人にしみる心があるかどうか・・・・・・これは性格形成における絶対の分かれ目で、基本的に自分以外のことにはあまり関心がなく、“人の気持ち”にこだわらない人はどう引っくり返っても、体のどこからも“いい人の因子”は入ってこない。だからこそ、子供の頃にできてしまった自己中心的性格が、岩のように堅固なものになって、やわらかく何かを吸収しようなんて、ハナから思えないのである。
で、いくら“いい人”がそばにいても、“都合のいい人”にしか感じない。これは人生においてかなりもったいない、そしてかなり悲しいことである。
もちろん人間はそんなに一面的にはできていない、とっても複雑で多面的な生きものである。安いドラマみたいに、人間を“いい人”と“悪い人”にキッパリ二分するなんて、不可能だ。でももしどうしても二分しなきゃいけないなら、やっぱりその境界線は、自分のことでしか泣けないか、人のことでも泣けるか、その一点なんじゃないかと思う。
たとえば、とっても意地悪でずるくて、悪意に満ちた人も、その根っこにある感情をたどっていったら、“誰かと心でつながりたい”“誰かに愛されたい”という気持ちが歪んでしまっているだけかもしれないし、そういう人が、“いい人”と付き合って、ちゃんと優しくされて、ちゃんと思いやられたとしたら、それこそ安いドラマも青ざめるような「友だちっていいよね」なんて言葉が出てきちゃうかもしれないからだ。
そういう奇跡も起こらないのは、自分さえ良きゃいい人。そういう人には残念ながら性格美人はうつらない。そして一生直らない。ある程度、固まってしまった大人の人格を良い方に転換させられるのは、哲学書でも聖書でもなく、人。人間しかない。性格ブスを性格美人に変えられる美容法はない。生身の人間以外にないのである。 |
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“品格”も じつは簡単に マネできる
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あらゆる美容は、マネから始まる。ファッションからマナーまで、“素敵”は“素敵なひと”をマネすることで、女から女へ、脈々と受け継がれていくもの。いちばんマネしにくいと言われる“品格”ですらじつはいとも簡単にマネてしまえる方法がある。それは、発声をマネること。
声の質は生まれつきのものだが、発声だけはマネられる。そもそも一人の人間がもっている声の種類は思いのほか幅広く、自分はそんないろんな声をもってはいないと思うのは、単にいつも同じ声しか使っていないから。誰でも数種類の声を使いわけることができるのだ。ところが、たとえば母親世代は家の電話を取る時1オクターブも高い声で「もしもし↑」と言えるのに、今の20代30代はひとつの声しか使わなくなってしまったなんて言われる。せめてもうひとつ、上品な声をもってもいいんじゃないかと思う。
でもどうやるの? という時、まわりにいる上品な人の声を思い出してみよう。品格っていうのは、最終的に発声で決まると言ってもいいほど、彼女たちは声の出し方がていねいで、ビービー言わない。ノドではなくお腹で声を出す感じ。それを耳で聞き、口でマネると、それだけで上品な女に見えるのは、日本の女の声が平均的にビービーしてきたため。性格美人同様、女の質、人間の質は結局のところ口から吐く言葉と声で決まる、そういうことだろうか?
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