“ふつう”の人が正しくのびていくのも、人間には本来、まっすぐ上にのびていく本能があって、それがまっとうに働くからである。そして成功する人は、あくまで“ふつう”の感性があった上で、人より努力したり、人より才能があったから成功した。もともと“ふつう”だったからこそ、世の中が何を望んでいるかを知っていて、だから成功したのだ。
ちなみに、ふつうすぎて目立たない、誰の心にもひっかからない、そういう“ふつう”が悩みという人もいるかもしれないが、誰の心にも引っかからないのは、逆から言えば、すべての人をホッとさせる存在。そして人をホッとさせる人だけが、人の心にじんわり残る存在になるはずだ。自分を必要以上に大きく見せないからこその“ふつう”。謙虚な人はみんな“ふつう”に見える。だから人は目立たなくても何でも、大人になるほど“ふつう”になるべきなのだ。
逆から言うなら、“ふつう”であるほうがずっと難しい。“ふつう”とは“正しさ”であり、本当の意味での賢さ。ファッションに置きかえればわかりやすいかもしれない。オーソドックスなものをセンスよく着るのが、じつはいちばんオシャレ、でもいちばん難しい。だから多くの人は、ふつうじゃない派手なものを着て目立とうとする。ふつうのものを着て人をハッとさせる努力を省くのだ。でも勝つのは結局、ふつうなのにオシャレな人。それと一緒で、最後に勝つのは“ふつう”。だから“ふつうのOL”だって“ふつうの子”だっていいじゃない? |
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なぜ今、“ふつうの 女”がトレンドに なりつつあるのか? |
ここ1〜2年、支持率が一気に高まった女優たちを一堂に集めてみると、これといって特徴のない、言ってみれば“ふつうの女性”たちばかり。 まず長谷川京子に、矢田亜希子。そして竹内結子あたりも。もちろんみんなキレイでステキ、でもみんな、言ってみれば“ふつう”である。自分たちのまわりにいたとしてもおかしくない、だから長谷川京子はCMで“保険のおねえさん”などもやってしまうし、矢田亜希子も保育園の先生などをやれてしまう。米倉涼子にはできなかった役柄だ。そして、竹内結子はもっとさらに“ふつう”な感じ。まさに古き佳き時代の女がハマる、ススんでいない感じ。でもそれがウケる時代なんである。
ここでも見落とさないでほしいのが、彼女たちが醸し出している“ふつうオーラ”の意味。“古き佳き時代”がそもそも何を意味していたのかと言えば、“古めかしい奥ゆかしさ”とかではなく、女としての“正しさ”。つまり“ふつうの女”は、イコール“正しい女”なのだ。
矢田亜希子も女性としてとても正しそうだし、竹内結子は“人として正しい顔だち”をしてる、そして長谷川京子も、人気が出るほど、正しい女のもつ清潔感が増してきている。それも自分を必要以上に押し出さない“ふつうの人”の感性がもたらす清潔感。だから今、私たちもなおさらふつうでいい。ふつうがいい。
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