それはある部分、“心療内科”がやることと似ていた。聞いてくれて肯定してくれる。「こうしなさい」はあまりなく、ただ自分の心の中が認められたような安心。たぶん深い落ちこみのない人ならそれだけで心が整理され、ずっと閉め切られていた窓が開けられ、新鮮な空気が入ってくるような気がするから、元気になれたのだ。聞いて、肯定してくれる、最終的にはそれだけのことだったのかもしれないが、本当に元気が出たのである。
もちろん、人に認められればそれだけで元気になれる。認め上手も“元気をくれる人”なのかもしれない。でも、良いところだけをさっさと認められてしまうより、ダメな自分もひっくるめて、肯定された方が人はもっとうれしく、安心できる。そして心の中がすっきり整頓され、新しい風が入ってくる。そこでエネルギーが生まれるのである。
もし“人を元気にする女”になりたいなら、別に頑張ってガシガシ励ましたり、誉めそやしたりすることはない。ただその人を好意で受け入れ、認め、肯定してあげればいいのである。これなら、友だち同士だってできる。いつもいつも、元気づけなくたっていい。自分が多少元気で、ゆとりがある時だけで。元気は少しずつ、身近な人にうつしていく、そういうものなのかもしれない。 |
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| 元気の良循環 |
たとえば、洋服一枚買っても、女は二、三日は元気でいられる。翌週はその服に合わせる靴とかベルトを買って、コーディネイトを完成させたことでまた元気になる。小さな元気の良循環・・・・・・でも、要するにそういうことの積み重ねが、女を“元気な女”にしていくのじゃないか。
髪を切って、カフェオレ色にカラーリングしたら、急にスキンケアをもっと頑張りたくなって、ちょっとキレイになったらもっとキレイになりたくなって、コンシーラーを買い、カールのきくマスカラを塗りたくなるみたいに、ひとつの行為が次々に新たなキレイの動機を生んでいき、結果、髪を切る前よりも、ずっと元気な自分ができあがるのも同様。よくあること。
自分の手で元気を生むためには、頭で元気になろうと思ったり、心の中で元気をつくろうとしてもムダ。何でもいいから、ともかく何かを始めるしかないような気がするのだ。
たとえばお菓子づくりの教室に通い始めて、まず緊張もありながら少し元気になって、そこで友達ができて元気になって、習っているお菓子づくりがだんだんうまくなって、自分に自信をもってまた少し元気になって、じゃあ今度はウジウジしながら通っていた会社をやめて、本格的にパティシエの勉強を始めるために留学へ、なんて・・・・・・。これぞまさに元気の連鎖。じっとしている限り元気は生まれない。机上で元気はつくれない、そういうこと。
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