
せない男”と“許せない女”もまた違う。“人として許せない男”とは、単純に関わらなければいいのだし、上司や同僚にそういう奴がいるなら「あいつホントに許せない!」と、悪口でズタズタにする手もある。しかし、女には女同士の仁義みたいなものもあり、“許せない女”とも“仮面友だち”のように付き合っていかなければならないしがらみもある。それが“世間”というものなのだし、だからせめて、女同士のしがらみ的な関わりの中で、本当に許せないことは何か、許せることは何かをあらためてハッキリ分けてみようじゃないか。アンケートをとれば、“許せない女”に関して、山ほどの答えが出てくる。人生をあきらめてる女、場の雰囲気を読めない女、部屋が妙にファンシーな女、酔ってないくせに酔ってるふりをする女、自然食品とか無添加にこだわりすぎる女、思い込みの激しい女……まあこれは、自分がそういうタイプの女にはなりたくない、“嫌いなタイプ”の女と言ってもいい。“許せない男”のアンケートでは、食べ方が汚い男、タンを吐く男、マユ毛を整えてる男、ズボンが短い男みたいに、“生理的にイヤな男”が多く上がるのに対し、“許せない女”は、“嫌いなタイプ”。ただこういうタイプの女とは、単純に仲良くならないければすむわけで、自分は特にキズを受けない。こういうタイプを本気で許せないとつぶしにかかる人は、まさかいないだろうが、いちいち“許せない”と思うと疲れるのでやめておく。人それぞれタイプもそれぞれ、まずそういう境地に立ちたい。
言い替えれば、“許せない”と思う気持ちは、人の感情の中でいちばん負のエネルギーを使うもの。できれば、日々の生活の中で、“許せないこと”をひとつひとつ排除し、“人を許せる女”になっていくことが、自分自身を救うことになるのだと思う。“人として本当に間違っている人”を許さないことは大事だが、単に“嫌いな人”を許せなくなると、自分の身を削ることになってしまう。嫌いな女に寛容になることは、女にとってある意味で美容であり、幸せへの道なのだ。 |
女の優しさの正体は、
結局この寛大さ
女の魅力のひとつである“優しさ”。これをあなたはどうとらえているだろう。グループで遊んでいるような時、中のひとりの男の子が汗をかいているのを見て、彼女でもないのにハンカチを差し出すような女を、女は決して“優しい女”とは思わない。むしろ、男が汗だくで汚くなっているのを見ても、友だちなんだから汚ーいっと思わないであげようとするのが、本当の優しさかも。
また逆に、みんなをさし置いて、美しいマッ白のハンカチなんかを差し出している女の子を、“あいつ、気がつく女のふりして鼻につく”と思わない女が、いちばん優しい女だったりすると思う。つまり、誰もが嫌いなタイプの女を、率先して嫌わない、そういう寛大こそ、大人の女としての“完成された優しさ”なんじゃないかと思うわけなのだ。
自分自身、つくづく思う。早く、何事も“許せる女”になりたいと。また、そうなれば今よりずっと楽だろうなと。そう、寛大になり、本当の意味で周囲の人に優しくなることは、自分自身を救うのだ。これに気づかないから、女は女同士の人間関係の中で、ムダに悩み、ムダに疲れ、ムダに痛んでしまうのだ。自分は悪くないのに、人間関係になぜこんなに苦しむの? そう思うのは、自分が“許さない女”だから。“許せない女”なんかひとりもいない、そう思えた時こそ、我々女は、ひとつの完成を見るんじゃないだろうか。
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