ひょっとすると、「頑張らなくていい」は、もともとあんまり“頑張れない人”を安心させるための言葉にすぎないのじゃないか?“頑張ってしまう人”にとっては、痛々しい自分を可哀相がるための言葉にすぎないのではないか? であるならば、「そんなに頑張って疲れない?」と言うのは、“頑張れない人”の敗北感が言わせる、“よけいなお世話”じゃないのか?
私は、この“頑張ってしまう痛々しい人”にちょっとした尊敬を覚えた。自分もそうなろうと思った。でも実際頑張ってみた時、あることに気づくのだ。「一体いつまで頑張ればいいの?」頑張ってしまう人がやめたくてもやめられない辛さに泣くのは、“いつまで?”“どこまで?”という答えが見えないから。暗い闇の中を手さぐりで走り続ける不安が、たぶん頑張る人を悲愴に見せるのだ。私はそこで、頑張る人には期限が必要だと思うのだ。
当時30代になったばかりだった私は、そうだ、35歳まで頑張ってみようと決めた。35歳で何かが終わったり、何かが手に入ったりするわけではない。でも、何となく35歳……。それでもう頑張ることの悲しみ少し減る。山に登る人は何が楽しくてゼーゼー言いながら登るのだろうと思っていたが、その時そのナゾも解けた。頂上があるから登るのだ。マラソンも何が楽しくて脇腹おさえながら走るんだ?!と思っていたが、それも解けた。ゴールがあるから走るのだ。だからウソでもいいから期限を作る。すると頑張れる。自分が作った期限に気づかずに走り抜けてしまうのなら、それもいい。でも、誰かに「そんなに頑張って疲れない?」とヤユされても、「うん、ひとまず大丈夫。あと1年だから……」と心の中で言うから、涙は出ないはずなのである。
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“頑張るのをやめた人”は、そのあと一体どうなるのか?
誰かに「頑張らなくてもいいよ」と言われたのかどうかはわからないけれど、まれに突然“頑張るのをやめてしまう人”がいる。特に“女を頑張る”のをやめてしまう人は少なくない。バッチリ化粧し、精一杯のおめかしをして出かけたら、初めてデートする相手に「頑張ってるねぇ、ずい分。そんなに頑張らなくてもいいのに」と言われて、とことん傷つき、その日からスッピンを通しているという人がいた。“頑張ること”はある意味ダサイ。キレイになることだって、少しダサイかもと思いながらも、頑張らずにいられない。それをダイレクトに「ダサイ」と言われると、頑張る気力がピチッと切れて、今度は頑張らないことを頑張るようになってしまうのだ。その時、女に起こる変化はみんな同じ。全身が“うつろ”になっていく。熱血サラリーマンの定年後はボケが危ないというけれど、頑張る性分の人が頑張るのをやめると、まず“目が死ぬ”のだ。頑張らない自分はもう自分じゃない、言わば魂までが抜けてしまうから、目が死ぬのである。目が死ぬと、なぜか肌がくすみ、皮フがたるむ。頑張る魂の美肌効果が解けてしまった効果である。結婚したとたんに、逆に大失恋したとたんに、別の生き物のようになってしまう女性がいるのはそのせい。一度キレイを頑張った女性は生涯頑張り続けないといけない。頑張る性分の人は、それに気づいているから、頑張るのをやめないのかもしれないが。
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