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日本の女は今、 身も心もちょっと インナーデリケート |
かつて“自称敏感肌”という“肌質”があった。自分の肌は敏感と思いこんでいる、あるいは心のどこかで敏感肌にあこがれ、敏感肌のふりをしている肌たちが・・・・・・。
そして、こういう“肌質”が存在したのはたぶん日本だけ。やっぱり日本には、かよわい女ほど美しいという美意識が残っていたのである。そして、自分を弱きものに見せたがった女は、内面が案外したたか。
なるほど女は、自分の内面とは逆の女に見られようとするようだ。
しかし最近は、“自称敏感肌”がめっきり減り、まったく逆に強いふりして、じつは弱さをはらんでいる“自称健康肌”が増えている。つまり、外側は角質ケアや毛穴ケアでピンピンつるつるの丈夫そうな肌をしているのに、じつはちょっとした刺激で不安定になりがちな、インナーデリケートな肌も増えているってこと。
1990年代、“強い女”“媚びない女”が流行ったせいだろうか? 江角マキコみたいな、スパッとした女がやたらカッコよく見えたのは確か。だからみんな美脚パンツをはいて、サッソウと街をカッポしていたわけだけど、でも心はむしろ弱っていた。いや逆に、名実ともに男女平等と相なって、じつはひそかに疲れきっていた女たち、それを隠すために、強い女を装っていたという見方もチラホラ。女はいつの時代も心と体は“裏腹”なんである。
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一見強いのにじつは弱い、でも前に進むしかないから、とても辛い。“インナードライ”ならぬ“インナーデリケート”な女たちは、そういう意味でとても不器用だ。
一方にいる、一見弱そうだけれども、じつは強い女たちは、人と正面からぶつかることもないから、ひっそりと、一応は穏やかに生きている。“強く見える強さ”より“弱く見える強さ”のほうが生きる上では楽なのかもしれない。
だから、“強い女も”、自分の心の弱さをもっと素直に認め、ぴんと張りつづけてきた糸を少しゆるめるべき。何かがぶつかってきても、一度へこんでみて、その反動でそれをはね返すような、柔軟な受けとめ方をしてみるべきだということ。前へ前へひたすら前へ進むのではなく、前へ進んだり、たまに後ろに後ずさりしながら進むのもいいのじゃないか。
そして、まわりが“強い女たち”だらけで、くたくたという人・・・・・・あなたもじつは、ここでいう強い女なのじゃないか? 人から強く見えていても、じつは弱い、インナーデリケートな女だから、くたくたなんじゃないのか? 強さは不器用さ、強さは弱さ。そして強いから傷つく・・・・・・だからあなたは今、くたくたなのではないか? |