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ちょっと待って! 幸せ顔のメイク |
今、名前のついたメイクの中で、いちばん大きな支持を集めているのが、“幸せ顔”のメイクだろう。
ふわっと幸せそうに見えること、キラキラ幸せそうに見えること、確かにそれは、すべての女性を美しく見せる究極のメイク表現である。
しかし、幸せそうに“見えること”と、幸せそうに“見せること”とは違う。幸せな女の美しさは、周囲が彼女を見て勝手に、あらあの人幸せそう、幸せっていいものねと眺めるもの。私はこんなに幸せな女なのですと言ってまわるところに、幸せな女の美しさは生まれない。幸せは空気として、自然に伝わっていくもので、わざわざ人に見せるために、作りこむものじゃない。幸せは不幸との対比で成立するもの、人に見せるための幸せを作ると、結果として周囲の人を多少なりとも不幸な気持ちにする。だから幸せ顔のメイクは、自分の幸せを見てもらうためのメイクじゃなく、むしろ、見る人をも幸せにするメイクであるべきなのである。
じゃあ、周囲を幸せにするメイクってどんなメイクだろう。そもそも“キレイ”であることの絶対条件は、見る人を心地よくすることにある。自分のまわりの空気までキレイに染めることが、メイク成功の最大のヒケツ。相手にサッと差し出す花束のような自分を作れば、相手はハッと声をあげ、ぽーっと幸せな気持ちになるだろう。そういうシーンをイメージしながらメイクする。幸せ顔メイクはそうあるべきなのだ。
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でも果たして、幸せって“もらうもの”だろうか? たぶんもらった幸せは、所詮“もらった洋服”みたいに、もらったこと自体はうれしいが、結局気に入らずに一度も袖を通さないなんてことも起こりうる。やっぱり自分で額に汗して手に入れた幸せじゃなきゃ、大切に育むこともしないのだ。幸せはもらっちゃいけないのだ。
さあ、自分で作るしかないとしたらどうだろう。ヘタくそでものろまでも、ダサくても何とか作ってみようと思うだろう。「自分なんかどうせ幸せになれない」とひねくれたり早々にあきらめてしまうことはないはずなのだ。
ともかくそういう理由で、世の中の女の3人に一人くらいは、ちょっと努力すれば、作れるはずの幸せをみすみす無駄にしている気がする。20代半ばとか、もうすぐ30代とか、30代も半ば近く・・・・・・そういうタイミングが危ない。幸せをキメたい節目だからこそ逆に屈折してしまうのだ。たとえば恋人がいても、わざわざモメて、「もう別れましょ」と言うみたいに。その瞬間にも心によぎるのは、幸せは“もらうもの”という認識。もう幸せにおいては受け身の発想がしみついてしまっているのだ。
幸せになれない人は、今たぶん自ら幸せを捨てている人。自分で不幸を呼びこんでいる人。その不幸は、あなたが自分で作った不幸。それだけは、知っておくべきである。 |