そして、恋愛という狭い感情の中ではなく、人生において“愛されるより、愛したい”という信念をもつに至る女性も、まれに存在する。50代で出家した作家瀬戸内寂聴さんが、その出家の理由をこう語っている。流行作家として、ある意味の富と名声を得た時に、“自分が望んでいたのは、こんなことだったのか?”そう考えて、迷える人を導いたり、悩める人を救ったり、ともかく広義に“人のために役立つこと”を目指して仏門に入った、と。そこまで行ける人は、男だろうと女だろうとほんのひと握り。でも、実在する。別に仏門に入らなくても、ふつうの生活を営みながら、何らかの“人のため”になることを自分の役割と気づいてしまう人は、存在するのである。 ただ、そこまで行けるのは、何らかの自分の欲望を満たし、何かをやり遂げた人であることが多い。言うなれば、“愛されること”それ自体や、それに匹敵することを、おなかいっぱいになるまで成し遂げる。しかし与えられることや、獲得することだけに執着することなく、今度は自分から人に何かを与えたいという次元まで進んでいく人なのだ。人生において、そこまで行く人もいれば、行かない人もいるけれど、何か同じ人間として生まれたならば、そこまで行く人生にしたいと思う人は、少なくないと思う。
そのためにも、若いうちは愛されることや、与えられること、手に入れることを優先させてもいいのかもしれない。そうやって、おなかがいっぱいにならないと、本音で“不特定多数の他人を愛したい”なんて絶対思えない。だから今はいい。愛されたい愛されたいと女の本能の赴くままに、願えばいい。いつか、体中から愛があふれ出す人になるために。 |
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男を尊敬できる
・・・・・・それはひとつの
才能である |
子供の頃、“ヘレン・ケラー”とか
“ナイチンゲール”の本を読まされたのは、人を尊敬するお勉強だったと思う。人を尊敬するとは、どういう心情を言うのか、また尊敬すべき人とはどういう人なのか。今の子供なら、もっとリアルに、イチローとかを尊敬すべき人としてソツなく用意しておくのかもしれないが。
ただ大人になるにつれ、人は誰かを素直に尊敬する心を忘れていく。みんな人それぞれ、自分の選んだ道を歩いていけばいいんだからね、と自らを納得させ、自分の10倍も100倍も優れた人の存在を、見て見ぬふりをするようにもなっていく。
しかしそのまんま歳をとっていくと、どこか偏屈でひとりよがりでカン違いの激しい大人ができあがってしまうのだろう。できれば早い時期に、20代から30代で、先輩でも上司でもいいから、身近に尊敬できる人を見つけておきたい。まだ自分の価値観が完璧に固まってしまわないうちに、子供の時に覚えた尊敬の心を思い出しておくのだ。一度、自分がいちばんエライと思ってしまうと、心がカチカチになって、人に対して心が動かなくなる。そうなる前に心をほぐしておくべきなのだ。
それも、尊敬できる男を選び、将来、夫を尊敬できる妻という、いちばん穏やかなポジションを得るための練習。愛する人を尊敬できる・・・・・・結果としてそれが女にとっていちばん高度な幸せに違いないのだから。 |
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