そういうふうに女への尊敬を心に住まわせた男は、おそらく次の恋愛では、もう少しまっとうな“人間”になっているだろう。魂のちゃんと通った“人間”として恋愛をし、やがて幸せを手にしていくはずで、だからよけいに“正しい女”を心穏やかに思い出すことができるのである。
かくして、人間の形成や他人の人生にわずかでも影響を与えるために、人はいくつもの恋愛を繰り返しながら大人になっていくのではないだろうか。いやそうでないと、恋愛なんて、幾度繰り返しても意味がない。別れたあとで“あとを引く女”や“あとを引く男”から、人間としての正しさを学んでいく、そういう恋愛でなければ、ドロ沼の恋愛なんて人間を意地悪くするだけ。だから女はなるべく若いうちから、恋愛に対しても“正しい女”でのぞむべきなのだ。“あとを引く女”になるためにも・・・・・・。
本人にその自覚がなくても、別れた男の心に住みつくような女は、知らないうちに厚みや奥ゆきをもっていく。別れた男に尊敬されるほどの女は、それだけで存在に輝きが宿ってくる。そうでなければ、女はなぜ悲しい恋愛なんかするのだろう。
結果として、自分は人を憎まなかった、別れ際も誇り高く、理性的な人間でいられた、そういうギリギリのガマンが、あとになって“人格”として育ってくる。立派な別れ方をすると、人格が育つのだ。悲しみやくやしさに暮れて終わるような恋愛だって、その時恥ずかしくない自分でいれば、やがてそれが血となり肉となって立派な女ができあがっていく。だからこそ、せっかく恋愛をするのなら“あとを引く女”になっておくべきである。そういう恋愛をすべきでなのである。 |
 |
 |
|
男のほうが “あとを引く” その本当の理由 |
別れた恋人をいつまでも心に住まわせているのは男のほう・・・・・・これはもう世界の常識。女のほうが現実的だから、新しい彼氏ができればすぐ気持ちが切りかえられて、前カレを記憶の彼方に追いやることができるが、男はロマンチストだから、いつまでも“あとを引く”のだと説明されれば、それもごもっとも。
私たち女は確かに現実的である。もともと原野をかけまわって獲物をさがしていた男の視野はあいまいに広く、それに比べてタテ穴式住居か何かでごはんを作っていた女は、当然視野が狭く、目先のことしか見ていない。そういうDNAから、女は今目に見えるものしか信じない傾向にあるのは確か。
でも“あとを引かない”もっと確かな理由は、“あとを引いてるヒマ”がないから。早いとこ“次”を見つけて関係を煮つめていかないと、結婚のチャンスを逃してしまいかねないという切羽つまった想いがつねにあるからなんじゃないか。
そして一方、女は別れた男を忌み嫌ったりできるが、男はよほどのことがない限り、別れた女も憎からず思いつづけられる性。これは男と女の生理の違いという他ないが、一夫多妻が男の夢ならばこそ、男はあとを長ーく引くのである。
こうした事情を踏まえると、女より男のほうがあとを引くのが道理。だったら私たち女も、いよいよ“あとを引く女”にならないとマズイのかも。
|
|
|