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「腹六分の人付き合い」美輪明宏の考える“お友達”論 [FRaU]

2017年10月25日(水) 20時00分配信

Photo:Yoshinori Midou

衰え廃れると、人は醜くなるのだろうか。不道徳で不健全なことは悪だろうか。迷ったり苦しんだりすることは、愚かな行為なのだろうか ——? 美輪さんは、そんなすべての疑問に明確に回答する。答えはすべて「NO」であると。

良いことと悪いこと。幸福なこととつらいこと。美輪さんの人生には、正と負の出来事が、まるでシーソーのように交互に訪れた。“退廃の美”そのものである美輪さんが、今あらためて語る “人の世を生き抜く極意” とは?

FRaU 2017年 7月号掲載「美輪明宏が語る人の世について」インタビュー全文公開!
私の “お友達” 論

Photo:Yoshinori Midou

私の “お友達” 論

最近は、何かと「SNSでお友達が増えた」とかっていうでしょ? あれは、日本語の使い方としては間違っています。“お友達” じゃない。あれは単なる “知り合い” です。だって、相手の生活に入り込んでいるわけじゃないし、行き来して、助け合ったりしているわけじゃないでしょう? ただ、文字の上でやりとりしているだけだから、体温も雰囲気も醸し出すオーラも、もっといえばその人の人柄すらわからないまま、「会いましょう」となって殺されてしまったり……。単なる知り合いを、お友達だなんて錯覚を起こすからえらいことになるんです。

考えてもみてください。100人知り合いができたとします。困った時に助けて欲しいとか、どこかに一緒に出かけたいとか、あなたは色々都合のいいことを想像します。こういう時、人間は不思議と、いいことばっかり考える。まるで第九の合唱のように、みんな揃って楽しくできたらいいな、と。自分が100人に相談することは想像しても、100人から相談を受けるということは考えていないのです。

自分が病気になった時、困った時、失恋した時相談相手が欲しい。頼れる人が欲しいと思う。でも “お友達” 認定したら、向こうからもそう思われているということなのです。いけません。“正負の法則” を思い出してください。世の中、自分に都合のいいことばかりは起こりません。人付き合いは、親しき仲にも礼儀あり、付かず離れずの腹六分ぐらいがちょうどいいと、私は思っています。

もし、お友達でも恋人でも、同じレベルで、会話のキャッチボールができる相手と出会えたとしたならば、それだけでもかなりの “正” なる出来事。お友達の数を増やすことより、そうやって質の良い、いい影響を与えあえる人間関係を築けるよう、日々努力することが大切なのではないでしょうか。

Photo:Yoshinori Midou

「確かに昔の文化は洗練されていました!でも、感度の高い、若い世代にもまだまだ期待しています」

私が毎年やっている舞台の客層は、すごく広いんです。10代から、70〜80代まで。よくお見えになるグループの中には、96歳という方までいらっしゃって、その方はすごくお元気です。お客様の平均年齢が、20代後半から30代前半で、それが65年間ずーっと変わらないのです。ですから、ベテランの歌手の方のコンサートが、ファンが同世代ばかりだという話を聞くと、逆に驚いたりします。結局、ここにしかない雰囲気を生み出せているのが、そうやって常に若い人に興味を持ってもらえている理由なのかもしれません。

だから、いつの時代も、自分が生きている時代とは全く違う何か独特なものに惹かれていく若い人の感性は、素敵だなと思います。それに、最近は、世界レベルのアスリートや将棋の藤井(聡太)さんのような、飄々とした天才たちが続々現れていて、頼もしいです。スポーツでは、卓球の水谷選手、平野美宇選手でしょう。スキーの高梨沙羅さん、フィギュアスケートの宇野昌磨さん、体操の白井健三さんもすごい。みなさん大変な身体能力の持ち主で、加えてちゃんと努力もしています。

役者さんも、不良みたいな役者が姿を消して、斎藤工くん、福士蒼汰くんとか、若いのに端正でとても礼儀正しいので、お会いしてビックリしました。綺麗だなと思ったのは、千葉真一さんの息子さんの真剣佑さん。女の子も、石原さとみさん、新垣結衣ちゃんなんかは可愛いし綺麗だし、黒木華さんのような演技派もいて、この間対談した二階堂ふみちゃんも、すごくしっかりしていました。きゃりーちゃんも、この間、本の帯の文章を依頼されたので、「時空を超えた天才です」って書いたんです。

それぞれ、若くて健康的だけれど、退廃的な美についても興味を持ってくれているので、私が愛した文化が、若い世代にも受け入れられていることがわかって、それもとても嬉しいですね。

Photo:Yoshinori Midou

「シャンソンに退廃的な味付けをして美しさにまで昇華させた銀巴里」

秋のコンサートは、「美輪明宏の世界」というタイトルです。銀巴里時代のアトモスフィアを再現しようという試みで、私が元祖シンガーソングライターになる前、好きで歌っていたシャンソンとおしゃべりだけの構成にする予定。

銀巴里といえば、あの岡本太郎さんもシャンソンを歌いに来ていた場所です。岡本さんは、フランスに長くいらして、フランス語が達者だから「パリの屋根の下」なんかをすごく上手にお歌いになって。あの頃の雰囲気を、今の人たちは知らないでしょう? でも、どこかでそれを欲しているというのがわかるので、私が再現することにしたのです。

あの時代の空気が見直されるきっかけになったのが、私が2014年の紅白歌合戦で歌った「愛の讃歌」でした。あの歌唱がきっかけで、銀巴里の時代のことをもっと知りたいとか、実際に触れてみたいとか、いろんな反響があったのです。今までお付き合いのなかった大物芸能人の方から、「是非お会いして、お話を伺いたい」なんてラブコールもありました。

シャンソンは、今はもうパリでも片隅に追いやられているようだし、それを引っ張り出して、受け入れられる土壌は、もしかしたら日本の方があるのかもしれない。実際、今の日本の大衆音楽を耳にするにつけ、感度のいい人たちは、もっと綺麗事じゃない、気取りのない音楽を求めているのじゃないかと思ったりします。

銀巴里が賑わう前まで、世間でシャンソンは、随分気取った感じの音楽だと思われていました。なかにし礼さんが、エディット・ピアフの「愛する権利」という曲の私の訳を、とても褒めてくださったことがあります。「原詩よりも素晴らしい」と。人が人を愛することは罪ではないし悪でもないし、女と女、男と男、老人と若者、異国人同士が愛し合っても、人間同士が愛し合うことに変わりはない、という内容ですが、確かに、私の訳は、原詩にちょっとだけ筆を足しています。

越路吹雪さんの歌った「愛の讃歌」もレコーディングまで一日しかなかったらしくて、急遽、原詩の内容を無視して恋の歌にしてしまったそうです。日本にシャンソンが入ったのは、すべて宝塚経由で、娼婦の歌もすべて “清く正しく美しく” になってしまった。私の秋のコンサートは、ですからそのシャンソンを、いかに退廃的な味付けをして、美しさにまで昇華させるかがテーマ。私が青春時代を過ごした退廃美に包まれた空気感がどのようなものだったか。それを、是非肌で感じていただきたいと思っています。

PROFILE

美輪明宏 Akihiro Miwa
長崎県長崎市出身。シンガーソングライター、俳優、演出家。

 

●情報は、FRaU2017年7月号発売時点のものです。

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