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いい女解体新書
腰をかける Backnumber
まるで空から降り立つように音もなく腰かける“登場美人”
いい女解体新書
 待ち合わせをしたホテルのロビー。その相手はもうすでにソファに腰をかけている。そこへ向かって「待たせちゃってごめんなさい」という表情を見せながら、少し足早に近づいていく……。そういう時の女は、“見られている自分”を十分に意識するから、急ぎつつも美しく歩こうと心がけるのだろう。でも、ソファに腰かける瞬間、キレイであろうという緊張がほどけて、ドサッと、まるで大きな荷物でも投げ置くように乱暴に座ってしまってはいないだろうか。
 ひとつの“女の分かれ道”は、まさにそこにある。腰をかけるその瞬間やってくる。いい女か、取るに足らない女かの分かれ道が……。
 もしそこで、まるで体重がないかのように、空から降り立つ天使の如くふんわりと、音もなく腰をかけられたら、“女の登場の仕方”としては、申し分のないものとなる。ともかく女は、さまざまな場面でいかに登場するか? それが何より重要なのだ。相手をその“美しい登場感”で瞬時に魅了すれば、すべての“会合”は“こちらペース”に持ち込めるはずだから。
 以前、まさしくホテルのロビーラウンジで、近くのソファに文字通り空から舞い降りてきた女性がいて、ハッと目をやれば、それは誰もが知っている美貌の女優。ホテルでレセプションでもあるのか、ドレスアップしているせいもあり、いやでも注目を集めてしまう。でもそうやって人目を集めていると、女の体は体重をゼロに見せることだって可能なのだと知った。
 ちなみにその人は、深めのソファにも、限りなく浅くヒップの一部をほんのわずかソファのへりにそっと置くだけという、腰かけ方をした。必然的に上半身はバランスを取るように少しねじられ、その分長い脚は、わずかにしどけなく斜め横に流された。計算か、習慣か、はたまた美人の運動神経か、一連の動きも含め、まったく見事な着席。そこにいた全員が、ふーっと見とれた。完璧な登場感だった。それからの20分間くらい、ラウンジの空気はその人ひとりのためにあった。
男は“座り姿”の美しい女と結婚したい
「女性のどんなところにいちばん魅力を感じますか?」以前、男性にこう聞いたアンケートの回答には、“仕草”に関するものが意外なほど多かった。“体のディテール”よりもむしろ“身のこなし”のほうが、男たちに熱く見られていたということなのだ。
 中でも目を惹いたのは、“座り姿の美しい人”と結婚したい……という回答。女として、何だかハッとした。確かに“座り姿”には、女のいろんなものが見えてしまっている、そんな気がしたからだ。
 そもそもが“座り姿”ほど、性別が露(あらわ)になるものもない。イスであっても、畳であっても、いちばん“女”が出る仕草。 それだけじゃない。 どう座るかは、“その人が今までどう生きてきたか?”を凝縮している。今まさにどう生きているか? も一緒に。
 電車の座席に座っていて、ヒザが開いてしまうことも、またフルコースをいただいている間中、テーブルの下で脚が組まれていることも、その人の生き方そのもの。目に見えないあらゆるものが、そこに見えてしまう。だから男は“座り姿”を見て、結婚相手を選ぶわけで、それはきわめて正しい選択なのである。
 そう言えば昔、授業中に教室を見渡すと、必ずひとりはオーラを放つがごとく輝いて見える、見事な座り姿の女生徒っていたもの。ただ、姿勢がいいだけじゃない。その子はたぶん全身全霊で先生に向かい合っていたのだろう。座り姿には、子供ながらに“生き様”みたいなものを反映させるのだ。だからその凛とした着席も、ちょっと見とれてしまうほどの力強さを誇っていた。“座り姿の美しい女”が美しい。それは女の人生において、じつに重い意味を含んでいるのである。
“居住まいを正す”は、 精神を整えること
 日本は昔“正座”という、精神修行のような座り方を習慣としていた国。そして少なくとも昭和の時代までは、一般の女性が皆、両手をヒザの上で重ね、脚をそろえて斜めに流す“淑女座り”を心がけていた国。
 しかし今の日本人にとって、座ることはむしろ“休むこと”でしかない。楽にくつろぐことでしかない。“所作”としてのルールをまったく持たなくなった。ひょっとしたらこの世でいちばん美しいかもしれない所作を、日本の女はこんなふうに捨ててしまって本当にいいのだろうか。
“居住まいを正す”という言葉があるように、日本人は時間とともに座り姿が乱れてきたら、布をたたみ直すように、自らを整え直すという習慣をも持っていた。それが単なる仕草にとどまらない、精神の四隅をそろえ直すような行為であること、知らずに年をとっていくのはあまりにももったいない。 もし、一日何十回と繰り返される“腰かける”という行為を、ひとつひとつていねいにやり直せたら、女はそれだけで別人のように優美に端正に見えるはずなのに……。
 スカートのシワをのばしながら、両手でヒップをなでるように座る“生活感あふれる姿”も、流れるように所作すれば、むしろ粋。ていねいに自分を整え直すように座れば、お尻をなでつけたことが逆に艶めかしさを生むのかもしれない。タクシーに乗り込む時も、辛そうに自分を押し入れるのじゃなく、腰を座席に収めてから、脚をあとからするりと車内にしまい込むというふうに、まるで踊るように所作すれば、女は恐ろしくゴージャスに見えるはずなのだ。
 日々、当たり前の所作を無駄にしてはいけない。女の格は、早い話がひとつひとつの身のこなしの“合計”で決まるのだから。
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