そして、ひとたび“自分で決める人生”が始まったら、今更のように、私はA子よりブスだったから幸せになれないんだとか、B子より貧乏だったから、何もかもウマくいかないんだなんてことを蒸し返してクヨクヨ比較するべきじゃない。まして、“自分で決めた人生”を“人の人生”と比較して、あっちの方がいいなんて、ウジウジ言ってはいけない。隣の芝生が青く見えるなら、隣よりもキレイな花が咲く庭を、自分で作っていけばいいのだし、明日からの人生もすべて自分で決めるのだから、他人との比較は無意味。それでも人と比較したいなら、ただ羨むのじゃなく、その人と比べて自分には何が足りないのか?をつかむまで、徹底的に比較すべき。途中でやめずに最後まで分析して、自分の人生に応用すべき。
スポーツジャーナリストの乙武洋匡さんが、自分で自由に移動するために特殊な車を依頼して、運転免許をとったという。この人は子供の頃におそらくいやというほど人との比較を強いられて、でもその大きすぎるハンディに屈することなく、自分に足りないものを埋めて埋めて、“自分で決める人生”を、恐るべき逞しさで生きている。だから今、隣の芝生が青いなんて、たぶん全然思わずに自分の庭の花をどんどん増やしてる。
人と比較する時期はもう終わり。今は、比較しているヒマがあったら、自分で決められる来年の自分にもっと情熱をかけてあげるべきじゃないのか。隣の芝生をのぞいているヒマがあったら、自分の庭の花をひとつでも多く咲かせるべきじゃないのか。大人になってからの比較はもう、何も生まない。 |
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美容においては、
人と自分を
とことん比較せよ! |
大人になってからも、他人と比較していいことがふたつある。ひとつは、ともかくエライ同年代、立派なことを成し遂げた同年代との比較。同じだけしか生きてないのに、どうしてこんなに違うんだろうと、ただへこんで自信を失うのではなく“その人にあって、自分にないものは何なのか”を徹底的に比較する。つまり、うわべの比較じゃなく、自分に足りないものは何かを見つけるところまで比較しきることなのだ。
もうひとつは、美容上の比較。目を見はるほどキレイな人を見た時、あら、負けちゃったワ……ですますことなく、その人がなぜ目を見はらせるのか、自分はどこがどう負けているのかを徹底的に見極めること。自分とは大違いと匙を投げてしまうのなら、比較なんてしないこと。相手にあって、自分にないものがわかるまで、考えて考える。
それがわかったところで、落ちこむだけじゃない?というかもしれない。でも大切なのはむしろ、美容において?考えるクセ?をつけること。私は、今の美容にいちばん足りないのは、考えることだと思っている。情報がありすぎ、化粧品がありすぎるから、考えない。比較の分析さえしなくなっている。「なぜ?」「どうして?」それが何より必要だから、自分よりキレイな人を見たら、徹底比較する。それがクセになった頃、人にはいつの間にか、新しいキレイが身についているものなのだ。
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