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2003年3月号
photographs: Yoshiaki Toda
styling: Hiromi Hosoda
キレイによって得た“自然な自信”に肩を押されて何か別のことをる・・・・・・それが“つまらない美人”にならないコツ。キレイが役立つ女 役立たない女つまらない美人”という言い方がある。顔はキレイだけれど、それだけ。いや、顔がキレイだから、なおさら退屈な印象が増してしまう女・・・・・・。まったくもったいない話だが、キレイは放っておくと、飾りっぱなしの造花みたいに、どーでもいいものになりがちなのだ。
 しかしながら、“つまらない美人”って一体誰?と聞かれると難しい。女優とかモデルとか、キレイだからその仕事を手に入れた女性たちは、キレイがきちんと役に立ってる。
 演じることや服を着ることで、大なり小なり人の心を動かし、キレイであることで周囲に心地よさを与えてる。キレイが立派に結実している。キレイがつまらなくない人たちだ。
 でも、たとえばキレイであることで、突然注目を浴びたのに、アッという間に消えてしまうタレントとかが、もしいるとすれば、彼女はたぶん“つまらない美人”だったのだろう。キレイを武器に、せっかく世に出るチャンスを得たのに、舞台にあがって、ただ目をパッチリさせているだけ。それでは年明けのX'masリースみたいに、「捨てちゃう?」「いやとりあえず、どっかにしまっとこ」みたいに、倉庫の奥にしまわれてしまうのだ。
 私たち女は、“キレイになること”自体を目標に掲げる。でもキレイを最終目標にしてしまうと、ゴールした時にすることがない。「キレイになったね」とほめられて、鏡の前でうっとりできる、それ自体は喜びだが、キレイが形ある幸せをせっせと運んできたりは、しない。だから、キレイ自体は案外虚しいもの、と気づくだろう。キレイによって得た“自然な自信”、それで何をするか・・・・・・。そこで何もしないから、“つまらない美人”になってしまうのだ。
 “つまらないバスト”というのもじつはあって、いわゆる巨乳タレントは、その巨大なバストで舞台にあがるが、そこで何もできなければ、それは見事に“つまらないバスト”。今をときめく優香も、そもそもはバストで世に出たタレントだったことを考えると、バストも大きいことがゴールじゃなく、まさしくトランポリンみたいな踏み台にできた人の勝ちってことになる。
 じゃあ、“つまらない美人”がダメなら“おもしろい美人”になれってこと? じつはここが微妙なのだが、おもしろいことばかりをやりすぎた美人女優が、「街で自分の姿を見つけた女の子たちがクスクス笑うようになった時、本気でマズイと思った」と言ったのを聞いた。街で笑いを誘うほどにおもしろくなってはいけないのが、美人の掟。おもしろくなりすぎてもキレイが役立たなくなるのは、濱田マリとかYOUの例に明らかだが、でもこの人たちはいわゆる美人タレントの魅力を大幅に上まわっていて、別にキレイキレイと拍手されなくてももういいのである。そういう意味では、何かの才能がありすぎても、それがキレイを喰っちゃって美人に見えなくなるケースもあることに気づく。
 とすれば、キレイと才能が、交互に、あるいはバランスよく見えている人こそが、キレイを100%役立たせている・・・・・・それが21世紀の美人と言えるのかもしれない。演技で評価されている売れっ子女優はみんなそうだが、特に近ごろ堂々たる司会ぶりが評判の藤原紀香は、キレイなことに甘んじない。やっぱり究極の美人だと思うのである。
 大昔からある命題“美人は得するのか?”に今あらためて答えを出すなら、それYES。キレイだとぜったい得をする。スポーツ選手もキレイなら引退後キャスターになれるし、音楽家もキレイなら、CDが売れなくてもいつの間にか知性派タレントとして活躍している。しかし、この人たちはもともとキレイになることなんてそっちのけで、スポーツや音楽に全力投球してきた。キレイになること以上に大切にしていることがあった。それでもなおキレイだったから、女性として評価された、そういうしくみ。最初から最後までキレイだけに猛進してきた美人とは、奥ゆきが違うから、その分人生が大きく広がったんである。
 キレイの他にもうひとつ、キレイの前にもうひとつ、そしてキレイの先にもうひとつ、何か誇れるものがあって初めてキレイが光る。あるいは、大衆の前でパンパンと手を打って注意を引くみたいに、キレイはその一瞬のアドバルーンにすぎないわけだから、注意を引いてから何をするか、それがないキレイは注意を引いても、そのあと周囲に沈黙されるだけ。単体のキレイは少しも役に立たないのである。
 でももうひとつ、ルートがある。キレイじゃなかった人が、何かひとつ誇れるものをもった時、あとから不思議にキレイがついてきて、その誇れるものにまたあらためてポッとスポットライトが浴びせられるという良循環・・・・・・。これならば全員が狙える。なぜなら、女は全員“キレイの芽”をもっていて、人によってそれを子供の頃からせっせと育てている人と、他の芽を夢中で育てているために、キレイの芽を手つかずにしている人がいるだけ。それだけ。だから、別の芽が葉をつけて花をつけると、急に自信がついて、それが栄養となって、隣でくすぶっていたキレイの芽が自然に葉をつけ花を咲かせる。小さな花壇となったその人に注目が集まり、その自信がまた栄養源となって、花をどんどん増やしていく、そういうこと。
 だから、キレイの花だけをポツンとひとつ咲かせてもダメなのだ。人の足を止めさせるには、複数の花を一緒に咲かせないと。キレイが役立たない人、それはキレイが“単体ではあまり役立たないもの”であることに、まだ気づいていない人。それに気づいた日から、あなたのキレイは必ず何かの役に立つ。役立たないのは、役立てないから。それだけなのである。
column.1
本当のところ
就職試験にキレイは
役立つのか?

 結論から言えば、最終的には面接する人か採用を決める人が、美人を好きかどうかがすべて・・・・・・としか言いようがないくらい、それは主観的なもの。そもそもが、美人かどうかの判断だって、恐ろしく主観的なものだから、就職の合否において、キレイが影響するか否かについては、たぶん永遠にナゾのままなのだろう。
 かつては求人広告にも堂々と記されていた“容姿端麗”も最近では見かけないから、ますます謎は深まっていく。しかしながら、たとえは悪いが、北朝鮮の“美人軍団”として有名になった応援団みたいに、ともかく顔がキレイであることをぜったいの基準にした採用が行われるのは、まったく民主的でも文化度の高いことでもない。美人コンテストは主旨が違うから別として、美人ばかりを露骨に採用する会社は、どこか古く、結局のところ、女好きな社長のワンマン経営だったりする。
 しかし、素敵な女性ばかりの会社は別。“美人”と“素敵な女性”は、種類がまったく違うからである。美人ばかりの会社は、何か野暮ったくて21世紀に伸びそうには思えないが、“素敵な女性”ばかりの会社は、反対にとてもセンスがよく、21世紀ぐんぐん伸びそうな気がする。
 つまり、美形かどうかではなく、ある意味で目に見えない女性の魅力やセンスを見る目がその会社にあるかどうか、それが問われる時代になってきたことだけは確か。

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