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TOP美界コラム齋藤薫の美容自身 > 2008年4月
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2008年4月号
photographs: Yoshiaki Toda
styling: Hiromi Hosoda
幸せと不幸せ……。これまで何度となく取り上げてきたテーマである。だって“幸せになること”は、女が人生において最優先すること。突き詰めていけば、キレイになることも、自分を磨くことも、いい出会いもいい恋もいい結婚も、すべては“幸せ”を手に入れるための手段に他ならない。男はあんまり「オレ幸せになりたい」とは言わないから、“幸せになること”は女の本能なのだろう。そんなに重要なことなのに、女たちはまだ幸せになる直接的な方法を掴んでいない。知っているようで知らない。たぶん幸せについては雑多な情報がありすぎるから……。
 さて「幸せになるには一体何が必要ですか?」と聞かれたら、たとえばあなたは何と答えるのだろう。美貌? 努力? それとも運? それらはいずれも邪魔にはならないが、なんだか決め手に欠ける。絶対に必要なものをひとつだけ、というのなら、むしろここでは“感性”を挙げたいと思う。なぜなら幸せって、本当は“掴む”ものじゃなく感じるもの、感じ続けるものだからである。
 確かに幸せは“掴む”と表現する。ドラマのハッピーエンドは“幸せを掴む”ところで終わっている。けれどそういう終わり方をした物語は、そのあと一体どうなるのだろうと、いつも心配になる。だって実生活においては、ハッピーエンドなんてありえない。エンドはすべからく死ぬ時で、仮に“幸せを掴んだ”としても掴んだあとそれをどうするかが問題。手のひらの中にある幸せも、一生そのままの形ではない、翌日から“変形し、変質していく”からだ。幸せは達成より継続のほうがむしろ難しいのである。
 単に、いつもきれいに着飾って美味しいものを食べて、何でも値札を見ずに買い物ができる生活をイコール幸せとするなら、お金持ちとの結婚こそがゴールとなるのかもしれないが、でも夫が浮気するかもしれないし、子供が遊びほうけるかもしれない。そして何より、そういう暮らしが日常になると退屈だ。“美貌”で掴んだ幸せも、狙いを定めて勝ち取った幸せも、運で舞い込んだ幸せも、そこに到達した瞬間が幸せなほど、それを持続させるのは至難の業。もちろんそれは“平凡な幸せ”も同様で、ほのぼのとした幸せも毎週同じことの繰り返しでは、さすがに飽きてくる。
 だからこそ“感性”が不可欠なのだ。退屈から女を救ってくれるたったひとつのものが“感性”。一方、贅沢できないつましい暮らしに幸せを継続的に運んできてくれるのもまた感性。感性さえあれば、まるで錬金術のようにお金もヒマも平凡も貧乏も、何もかもが“幸せ”に変えられるのだ。
 まずだいたいどんな人との間にも知的な会話がアレンジできる。毎日の食卓を目にも舌にも美味しい料理やキャンドルで、充実したものにできるのは言うまでもなく感性。毎回趣向を凝らして飽きさせない演出を、感性さえあれば面倒と思わずやっている。もちろん休日の使い方も今日は買い物、今日は美術館、今日はお天気がいいからピクニックだ、釣りだ、とまるでいつも“旅先”にもなるようなアレンジのきいた日常が送れてしまう。たとえお金がふんだんになくったって心はいつも豊か……。
 そう考えてみると、幸せとは既成のものじゃなく、自らがせっせと作り上げ、編みだすもの。感性ある人は、何の苦労も迷いもなく、日々新しい幸せを生みだしているから、幸せなのだ。それができない人は、幸せを待ったり、どこにあるの?と探してしまうから、不幸せなのである。
 でも感性がないと幸せになれない、もっと大きな理由がある。それは、幸せを幸せと感じられない“幸せ不感症”になりがちだからだ。
 同じような暮らしをしていても、それを幸せと感じる人と感じない人がいる。どんなにいい条件を揃えられても、それを幸せと感じる心がなければ、その人は一生不幸である。しかもそういう人は自分が幸せではないのを、その境遇のせいにし、もっと別の場所はないの?と探す。でも幸せ不感症だから、場所を変えても幸福感は絶対やってこない。だいたいが、“幸せ”なんてものは、これとこれが“幸せ”ですと言えるような具体的な形があるわけじゃない。これが幸せという定義はないのだ。
 また幸せかどうかは、ある意味比較でしか測れないが、自分よりいっぱい何かを持ってる人と比べれば、自分は必ず不幸になるしくみになっている。年収100億円の人が、年収1000億円の人と自分を比べて、すごく不幸と思うみたいに、ハッキリ言って比較には何の意味もない。逆に年収10億円の人より幸せと思うのも、何か浅ましい。それも感性がない不感症だから比較に走ってしまうのだ。
 そんな比較などなしに、どっからでも幸せを引っぱり出してこられる魔法のポケット、それが感性だって知ってほしい。黙って食べれば10分で終わる食事を、知的な会話で3時間にも引きのばせること、それが幸せだって早く気づくべきである。
column.1
あの時よりは幸せ、
昨年よりは幸せ、
その積み重ねが幸せ
 幸せかどうかは、結局のところ、何かとの比較でしか測れないと言った。けれど、自分より遥かにたくさんのものを持っている人と自分をわざわざ比較して、?自分は不幸?と思うのは、まったくナンセンスである。
 だから人と自分の比較はいけない。やっても意味がない。上を見ればキリがなく、すべてを手に入れたとたんに、まだ上があることに気付くのだから。
 比較すべきは、他人の幸せではなく、自分自身。たとえば、何もかもうまくいかなくなって、これ以上ないくらいのドン底の時って、逆にラッキーと思うべきなのだという説がある。これから先、たぶん何があっても「あの時よりはマシ」「あれよりは今のほうが幸せ」という比較の対象となるからである。
 結局のところ、日常の何気ないシーンにおいて人がふと幸せを感じる時って、それ以前より、今のほうがベターであると確信できる瞬間に他ならないと思う。要は?過去の自分?より、?今の自分?が幸せって思える、その比較がいちばん正しい幸せなのだ。
 だから人は、昨年より、1ヵ月前より、昨日より、ほんの少しでもいいから、?良くなっていること?が大事。ちょっとずつでも?後退?していく人生は、そのまま不幸な人生。1%ずつでもいいから上向きに良くなっていく、それが幸せになる最大のヒケツ。だから昨日より今日。

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