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“人のせい”で
キレイになれない女、
2つの場合 |
子供にまだ手がかかるから……と自分にかまわなくなる母親は、世間にごまんといる。その人たちに「子供を言い訳にして、美容をサボるなんてダメ。どんどん女でなく、“お母さん”になってしまうわよ」と言うことは簡単だ。でも子供を抱っこしていながら、丸一日を美容とオシャレに費やしているみたいなピカピカの母親を見ると、逆にとても違和感を感じてしまうのは確か。ヤマンバのまま乳母車を押している母親たちは別として、美容に必死なことが目に見えている姿のまま乳母車を押されると、美容も子供も少しかわいそうな気がする。
逆を言えばスッピンで飾り気がなくても、その人が子供を抱いていると、セットで美しく見えたりして、“子供を言い訳にメイクをしない”美容もあるのだと思ったりする。
自分は何をしてもダメだから……と、キレイになれないことを“自分のせい”にするのはいけないが、誰かのせいで、誰かのために一時期キレイでなくなってしまうキレイもあるということなのだ。
もし“人のせい”でキレイになれない最低の例をあげるとすれば、「おまえブスだな」なんて冗談を言われた過去を引きずって自分はブスと決めつけて何もしない人。言うまでもないが、そういう場合は「なにくそ」と立ちあがり、キレイになってそいつを見返す、“人のせい”でキレイになっちゃう道を選ぶべきなのである。
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最後の最後に“半分は自分のせい”と気づいて終わろうと言ったのも、すべての物事を一度分解して考えてみれば、最後に必ず“自分の問題”に行きつくようなしくみになっているからなのだ。誰かと感情的にもつれた時、その原因を浅く簡単に30%しか考えなければ、“悪いのは相手”と思うから腹がたつだけ。60%考えたとしても、相手の性格を分析して「ああいう人だから、こうなるのも当然」みたいに多少冷静になるが、依然として“自分の責任”に気づかない。そこで止めずにじっくりゆっくり100%まで考えれば、「でも自分にも問題があるのかも……」と気づくことになるはずだ。それがすなわち反省。最後まで考えるクセをつければ、自然に反省ができて、“自分が正しいこと”を喧伝する必要などなくなるはずなのだ。
いちばんマズイのが、誰かのせいにしなきゃすまないことが起こった時、第三者である友だちや家族にそれを話し、味方につけた上で“人のせい”にしちゃうこと。そういう時、「悪いのはあんたの方でしょ」なんて誰も言わないから、10%も考えずにめでたく“人のせい”にして事が終わってしまう。第三者と一緒に誰かを悪者にしてしまえば、確かにその場では胸がすっとするだろうが、いつか必ずその反動が形になって返ってくると考えて。
ともかく母親がどちらのせいかをハッキリ決めてくれた子供の頃の小さな社会に生きているのではない。“自分も悪い”と気づくところまで考えるクセをつけよう。やってみればわかるが、不思議なことに、“自分のせい”と思った瞬間、心がすっとする。
そう、ちょうど恋人に裏切られた時、最初は相手をメチャメチャうらんでも、立ち直るときは必ず「そういう男を好きになった自分が悪いのだ」と気づいているように。すべてのモメごとは、“自分も悪い”と思った時、完全に清算できるのである。 |
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