 |
|
暗い女の暗さは、
欠点を欠点と
思うところに宿る |
それなりに華やかに装っていても、なぜか“暗い女”に見えてしまう人っているもの。でも、そうなる理由はちゃんとある。姿勢の悪さと肌のアレ、これが2つ重なると、女はだいたい見事に暗く見えてしまうのだ。
基本的に、姿勢が良いと、男も女もそれだけで明るく元気で真っすぐに見えたりするもので、ここで肌がアレていても、堂々としてさえいれば、やっぱり溌剌として見えて、肌自体が気にならない。ところが、背すじがのびていないと、存在として後ろめたい匂いが漂い、肌のアレを発見されやすいのだ。
女がキレイになる上で、いちばんやってはいけないのが、欠点を隠そうとするあまり“挙動不審”になること。ストッキングが伝線しているのに気づいたあとって、それを脱いでしまう瞬間まで、いくらオシャレしてきても、それどころじゃなくなる。自分をキレイに見せようという余裕などゼロになる。そういう挙動を他人の目はきっちり見ていて、結果、伝線を発見してしまったりするのである。美人がオドオドしていると誰も美人と気づかないし、逆に美形じゃなくても、堂々と美人ふうにふるまっていれば、人の目には美人と見えてしまう。美容の最終仕上げは、ともかく堂々としてること。引いちゃったら、おしまい。だから、どこか自信がない日ほど、背すじを精一杯にのばして、スッスッと歩くこと。暗さは醜さ……覚えておこう。 |
|
|
だから、大切なのは、ここから。女は「明るい男がイイ」とはあまり言わないが、「明るいパートナー」をきっちりさがすべきは、むしろ女の方。“女の暗さ”より“男の暗さ”の方が、3倍暗いからである。たとえば、暗く沈みきった男の丸い背中は、世の中でいちばん暗い。女はそういう男の背中を見るのが世の中でいちばん嫌いだ。平日の公園、ベンチで背広姿の男が背中を丸めジッとアリなんかを見ていると、“リストラ→自殺”という図式を思い浮かべるからかもしれないが、ともかく見たくないものを見てしまった気がして目をおおうはずなのだ。
男は本来が悩みをさがして悩むようなことはないから、男が暗くなると、生きる気力からして失ったように見え、女はいたたまれなくなる。それを見て女は自分の将来を案じて悩み、愛されてないと悩んだりするから、女は大変なのである。ところが男の“明るい暗い”はそこそこ長く付き合ってもなかなか見えてこない。男の場合は、もっと体の奥に“明るい暗い”を忍ばせているから、何か事が起こらないと、それが見えてこないのだ。だから、結婚して数年めあたりで、ようやく「この人は暗いのかもしれない」と気づいたりする。日々の表情の明暗ではなく、もっと本質的な、明暗。暗い男はそれこそ失業でもすると、もう生命の火が消えたように、人生丸ごと暗いものにしてしまう。そうなったら妻は不幸だ。でも、生命力そのものに明るい火がともっている男は、何があってもその火がともっているのが女には見える。困ったことが起これば起こるほど、生命の明るさが女には見えてくる。
そして最終的に、女の幸せとは、そういう意味で明るい男の生命力によってしか、実感できないものなんじゃないか。一概には言えないけれど、そういう意味で明るい男は、途中すったもんだしても、人生を成功させるが、暗い男は後半の人生を何となく尻すぼみに小さく暗めにまとめていってしまう。だから、女は自分の生涯をかけて、生命力そのものが明るい男をさがさなきゃいけないのだ。
ただし、“暗い男”を選んでしまった時は、こうしてほしい。女は幸い、明るさと暗さを両方もっていて、その気になれば、それをセルフコントロールできる。自分で自分を元気づけて、明るい笑顔を作ってその日を生きようとすれば、不思議にそれがもっともらしくできてしまう。それも神さまが女だけにくれた能力。だから暗い男を愛してしまったのなら、一日単位で毎日毎日“明るい自分”を仕立てて、日常を、そしていっそ生涯を、丸ごと明るくしてしまえばいい。覚えていてほしい。女にはそれができること。また、女にしかそれができないこと。 |