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話題の落語「何を聴いてもハズレなし」はこの落語家! [おとなスタイル]

2018年01月07日(日) 10時00分配信

イラスト/林田秀一

デジタルな現代に、今またブームの伝統芸能「落語」。
チケットは争奪戦、寄席の前には多くの老若男女が列をなしていることも。なのに落語はなんだか敷居が高い……と二の足を踏んでいてはもったいない!
初心者でも安心、無意識に笑ってしまう、落語の楽しみ方を達人に伺います。

〈教えてくれる人〉

広瀬和生さん
へヴィメタル専門誌『BURRN!』編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファン。ほぼ毎日、生の高座に接し、自ら落語会のプロデュースも手掛ける。『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』(講談社+α文庫)、『噺家のはなし』(小学館)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)など、落語関係の著書多数。

演目より演者。噺の面白さは落語家によって変わる

落語は、演者が目の前の観客に語りかける芸能だ。
伝統の中で受け継がれてきた様々な「古典落語の演目」は、単なる「容れもの」に過ぎない。そこに演者の個性や工夫といった「魂」が注ぎ込まれて初めて「生きた落語」になる。
知っている噺を何度聴いても楽しめる理由は、そこにある。落語は「作品を鑑賞する」のではなく「演者に会いに行く」芸能なのだ。落語家は皆それぞれ「自分の落語」をこしらえることに全力を傾ける。例えば『芝浜』という名作落語にしても「演者の数だけ『芝浜』がある」と言っていい。
だからこそ、「誰を観るか」が重要になってくる。
映画でも音楽でも演劇でも、傑作もあれば駄作もある。落語の場合、問題は演目という「容れもの」ではなくて「中身」、つまり演者そのものが「作品」と考えるべきだ。誰が演ってもつまらなかった演目が、ある落語家によって最高に面白い噺に生まれ変わった、ということも少なくない。逆に、教わった演目を何の工夫もなくただ反復しているだけで、せっかくの名作落語を台無しにしている演者もいる(というか結構多い)。
フラッと寄席に入って聴いた落語がつまらなかったとしても、「私には落語は合わない」と決めつけないように。
それはきっと、出会った落語家がつまらなかっただけなのだから。


「上手いけどつまらない」はありえない。
僕が考える、上手い噺家の基準。


落語は芸術ではなく大衆芸能なのだから、「落語が上手い」というのは「面白い」ということだ。もちろん落語に伝統的な話芸としての「技術論」が存在するのは間違いないし、その意味で「面白いけど伝統に則っていない」落語家もいる。それをどう評価するかは好みの問題だ。ただ言えるのは「上手いけど面白くない」というのはありえない、ということ。自分が演じる噺の面白さを伝えられることこそが落語家に求められる資質であって、歴代の名人たちも皆、何はさておき「面白い落語家」だったのである。

落語にとって、いちばん大事なこと。 誰を観る? かにあり

現代落語の最前線

古典落語の枠組みの中に、見事に「現代」を盛り込んで、昨今の落語ファン層の拡大に貢献している「現代落語の最前線」の演者たち。10年前の落語ブームを支えた談春・喬太郎らに数年遅れて台頭してきた彼ら(白酒49歳、兼好47歳、三三43歳、一之輔39歳)の活躍があればこそ、今の落語界の隆盛がある。特に、近年の一之輔の躍進ぶりは目覚ましい。4人とも何を聴いてもハズレなし、イチ推し!

桃月庵白酒
(とうげつあんはくしゅ)

三遊亭兼好
(さんゆうていけんこう)

柳家三三
(やなぎやさんざ)

春風亭一之輔
(しゅんぷうていいちのすけ)
新作派!

美学のカケラもない軽薄な若者口調の新作落語で旋風を巻き起こした春風亭昇太は、実は古典も新作以上に面白い。昇太と同じく女性ファンからの人気が圧倒的な喬太郎も古典との二刀流だが、爆笑派の昇太と異なりシリアスな人情噺も得意とする「振り幅の大きさ」が魅力。荒唐無稽な新作落語一辺倒の白鳥は稀代のストーリーテラー。百栄はコント風のマニアックな小品に独特な味わいがあって後を引く。

春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた)

柳家喬太郎(やなぎやきょうたろう)

三遊亭白鳥(さんゆうていはくちょう)

春風亭百栄(しゅんぷうていももえ)
多士済々、談志の弟子

誰よりも深く落語を愛した落語界の風雲児。「百年に一人の天才」と評されながら、あえて古典の王道を歩まず「伝統を現代に」活かす道を模索し続けた。若き日に「このままでは落語は能のようになってしまう」と危惧し、自らの活躍でそれを阻止した「落語中興の祖」。談志の前に談志立川談志 なく、談志の後に談志なし。

1983年に落語協会を脱退した立川談志が立ち上げた「落語立川流」からは、圧倒的な観客動員力を誇る立川志の輔をはじめ、「新世代の名人」立川談春、「談志イズムの継承者」立川志らく、「大胆な改作派」立川談笑といった魅力ある弟子たちが大勢育った。彼らの独演会は即完売、中でも志の輔のチケット争奪戦は激烈だが、「志の輔らくご」は最高峰のエンターテインメント、頑張ってチケットを取ろう!

立川志の輔
(たてかわしのすけ)

立川談春
(たてかわだんしゅん)

立川志らく
(たてかわしらく)

立川談笑
(たてかわだんしょう)
寄席の世界

歴史ある「寄席(よせ)の定席(じようせき)」は東京に4軒あって毎日営業している。寄席の世界を代表する「正統派の雄」が柳家さん喬。同世代の柳家権太楼(やなぎやごんたろう)、五街道雲助(ごかいどうくもすけ)、春風亭一朝(しゅんぷうていいっちょう)らも寄席の「顔」と言える存在だ。落語協会会長の柳亭市馬は、一般的にイメージされる「古典落語の面白さ」を理想的に体現する稀有な演者。コワモテの豪快キャラの中に潜む繊細さが魅力の橘家文蔵は「寄席芸人かくあるべし」という落語家だ。

柳家さん喬
(やなぎやさんきょ)

柳亭市馬
(りゅうていいちば)

橘家文蔵
(たちばなやぶんぞう)

伝統も「今が旬」に。時代が変わっても、生き続ける落語

落語は江戸時代から続いているという意味で「伝統芸能」ではあるけれど、決まった型をそのまま受け継ぐ「伝承芸能」ではない。
意外なことに、落語家は「師匠から落語を教わる」とは限らない。「三遊亭(さんゆうてい)」「柳家(やなぎや)」「立川(たてかわ)」「桂(かつら)」といった亭号の違いが示す「一門」という概念は、師弟関係を示す系統樹としては機能するけれども、一門の「お家芸」のようなものが一門だけで継承される、というのは極めて稀。落語家は一門の垣根を超えていろんな先輩から噺を教わり、それに独自の味付けを加えながら「自分の持ちネタ」とする。
江戸から明治、大正、昭和、平成と時代が変わっていく中で、それぞれの時代の落語家は皆、それぞれにとっての「今ここにいる観客」に楽しんでもらえるように、演目に様々なリニューアルを加えてきた。だからこそ、落語はいつまでも古臭くならず、「今が旬」のエンターテインメントとして生き続けている。
「今だからこそ面白い」落語を存分に味わおう。

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