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唇にヒアルロン酸を入れて、ふっくら見せるプチ整形が流行するなんて、昔の女は夢にも思わなかったはずだ。源氏物語の昔から、女の唇は小さく、“ちょぼっと”していたほうが美しいという美人の定義があって、それがほんとうについ最近、“昭和”まで生き続けていたのだから。でもなぜそんな大逆転が起きたのか。
“唇の薄い女は、薄情だ”……そう言われるのは、単なる“人相学”にとどまらない。女は自分の意志や感情で顔を作っていく性だが、特に口もとの印象は、遺伝よりも意志の力が作るもの。唇は、女のさまざまな情感がそっくり集まるところだけに、きっと恋の経験が唇を厚くするのだろう。
だから谷崎潤一郎の『痴人の愛』のヒロインみたいに、男を惑わせ狂わせる女の唇は、ぜったい薄いはずがない。魔性には、“たわわな唇”が付き物だ。ましてや女の唇は、女の体の有様をそっくりそのままイメージさせるし、女の唇には、自分でも気づかぬカルマが溢れ出すから。昔の女はそういう女の情念を世間に見せまいと、唇を小さく描いたのだ。明治時代ですら、下唇にのみ少し紅をぼかすだけだったのだから。
少なくとも当時の日本で紅をたっぷりつけたのは遊女だけ。口紅もちょっとした接触ですぐににじんでしまい、大きく描かれた唇は“淫らな女”をイメージさせるからタブーになったのだ。どちらにしても、唇を小さく見せる化粧は、女の恥じらいのひとつだったわけである。
それが今は、みんな唇を太らせたがっている。胸の谷間を誇張するように。でも、大人の女はそういう“女の唇の歴史”をちゃんと踏まえたうえで唇を太らせてほしいと思う。そして唇って、女の体の中でいちばん取り扱い注意のデリケートな部分だって、ここで再認識してほしいのだ。
顔の美醜は、口もとで決まる。人の印象も口もとがその多くを決めてしまう……そう言ったら驚くだろうか。でも口もとはそのくらい重要で特別なパーツ。その証拠に、人の顔は美容整形で目や鼻を変えても、じつはそれほど大きくは変わらない。なのに口もとを変えるとハッキリ別人の顔になり、たぶん外ですれ違ってもわからないほどの変貌を遂げる。人の顔の造作の特徴を決めるのは、ひたすら口もと、顔の下半分なのである。
そして口もとは、人間のライフラインのすべてが集結しているところ。食事も呼吸も会話も、人が生きていく作業のほとんどが行われるところ。だから隠せない人の本質がそこに出る。“品性”や“知性”の有無が、露骨に示されるのだ。
それはあくまで、人間としての品性。でも唇が “女の体”にたとえられるなら、口もとは同時に、女性としての上品下品も併せて露呈することになる。つまり口もとでは人としての品性を。唇では女としての品性を。その両立が大切なのだ。
目は女の男性性を語り、口もとは女の女性性を語るとも言われるように、なるほど確かにアイメイクはいくら強くしても、口もとさえ品よく処理されていれば決して下品に見えないが、リップメイクはちょっとやりすぎれば、たちまち下品につながる。いや品性を司る口もとにメイクを施すことが、女の欲や業を形にすること。それ自体が多少の危険をともなうのだ。だからだろうか。男たちの目にいちばん美しくうつる女のメイクはグロスの艶だそうである。厚い衣でおおうことなく、でも丸裸のままでもない、透明な艶だけで唇をおおうグロスが男の心をいちばんふるわすのは、彼らが女に純粋さを求めている証だろうか。だから女の唇はアンジェリーナ・ジョリーみたいに厚くするほどに、天使の清らかさを併せ持ちたいのだ。
人と会話をしていて、思わず見とれてしまうことがある。他でもない、唇の“動き”の美しさに見とれるのだ。そして、美しい言葉づかいの女ほど、唇の“動き”も美しいことに気づかされる。たわわな唇は魅惑的だが、何も意見を 持たない、男を誘うだけの唇は、ちょっと愚かで悲しい。大人の女の唇は、美 しい言葉と知識と、そして意見をもった分だけ、少女の無知な唇より端正で崇 高なはずなのだ。だから人々はその“動き”に魅了される。だから“唇美女”は、もう別格なのだ。 故・夏目雅子さんを知る人が、「本当に息のキレイそうな人だった」と、そ の魅力を表現した。口もとが端正で、唇があでやかで、尚かつ美しい言葉遣い と、澄んだ気持ちがすべて揃わないと、“息がキレイそう”な印象は生まれな い。大人の女は、そこまでを目指すべきである。絶対に。
女性誌編集者を経て美容ジャーナリストへ。美容記事の企画化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。新刊『あなたには“躾”があるか?』(講談社)ほか、『こころを凛とする196の言葉』(ソニー・マガジンズ)、『素敵になる52の“気づき”』(講談社+α文庫)など著書多数。
撮影/みなもと 忠之 スタイリング/池田奈加子 ヘア&メイク/桜井 浩[AVGVST]
モデル/生方ななえ 構成/松本千登世
2007年 Grazia6月号に掲載されたものです。