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波瀾万丈な人生を送る直木賞作家・佐藤愛子。人間関係の極意とは [おとなスタイル]

2018年03月04日(日) 10時00分配信

作家の佐藤愛子さん

おとなになるって、どういうこと?
何を知れば、自信を持って心地よく生きられるのですか?
激動の人生を、怒りと笑いで乗り越えてきた人気作家が指南する、人間関係の極意とは……?

作家・佐藤愛子さん94歳が最も苦労していた50歳の頃

インタビューの間も、仕事関係の電話はひっきりなしにかかってくる。そのたびに「ちょっとごめんなさい」と断って、しゃきしゃきと立ったり座ったりを繰り返す佐藤愛子さんは、とても94歳とは思えない。’16年に刊行したエッセイ集『九十歳。何がめでたい』は、この取材の時点でミリオンセラー目前だが、佐藤さんはこともなげだ。
「私が直接電話に出ると、皆さんすごく驚くみたい。“秘書をつけないんですか”って言われますけど、そんな大した作家じゃないのに“秘書”なんて恥ずかしいじゃないですか(笑)。
それに、たまたまこの本が売れたから今こんな状態になってるだけで、そうじゃない時もあるんだから。そのうちに静まりますよ」

88歳で書き始めた『晩鐘』を上梓した後、小説はこれで最後と思ったが、いざやめてみると軽い鬱のような状態に陥った。そんな時にたまたま現れた編集者に依頼され、軽い気持ちで始めた連載が件のエッセイだ。
「まだエネルギーが余っていたんですね、私はよくよく働き者なんだなあと思いましたよ」と、佐藤さんはからからと笑う。
「40代から70代くらいまで、ぶっ通しで仕事していましたから。44歳で夫の会社が倒産し、その借金を肩代わりして、来る仕事をひたすら引き受け、夜中まで原稿を書いて――次から次へと襲い掛かってくる事態と戦うことで精いっぱいでしたよ。嘆いている暇すらなかった」
背負った借金がいくらだったかはよくわからない。計算しなかったのは「考えると気持ちが悪くなるから」。
利息も刻々とついていくので正確に把握するのは難しかったが、肩代わりした当初で3000万円はくだらなかったようだ。

当時、佐藤さんが書いていた少女小説の原稿料は、原稿用紙1枚500円。引き受けたものの、返せるあてはまったくなかったという。
「今、住んでいる家は、その当時、亭主と私の母で折半して建てたもので、倒産の頃には3番抵当4番抵当までついていました。母は抵当をつけることを嫌がりましたが、夫の実家がお金持ちで“いざという時は本家が補償する”と言ってくれたので、しぶしぶ了承したんです。ところが倒産したら本家は、“借金のカタに家がとられたら、こちらの屋敷で一緒に暮らせばいい”と言い出した。
物書きの妻としてプライドも高かった母は、“なんで私が居候のように同居しなきゃいけないんだ”とすごく怒って。私は立場がなかったですよ。“抵当をつけさせてくれ”って頼んだの、私なんですから(笑)」

世の中が子供じみているのは、理不尽な苦労が少ないから

でも今になって思うと、この苦労が自分を育ててくれたのだと、佐藤さんは言う。状況を聞きつけてやってきた編集者の「この体験を小説に書け」という言葉に従い、彼女は1本の短篇『戦いすんで日が暮れて』を書きあげる。佐藤さんはこの作品で、’69年の直木賞を受賞する。
「もしこれがなかったら首をくくるしかなかった。賞をもらうとお仕事の依頼がすごくたくさんくるから、借金返済はずいぶん楽になりました。
“人間万事塞翁が馬”と言いますが、悪い事が良い結果を呼ぶことってあるんです。この苦労のおかげで、私は一人前の作家になれたんだから。
困難もプラスに切り替えることができるという経験をするとね、何が起きても嘆いたり悲しんだりしなくなるの。とりあえず目の前にある、できることから片付けてゆく。事態が好転するかどうかなんてわからないけれど、わからないことを考えてもしょうがないんですから」

破天荒な作家・佐藤紅緑(こうろく)の次女として生まれ、「次々と問題を起こす4人の不良兄貴」を持ち、戦争に取られた夫は戻った時にはモルヒネ依存症になっていた。それだけでも十分に激動の人生だが、そこに二度目の夫の借金が連なり、佐藤さんの人生は波瀾万丈としか言いようがない。
凡百の人間が語れば、恨みつらみに後悔や悲痛が漂いそうなその話を、佐藤さんはユーモアとともに語る。
「人間は苦労によってしか鍛えられない」という彼女の言葉には、経験に裏付けられた揺るぎない説得力がある。ちなみに借金は50代になる頃には完済したという。

「おとなってどういうものですか? って急に聞かれたって、そんなのわかりませんよ。ただ最近の人がいつまでたっても幼稚なのは、昔の人と比べて苦労の量が少ないからだと思いますね。時代が全く変わりましたから。我々の時代は満たされないことや理不尽なことが当たり前で、それに疑問を持ったとしても、どうすることもできず、ただ我慢することだけが美徳でした。とにかくガマン、ガマン、ガマンでね。だから自然に『我慢力』が身についた。でも今の人は、ちょっと辛い思いをしただけで文句を言いますね」

深く考えない人が多いと、いちいちうるさい社会になる

22歳で戦争が終わった時には、「これまで閉じ込められていた部屋がばーっと壊れたような解放感を味わった」。
佐藤さんにとって貧乏よりも辛いのは、自由に生きられないこと、言いたいことが言えないことだった。今はそんな時代でもないのに、多くの人は自分の考えを持っていない。“現象”に反応するだけで、考えない。
「例えば“子供が自殺した”というニュースが出れば、すぐ先生を批判する。実に簡単ね。子供はどんな子供だったのか、先生はどういう人だったのか、その先生の教育信念はどういうものか、いっさいわからないまま。マスメディアは、そこをちゃんと取材して伝えなければ、その悲しい出来事から考えを深めることができないじゃないですか。自殺という現象の、表面だけが流れ去るだけで終わってしまう。だから今の先生はダメなんだ、とか、親は何をしていたんだ、とかね。
私は新聞などの人生相談を読むのが好きなんですが、そんなこと、自分で考えて、自分なりの答えをだせばいいでしょう、と言いたくなる相談が結構ありますね。全体に、依存症がはびこっているような気がします」

物質的価値観がはびこる 今の「幸せ」にはお金がかかる

昔話の世界では、洗濯するためにお婆さんは川へ行き、おじいさんは火をおこすための柴を刈りに山へ行った。だが今は、スイッチをポンと押すだけで、あらゆることが留守中に自動的に片づいてゆく――。
「そりゃあ誰だって、余計な苦労をせずに暮らしたいと思うのは当然のことで、生活が楽になって、ゆとりができるのはいいことかもしれないけれど、それに馴れると、人間はだんだん怠け者になっていくんじゃないか、心配になります。
でもね、例えば私なんかは洗濯をしてそれを干すのが好きなんですよ。晴れ上がった青空の下で洗濯物を乾かす時、朝の光を浴びて、何ともいえない清々しい喜びを感じるんです。太陽の有り難さに感謝の手を合わせたくなる。そういう日常のささやかな満足は目に見えないけれど、心の養分になるような気がします。家事を合理的に、というのはたいてい電力に任せることだけど、そうしてできた余暇に美術館へ行くとか、友達とおいしいコーヒーを飲みに集まっておしゃべりを楽しむとか、そんな『幸せ』もあるし、洗濯をする幸せというのもある。人によって幸せの形は違うのは当然なんだけど、私のような大正生まれで戦中と敗戦を生きてきた者は、どうしても『お金のかからない楽しみ』というものをホンモノの幸せだと思ってしまうんです。

今は物質的価値観がはびこっていますから、今の『幸せ』にはお金がかかる。
本当は平和安泰が幸せの第一条件で、次に“楽しむこと”がくるはずです。 私たちは安泰なんて願ってもしようがないと諦めて、ふりかかる苦しい現実を生きなければならない半生を辿っていますから、こういうところで何のかのと意見を述べたって、しようがないんですよ。たいして役に立たないんです。そう思いながら、お役目だからしゃべっていますけれどね」

知識を詰め込む学歴社会で疎かになった「経験」と「知恵」

「人々が物質の充足を求めるようになったことから、高学歴を目指すようになりましたね。大きな企業に入るためにはどうしてもいい大学を出ていることが必要ですからね」
会社に入ってしまえば病気になっても給料は出るし、定年まで勤めれば退職金が出る。確かに、物質的安泰は約束されるけれど――。
「私みたいに一人で生きようとする者は、野垂れ死に覚悟でした。でも、大企業に入るための努力をするよりも、貧しくとも自由に生きたいと思う気持ちのほうが強くてね。もっともいくら入りたいと思っても、先方でお断りになるだろうけど……まあ、人間は自分の能力相応に生きてると何とかなるものですよ。
私はすべて経験主義でしてね。良い経験も悪い経験も多ければ多いほどいいと考えているんです。最高学府で勉強するのに精一杯で勉強以外の経験をする暇がなかったんじゃないかと思えるような人がいますよね。考え方が硬直してて、わからんチンになったりしてるけど、学歴のおかげで偉い人になってる。大学は中退くらいが丁度いいんじゃないかしらね。自分が学歴がないものだからそんなことを言うのかと、反省したりしますけど。
学校は知識を与える存在です。しかしそれだけでは知恵は育ちません。知恵は社会経験で身につくものです。社会経験―世の中の理不尽や矛盾や苦難や『人間というものの厄介さ』を経験することによって、諦めや我慢や疑問、人間とはどういうものか、生きるとはどういうことか、などと考えるようになって、それが知恵になるんだと思うんです」

怠け者は、生きる資格はないですよ

これ頂きものなんだけど、よかったら食べてちょうだい――と、差し出された小鉢には山盛りの大粒ブドウが載っている。佐藤さんはため息交じりに話しだす。
「最近の、種なし、皮のまま食べられるブドウなんだけれど、甘さが人工的なのね。本来、ブドウってもうちょっと酸味があるものなのに、これは甘いだけ。なぜ自然のままではいけないのかしら。きっと高価なんでしょうね。それを思うと腹が立つのよ。
この間、訪ねてきた人に、世の中がどんどん人工的になっていくことへの批判をして、このブドウの悪口をさんざん言ったんです。そうしたらその人が、帰るときにおずおずと差し出したのが、これだったの(笑)。
皮のまま食べられるし種もない、それが面倒じゃなくていい、ということなんだけど、たかが果物の皮とか種を面倒なんて言っている怠け者は、生きる資格はないですよ」

本来、人生というものは、昔ながらのブドウと同じだ。酸いも甘いもあり、皮や種を自ら取り除いて初めて、その実のおいしさを享受できる。幾つになっても尽きることがない悩みや困難を、嘆き、途方に暮れ、誰かが助けてくれるのを待つのは子供の在り方だ。
ひとつずつ自分で経験し乗り越えていくしか、何も身についてはいかない。

借金を抱えた佐藤さんの嵐のような経験には、まだ続きが――“大オチ”というべき驚愕の展開がある。
「ボンクラ亭主が言い出したんです。“このままだと借金取りはみんな収入があるお前のところに行くし、この家も取られてしまう。だから思い切って偽装離婚しよう”って。戸籍上だけの問題だし、すべて片付いた後に籍を戻せばいいんだから、まあいいかなと。
ところが私が籍を抜いた後に、こっそり別の女と入籍していたんです。こちらはそんなこととはつゆしらず、よせばいいのに夫が作った次の会社を支えようと、夜も寝ずに原稿を書いては貢いでいたんですからね」
こんな仕打ちに怒らない女性はいない。佐藤さんも当然怒ったのだが、それを書いた作品はユーモアに満ち、読者は本当にダメな夫を憎み切れない。
そこに“情”があるからだ。

「小説家の中には“読者を楽しませたい”と思って書いている人もいるでしょうけれど、私が書くのは自分のため。“人間をわかりたい”という一心なんです。あの時は憎かったあの人には、こういう思いもあったんだなと気づき、その人を許せるようになる、それが私にとっての書く意味ですね」

自分が正しいと思っていると、その自負心や感情が邪魔して、他人を理解するのが難しくなる。目の前のことしか見えなくなるけれど――。
「書くことは、深く考えること。だから、現実生活の中では見えなかったことが、見えてきたりするんですよ。いろんな苦労があったけれど、私は、書く人間になって救われました。この歳になっても、まだまだ書くことがあるのは、天職なんだなと、今頃気が付いています」

人を知り、人を愛し、人を許す。94歳で天職を語る作家の懐の深さは、私たちが目指したい、まさに“おとなの条件”の1つに違いない。
■Profile
佐藤愛子
さとうあいこ
1923年大阪生まれ。甲南高等女学校卒業。父は作家の佐藤紅緑、異母兄に詩人のサトウハチローがいる。’62年に作家デビュー。’69年に『戦いすんで日が暮れて』で直木賞、’79年『幸福の絵』で女流文学賞、自身の一族を題材に描いた’00年『血脈』の完成で菊池寛賞、’15年『晩鐘』で紫式部文学賞を受賞。『九十歳。何がめでたい』『佐藤愛子の役に立たない人生相談』など、切れ味鋭いエッセイなども人気。

■History
0歳…作家・佐藤紅緑(本名洽六)、元女優・シナ(芸名三笠万里子)の次女として、大阪市に生まれる。

26歳…このころ、文学を志す。翌年、同人雑誌『文藝首都』(北杜夫、田畑麦彦、なだいなだらが所属)に参加。処女作『青い果実』を発表、文藝首都賞受賞。

33歳…田畑と再婚。翌年、田畑、川上宗薫らと同人誌『半世界』を作る。

44歳…田畑の会社、倒産。多額の借金を引き受ける。債権者に追われ、原稿料が債務返済に消えていく日々が続く。借金返済のために多数のジュニア小説を執筆。「借金から身を守るための偽装離婚」という田畑の説得で離婚。

45歳…その体験を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞受賞。

65歳…『血脈』第一部を別冊文藝春秋に執筆開始。

76歳…『血脈』の完成により、菊池寛賞受賞。

91歳…作家人生最後の作品と位置づけた長編小説『晩鐘』を刊行、この作品で翌年、紫式部文学賞受賞。

92歳…『九十歳。何がめでたい』刊行、大ベストセラーに(2017年10月時点、98万部)

93歳…旭日小綬章受章。

 

 

『おとなスタイル』Vol.10 2018冬号より
撮影/江森康之

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