女が“着ること”に突然悩み始めるのは、他でもない、体型が変わる時。今まで美しく着れていた服が、急に冴えなくなり着くずれする時、女は方向感覚を失ったかのように戸惑うけれど、それって要は、プロポーションの転機が訪れた証なのだ。
そもそもが“何を着ても似合ってしまう人”って、体の形がキレイな人、に他ならないが、逆から考えれば、何を着ても似合ってしまう時は気づかなかったオシャレの醍醐味に、不意に気づけるのもやっぱり体型が変わるときなのだ。
オシャレとはもともと、体を美しく見せるためのもの! とすれば、今までのオシャレは練習で、本当の意味でオシャレの腕によりをかけるのは、体型に不安を持った日から……そう思えるはず。
そう言えば日本の和服は、たとえ70歳80歳の体が着ても、上手な着つけをすれば、すらりとした美しい体型を作り出すことが可能である。だから着物も帯も、あえてまったく平面的に作られていて、着る人の感性と技術で体型をイチから形作っていけるしくみになっている。それこそ20代の着物姿は、20代の女の体型をまだまだ未熟な、つまらない体に見せがちだが、年を重ねるほどその体を艶っぽく味わい深く、しかも優美に見せられるんだから和服ってすごい。でも欧米の歴史服だって同じ。19世紀まで女の定番服であったローブデコルテは、谷間をくっきり描いて胸を豊満に見せることがテーマのドレスであったが、これも年を重ねるほど体を艶美に見せる、まったくもって“おとなの服”だったと言っていい。
そう考えると、女の服は本来が、成熟した体ほど美しく見せるよう作られていたことになる。ちょっとくずれた体さえ“退廃美”にしてしまう、偉大な力を持っていた。いや、それが“女の服”に備わった本当の能力なんじゃないのか。今の服にだって、そういう力がちゃんとある。35歳からは、それを何としてもさがすべき。“着たら負けない”という言葉があるけれど、ぜい肉も何もないモデル体型の裸より、うっすら脂肪がついた大人の体のほうがずっと美しいことを見せつける装い……それがオシャレの正体なのだって、35歳は思い知るべきなのである。 |