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疎まれる女は、 要するに男選びを 間違ってる |
セクシーで美人なのに、恋愛にいつも苦労している女は、もう根本的に男選びを間違っちゃっているんじゃないか・・・・・・そういう仮説をたててみた。
そういう女が特に間違えがちなポイントは、恋愛に費やす時間が、自分と全然違う男ばかりを選んでしまうこと。つまり、自分は毎日毎日彼と会っていたいタイプ、ちょっとでも時間があったら恋人と会うのがスジでしょうと思っているタイプ・・・・・・。なのにこういう女が、彼女と会うのは週に一〜二回で充分という男を選んでしまったとしたらどうだろう。
とても単純に、会いたいサイクルが合わない。会いたいテンションが全然合わない。これって、一見どーにでもなることのように思えるが、じつはいちばんどーにもならない厄介な問題で、気持ちのズレを生み、誤解を生み、不満や嫌気を呼ぶのはすべてこの“デートに費やす時間”に対する観念の違い、なんである。恋人のためにどのくらいの時間を費やすか・・・・・・これはほとんど生涯変わらない体質として、人それぞれ違うと考えてよく、その体質上の相性がいいかどうかは、恋愛における絶対の相性と考えてよい。
だから少々勇気がいるが、「あなたは彼女とどのくらいのサイクルで会うのが主義の人?」って、付き合う前に聞いてみる。毎日会いたい人は、毎日会いたい男をさがす、それ以外に幸せになる方法なし。
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人は中途半端に色気づいてくると、性別をひどく重要に考え、いろんな判断を誤るものだが、“恋愛別人格”の女性も、その頃の未熟さを未だもっていると言っていい。性別を意識しすぎる未熟さがあるから、男を“人”と見られない。男を“男”として考えすぎ、ある意味では、男を大きな存在に考えすぎる。「男など、どうってことない存在」とか「いい男なんか、ひとりもいない」なんてうそぶいていながら、“男は絶対”と思っている。そのどちらも改めてほしいのだ。つまり、こういう人はとにもかくにも意識して、男と女という性別をハズして、男を“人”を見る練習をすべきなのだと思う。
男を“人”として見る。すると自分も“女”である前に“人”になる。
男は女にとって、大切な存在だが偉大な存在ではない。そして、女は仮に男に捨てられても、致命的な傷にはぜんぜんならないし、ましてや何ら恥ではない。相性が悪かっただけ。縁がなかっただけ。何てことはない、そこを間違えないでほしいのだ。
男に疎まれる女、断ち切られる女は、男という存在につぶされてはいけない。同時に自分を男から守り抜いてもいけない。もっと楽に、もっとラフに、男は単に、自分より髪が短いだけの人間、そう思うと、恋愛はがぜんうまくいく。疎まれる女は一転、それに気づけば、男にとって最高のいい女となるに決まっているのだから。 |