前向きな意欲がわいてきたのは子どもが幼稚園に入った頃。まずは「転勤があることを前提に、それでも続けられる仕事」へと発想を転換した。短大の写真学科に通った経験があるので写真は撮れる。雑誌編集の手伝いをしていたので文章も少しなら書ける。赤ちゃんを育てた経験もあるし、その喜びも知っている。そこから発想したのが、ネット上で販売するお母さんのための情報誌「赤ちゃん新聞」だ。
「注文してくださった方からは好評でしたが、商売にはなかなかならなかったですね。でも自分が書いたもので誰かが喜んでくれることが嬉しくて。自分は書くことが好きなんだと再認識して、それなら何か書いてみようと」

思いついたのは、昔から国内旅行に行くたびに趣味で撮りためていた、地方のスーパーマーケットと、そこにあった面白い商品の写真だ。友達に話せば「すごい! 面白い!」と言ってもらえるそれらの情報を、もっと多くの人に伝えることはできないか。前職、パソコンもスマホもなかった時代の放送作家の性さがで、わからないことは電話をかけて質問し、ノートに記録もしてある――本にできるかもしれない。手始めに何度も住んだことのある名古屋の地元商品をテーマにしたページのサンプルを作り、アルバイト先だった東京の出版社の編集者に「えいっ!」と送った。そのワンクリックが、菅原さんの道を開く。
私にできることなんて些細なこと。でも今は、それが本当に楽しい

失敗しても大したことじゃない、だから50歳は挑戦できる

私にできることなんて些細なこと。でも今は、それが本当に楽しい

「主婦の生活は毎日同じことの繰り返しで、受け身で待っているだけじゃ日々は何も面白くならない。こう言っている私だって大方は待っていたんです。限られた環境の中で、致し方なく選んだ仕事しかしていなかったんですから。
“赤ちゃん新聞”は、初めての自分からのアクションでした。そうやってやみくもにでも一歩踏み出したから、その次に“本を書こう”という発想になったんだと思います。これが若い頃ならいろいろな状況を先回りして考えて“やっぱり無理”と諦めていたかも。たいがいのことは何とかなる、失敗しても大したことじゃないと思える心の余裕があったのは、この年齢だったから。ここで踏み出すか踏み出さないかで、その後は全然変わっていたと思います。たった一歩だけど、“0と1”じゃなく“0と100”くらい違う」

かつて「ずーっとモヤモヤしていた」頃、菅原さんにはそんな中にも、根拠のない自信のような、予感のようなものがあったらしい。
曰く「私は今は遊んでいるけれど、みんながリタイアする頃には働いている気がする」。
今振り返ってみると、ずいぶん遠い夢を見ていたんだなあと感じる。
「例えば、バリバリ働いている学生時代の同級生が海外出張に行くという話を聞けば、“私も海外出張に行けるくらいになりたい”と思ってしまいますよね。でもそうなるために今日何をしたらいいのかは、具体的には何もわからない。あの頃は自分もそうで、できそうにないことばかり追い求めていました。でも結局は、自分にできることしかできない。私にできたのは、自分が見つけ出したものに、“こんなに面白いんだよ”という120文字の紹介文を書くことだけ。でも今はそれが本当に貴いと思うし、本当に楽しい。こんな簡単なことだったんだ、と気づいたんです。あの暗黒時代があったからそれがわかったんだなと思うと、転勤続きだった夫にも感謝しているんですよ」

伊勢糀屋の「糀ぷりん」。

“世の中すべてのプリンに糀とたまり醤油を入れていいと思うほどの美味しさ”。

これらがスーパーで買えるとは驚きです。

島根県平和亭のポン酢「つゆぽん」は“ボトルの可愛さ、万能な味、全部大好き”。/伊勢糀屋には定番のたまり醤油「伊勢溜まり」も。/山形県ゆきんこの「雪割納豆」は“地元の名品を復活させた兄弟社長の心意気に拍手”。

好きを仕事にするための3箇条

【1】暗黒時代こそ、自分を変えるチャンス

【2】自分にできることから、まずは始める

【3】最初の一歩を踏み出せば、すべてが変わる
■Profile
菅原佳己さん
すがわらよしみ/1965年、東京生まれ。放送作家として「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などに参加。25歳で結婚し、夫の転勤で国内外を転々とするうち地元スーパーの魅力にハマり、’12年に『日本全国ご当地スーパー 掘り出しの逸品』を上梓。現在、スーパーマーケット研究家としてTVや新聞などで活躍中。

 
『おとなスタイル』Vol.8 2017夏号より
撮影/古谷勝

【関連記事】

NEWS&TOPICS一覧に戻る

ミモレ
FRaU DWbDG
  • FRaU DWbDG
  • 成熟に向かう大人の女性へ
  • ワーママ
  • Aiプレミアムクラブ会員募集中!

このページのTOPへ戻る