キレイの他にもうひとつ、キレイの前にもうひとつ、そしてキレイの先にもうひとつ、何か誇れるものがあって初めてキレイが光る。あるいは、大衆の前でパンパンと手を打って注意を引くみたいに、キレイはその一瞬のアドバルーンにすぎないわけだから、注意を引いてから何をするか、それがないキレイは注意を引いても、そのあと周囲に沈黙されるだけ。単体のキレイは少しも役に立たないのである。
でももうひとつ、ルートがある。キレイじゃなかった人が、何かひとつ誇れるものをもった時、あとから不思議にキレイがついてきて、その誇れるものにまたあらためてポッとスポットライトが浴びせられるという良循環・・・・・・。これならば全員が狙える。なぜなら、女は全員“キレイの芽”をもっていて、人によってそれを子供の頃からせっせと育てている人と、他の芽を夢中で育てているために、キレイの芽を手つかずにしている人がいるだけ。それだけ。だから、別の芽が葉をつけて花をつけると、急に自信がついて、それが栄養となって、隣でくすぶっていたキレイの芽が自然に葉をつけ花を咲かせる。小さな花壇となったその人に注目が集まり、その自信がまた栄養源となって、花をどんどん増やしていく、そういうこと。
だから、キレイの花だけをポツンとひとつ咲かせてもダメなのだ。人の足を止めさせるには、複数の花を一緒に咲かせないと。キレイが役立たない人、それはキレイが“単体ではあまり役立たないもの”であることに、まだ気づいていない人。それに気づいた日から、あなたのキレイは必ず何かの役に立つ。役立たないのは、役立てないから。それだけなのである。 |
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本当のところ
就職試験にキレイは
役立つのか? |
結論から言えば、最終的には面接する人か採用を決める人が、美人を好きかどうかがすべて・・・・・・としか言いようがないくらい、それは主観的なもの。そもそもが、美人かどうかの判断だって、恐ろしく主観的なものだから、就職の合否において、キレイが影響するか否かについては、たぶん永遠にナゾのままなのだろう。
かつては求人広告にも堂々と記されていた“容姿端麗”も最近では見かけないから、ますます謎は深まっていく。しかしながら、たとえは悪いが、北朝鮮の“美人軍団”として有名になった応援団みたいに、ともかく顔がキレイであることをぜったいの基準にした採用が行われるのは、まったく民主的でも文化度の高いことでもない。美人コンテストは主旨が違うから別として、美人ばかりを露骨に採用する会社は、どこか古く、結局のところ、女好きな社長のワンマン経営だったりする。
しかし、素敵な女性ばかりの会社は別。“美人”と“素敵な女性”は、種類がまったく違うからである。美人ばかりの会社は、何か野暮ったくて21世紀に伸びそうには思えないが、“素敵な女性”ばかりの会社は、反対にとてもセンスがよく、21世紀ぐんぐん伸びそうな気がする。
つまり、美形かどうかではなく、ある意味で目に見えない女性の魅力やセンスを見る目がその会社にあるかどうか、それが問われる時代になってきたことだけは確か。
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