 |
|
考えてみた。
上手な愚痴の言い方、
まとめ方 |
せっかくなら、ポロッともらす愚痴にも、センスと思いやりが欲しいもの。よくない愚痴の典型は、同じことを何度も何度も繰り返す愚痴。愚痴はいくら話しても、そこで何かが解決したりはしない。なのにいつまでもいつまでも同じ内容で、愚痴りつづけるから、「たいへんね」「困ったね」の返す言葉も尽きてきて、相手を疲れさせてしまうのだ。だからまさにお茶と一緒にいただくお菓子のように、何口かで終わるコンパクトなものにまとめ上げたい。
愚痴はもちろん、ネガティブな心から出ているから、人を決して元気にしない。少しの愚痴なら、相手を多少とも癒すことはできるが、一定量を超えるとストレスになる。その頃合いをよーく見極めて。
たぶん、愚痴が女同士の心を結びつけるのは、心を切りかえるように次の話題へさっさと移った時。その瞬間、一緒にその愚痴を清算し、一緒に問題を解決したような達成感があるからなのだ。だから、会えばまた愚痴られるかもとわかっていても、またおしゃべりしたくなる。それを達成感なく、そのままバイバイじゃ、あまりに後味悪い。ともかく、二口三口、ポツリと言ったら、自ら「でも、きっとなんとかなると思う」とか「私、よいほうに考えるわ」なんていう、前向きな言葉で愚痴をしめてこそ、私たちっていい友達かもという連帯感がうまれる。そこのところをどうかお忘れなく。 |
|
|
そして不思議なことに、長い付き合いの女友達は、だいたいが愚痴の質や量がよく似ている。愚痴をポロポロ言う人の女友達は、やっぱりポロポロ愚痴を言う。言わない人の女友達は、やっぱり言わない。愚痴の量が極端に違うと、言わないほうがやっぱり疲れ、自然に関係が遠のいていってしまうものなのかもしれない。ただ逆に、こんな話も耳にした。“愚痴を言う女”って大キライとばかりに、一切の愚痴なしに、前向きな話ばかりをまくしたてる人には、やっぱり同じような疲れを感じて関係が遠のいていくものだと。おそらく、ため息のようにポロリと愚痴をもらすことは、相手にとっても小さな癒しになるのかもしれない。
そして大切なのはここ。女同士は、悩める性同士、ある種の悩みや辛さを分かち合う宿命にあるのだろう。でも異性との間でそれを分かち合うのは、あまり良い結果を生まない。恋人同士のデートの会話が愚痴のやりとりだったら、気づかぬうちに恋愛感情は冷めていくだろうし、幸せも遠のいていくだろう。男と女は、愚痴レベルではなく、何かもっと大きな試練が立ちはだかった時に、しっかりした支えとなって初めて、心の関わりを深めていく。とるに足らない愚痴を言い合っても、心は結びついてはいかない。せっかくできた結び目もしだいにゆるみ、ほどけていくだろう。恋人との間では、だから愚痴の引き出しを開けない。男と女は、常に前向きな話をしていてちょうどいいのだ。もしその相手と人生をともに歩いていきたいならなおさら、会話はムリしてでも前向きであるべき。アダムとイブの昔から、男と女はそういう会話をすべき宿命にあるのだから。
愚痴は、同じくらいの小さな不幸感を抱えた女友達とだけ共有する、知的なため息。そう覚えておきたい。男の前でため息をもらすと、きっと相手は去っていく。 |