
髪に髪を染めて切りっぱなしのジーンズ、出したおへそにタトゥーまであったとしても、キチンと頭を下げてあいさつができれば、近所のおばさんも「イヤイヤあの子、なっかなかキチンとした子よぉ」などと鼻をふくらませながら、かばってくれるだろう。つまり“キチンとした女”とは、恐ろしく当たりまえだが、ひとつには、単純にあいさつがキチンとできる女性を指すのである。
しかし、この金髪女より10倍キチンとあいさつができる女性にカギって、じつは心底“キチンとした女”になりたいと思ってる。外向けの自分の折り目正しさと比べると、自分の本当の姿はあまりにも折り目がない、そのギャップに悩むのだろう。自分だけが知っている自分が、キチンとしていない後ろめたさに悩むのだろう。脱いだ服をキチンとたためないこと、部屋が片づかないこと、そして日常的に今日できることを明日にのばすこと……そんなことの積み重ねが、気づかないかもしれないが、女にはけっこう心に重くのしかかっていたりするものなのだ。でもそれは、所詮、自分自身に対する罪、これがキリスト教なら、懺悔室で懺悔すれば少しは救われるようなものなのだろうが。人間はもともと罪深いもの。それが頭でわかっていれば、頭でわかりつづけていれば、充分なのだと思う。キチンとしなければ……その義務感をもちつづける限り、キチンとした女のワクの中にはいられるはずなのだ。 |
キチンとした女性の意外なヒミツ
見た目の“キチンとした印象”は、一体何が決め手になるのだろう。もちろん、髪に手がかけられていること、そこそこのメイクがなされていることは、キチンとした印象の大前提と言っていい。そして、姿勢がいいとか、歩く時に脚を引きずらないみたいなことは、もっと当たりまえの大前提。
じゃあ、その先にある決め手って何なのか? 私が思うにこれは、服のサイズ。体と服のサイズがあっていないと、どうキチンと服を着ても、何となくだらしない。まず、体より大きなサイズの服を着ると、体が服の中でアソブから、何か安っぽい服を着ている印象になるし、逆に体より少しでも小さいサイズの服を着れば、できるはずのないところにシワができ、それもまた貧しい印象を与える上に、体がだらしなく太って見える。ジャストフィットこそ、キチンとした印象の決め手なのである。
ちなみに、“安ものの服”自体もまた、何となくだらしない印象を与えるもの。高すぎなくてもいいが、安くない服を着る。そこそこ良い服というのは、それだけで体の節々にスッとおさまり、キチンと見えるものなのだ。見た目の“キチンとした印象”は、どこがどうというよりは、香りのようにそこはかとなく匂うもの。洋服のクオリティはまさにこれ、目に見える素材のよしあしだって香りのように匂ってくる。サイズのピタリと合ったいいものを、ていねいに着る。これがキチンとのカギ。
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