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「愛され顔」とは、 愛をちょうだいと 訴える顔にあらず
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メイクもオシャレも“愛される女”を目指す方向に、今大きく動いているが、そもそも“愛される女”って一体どんな容姿をしているんだろう。
考えてみれば、“愛される顔”を作ろうと思うこと自体が、愛に多少とも飢えている証拠なわけだが、大きな矛盾として、世に言う“愛され顔メイク”からは、足りない愛を増やしてちょうだいという欲求がみじんも見えてこない。むしろ、愛をいっぱいにもらっている、愛されている女の幸せをそのままに表現したメイク。
もし、本気で愛されたいと思うなら、アイメイクはもっと誘うようだったり、もっと物欲しそうだったりするはずだし、口紅の色にももっと媚びが入るはず。なのに提案されるのは、言ってみれば“幸せ顔”や“いやし顔”とあまり見分けがつかない。
ここから学べるのは、愛される女とは、すでにたっぷり愛されている幸福感を漂わせた女。愛されたい女ほど、心がすっかり満たされた印象を漂わせていないといけないのだ。
恋愛は、いつも皮肉である。愛に飢えていると、なかなか愛を獲得できない。むしろ、恋人のいない日常にもある種の幸福感を感じられた時、恋は向こうからやってくる。“追えば逃げる”は目に見えないところにも成立してしまうのだ。だから、愛されたいならば、まず自分の日常を満足のいくものにするところから始める。何かが足りない欠乏感は、人を遠ざける・・・・・・そう覚えておこう。
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男だって、バカじゃない。ただ愛されたいだけの女に、求められただけの愛を注ぎ込んでいくほど、お人好しじゃない。親が子に、人がペットに注ぐ愛は、“無償の愛”と呼ばれるけれど、愛は一般的には無償ではないから、わざわざ無償の・・・・・・と断り書きをつけるわけで、男女の愛は、無償ではない典型的なもの。であるならば、愛されているかどうかの確認ではなく、まず相手への計算のないピュアな愛をもつこと。でも、それだけじゃあ、つまらない女。その他諸々にもちゃんと振り分けられた、ちょっと多忙な心をもつことなのだ。
するとどうなるか。たぶん、自分が相手に費やす40%の愛よりも、たくさんの愛が戻ってくるだろう。愛するより愛されたい女は、そこできちんと成立する。そもそも愛するより愛されたい女は、自分が相手にバカみたいに夢中になりたくない、ちょっと涼しい顔をして恋愛して、でも彼に強く想われている、そういう自分を目指したいわけで、それならば、40%だけ相手を想う、このバランスが理想的。結果として愛される、それを望むなら、何となく、こういうバランスを意識してみてほしい。
でもここで大切なのは、“愛される工作”をあれこれしないこと以前に、100の数字で表せるほど、たくさんの愛が心の中に満ちあふれている女だっていうこと。愛ある女しか愛されない。愛されたい女は、自分自身を愛することも含めて、100の愛をもつ女、そう言えるのかもしれない。 |