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写真家・梅佳代撮り下ろし!ディーン・フジオカの魅力に迫る!! [FRaU]

2017年10月15日(日) 21時00分配信

NHK連続テレビ小説『あさが来た』の五代友厚役が好評で、今、人気急上昇中のディーン・フジオカ。日本より先に香港・台湾で活躍していたことから、逆輸入俳優とも話題だ。そんなオリエンタルな魅力を放つ彼を、FRaUはロケに連れ出した。

撮影したのは、飄々とした空気感と歯に衣着せぬ物言いで、被写体の心にすっと入り込んでしまう写真家・梅佳代。そのレンズには、普段は見せない、大人の男の少年のような表情がぎっしり詰まっていた。
2016年 2月号掲載インタビュー全文公開!

 
僕自身はもう少し引いた目で見ていて、やっとスタートに立てた

撮影/梅佳代

僕自身はもう少し引いた目で見ていて、やっとスタートに立てた

休日の朝の東京・青山。まるで散歩のようにフランクに、梅佳代氏と喋りながら歩く国民的俳優ディーン・フジオカさんに、多くの人が、「あれ、なんかあの人見たことがある」という思いと「まさかこんなフラッと歩いているわけは……」という思いが交錯したような視線を向ける。

しかしディーンさんは、気付かれようが気付かれまいが、お構いなしの様子。それどころか、寒いのか突然シャドーボクシングを始め、周囲の人に驚かれるシーンもしばしばあった。
これまで、台湾や香港など中華圏をメインに活動を続けていたディーン・フジオカさん。しかし日本での活動は少なく、国内ではほぼ無名の存在であった。それが昨年の秋からNHK連続テレビ小説連続ドラマ『あさが来た』に、主人公・あさを支える実業家・五代友厚役で出演するや、「あのイケメ
ンは誰!?」と一躍話題に。1月スタートの民放ドラマでも、主人公の相手役に抜擢されるなど、破竹の勢いだ。しかしロケでの気負いない行動と同様、その急激な変化を本人はいたってフラットに受け止めている。

「僕自身はもう少し引いた目で見ていて、やっとスタートに立てたかな、という感じです。むしろここからがもっと大変になるだろうし。だから今は、『あのときがあったから今がある』と思えるように、経験値を貯めていけたらなと思ってやっています。やはり中華圏は僕のキャリアの出発点でもあるので、そこにも届くように頑張りたいですよね」

そう語るように、ディーンさんのキャリアは、最近こそ日本でも活動するものの、スタートは中華圏だ。海外で活躍するようになったのも、そんな環境に起因するところが大きかったという。
漠然と、「IT分野で何か起業できたら」と考えていた

撮影/梅佳代

漠然と、「IT分野で何か起業できたら」と考えていた

「父は日本人なんですが、中国生まれなんです。家では両親とも日本語で話していたんですけど、たまに父親が『中国語で10数えたらお風呂から出ていいよ』なんていうこともありました。簡単な中国語は、幼い頃からよく耳にしてました。

それに我が家は、子供たちが英語を勉強する時間も設けられていたんですよ。父は海外での仕事が多かったのもあって、映画や音楽など日本以外のエンタメ作品もよく持って帰ってくれていたし、そうやって日本以外の文化に触れることは多かったんですよね。だから自然と視線が海外に向くようになって、それで大学はアメリカに進学したんです」
ただしそのときは、将来の夢に、俳優という候補はまったくなかった。漠然と、「IT分野で何か起業できたら」と考えていた程度だったという。

「うちは’80年代の、まだパソコンがほとんど流通していなかった頃から、モデム回線を引いているような家だったんですよ。ITに興味を持ったのは、そこが入り口ですね。でもそんなに具体的に何かを夢見ていたわけじゃなくて、ただ何となく、アメリカに行って自由になりたかったんです。誰かに雇われるんじゃなくて、自由に何かをしたい、と。それでITなら人より少し詳しいし、まだ若い業界だから上下関係とかなさそうだなと思って、選んだ程度でした」

撮影/梅佳代

ところが大学を卒業し、インターンシップも終えたところで、世界を揺るがした9・11が起こる。その影響もあってビザがおりず、アメリカに残ることができなくなった。ただしそこからは、切り替えが早かった。「だったら次に進もう」とアジアに目を向けたのだ。

「大学時代に、カーネルサンダースみたいな教授が『これからはアジアの時代だ』と言っていたのを思い出して。それに、アメリカにいても、味覚や細かなところで共感できるのは、やはりアジア人の友人だった。その彼らのホームである国に行ったら、どういう印象を受けるんだろう、と思って。僕は父も中国生まれだし、その謎解きもしてみようと思って、アジアに渡ったんです」
その時に旅していた香港の地で、雑誌編集者に声をかけられモデルの仕事を始めたことが、俳優の世界へ足を踏み入れるきっかけとなった。

「モデルをやっていると、ミュージックビデオなどにも出演する。そこで演技というものをしているうちに、『自分には演技へのパッションがあるな』と分かってきて。そこから映画のオーディションを受けて、本格的に俳優活動を目指すようになったんですけど、たまたま一発目に出演したのがインターナショナルな作品で。それを見た台湾のプロデューサーがドラマの仕事に呼んでくれたんです」
香港では、アジアを代表する映画監督ウォン・カーウァイの助監督として活躍していたヤンヤン・マク氏と仕事をする幸運に恵まれた。彼と毎日のように時間を共にし、演技だけでなく、フィルムメーカーとは何か、という根底的なことも学んだという。

「アート性にこだわる香港作品に対して、台湾はメインストリームのトレンディ作品が人気だったんです。だから台湾からドラマ出演の話をいただいたとき、少し迷ったのですが北京語での演技を経験してみたいなと思った。香港の友人たちからは、猛反対されましたけどね(笑)」

 
今年の目標は、“定住” です(笑)

撮影/梅佳代

今年の目標は、“定住” です(笑)

そこからの活躍は言うまでもない。台湾でも人気俳優となったディーンさんは、その後、インドネシアで音楽活動も始めるなど、まさにアジアを代表する俳優となった。そんな中でも、祖国・日本で活動することだけは「いつか機会があったらいいな、でも無理だろうな」と漠然と諦めていたという。

「日本は、ものすごく閉じた印象があって。というのも、香港や台湾で映画やドラマに出演すると、その作品はわりと中華圏全体で公開されるんですね。香港の作品なら、オーストラリアでも流されたりしますし。そこからオファーもいろいろな国からいただけるようになるんですけど、日本だけは、芸能界の扉が固いなぁと。だから2012年に『 I am ICHIHASHI~逮捕されるまで~』の話をいただいたときは、嬉しかったですね。まあ今思えば、敬語も下手だったし、日本の習慣を分かってない部分も多かったし、よくカタチになったなあと思いますけど」
日本での活動という想いが叶った今は、将来の目標をどこに据えているのだろう? 現在のディーンさんは、朝ドラの撮影のため日本に滞在こそしているが、自分がどの国の俳優であるか、限定意識はないという。

「ずっと、仕事があるところに住む、というスタンスでやっていますね。日本、台湾、ヨーロッパ……。そして家族はジャカルタにいますし。僕みたいな世界のあちこちで仕事をしている人間は、パーマネントトラベラーって言うんですよ。一年のうち、どの国にも滞在期間が183日に満たない人間のことを。

いろいろな世界を見させてもらってすごく貴重な経験になっているんですけど、正直、スケジュール的にも精神的にもしんどいですね。だから今年の目標は、“定住” です(笑)」

撮影/梅佳代

文化や習慣の違いを受け入れながら、世界で活躍することは、私たちが思っているほど生易しいことではないようだ。

「今でこそ、『いろいろやっていてすごいね』と言われるけど、変わっているということは決してプラスにばかり働くわけではありません。一皮剝けば、世の中はシビアだし。

実際、僕が若い頃は、海外に目を向けていることに対して『変わっているね』と一蹴されることが多かった。でもその後、アジア作品が世界に進出し成功を収めたりして、価値観が大きくアップデートされた。それって、エンタメの力によるものが大きいと思うんですね。だから僕自身も、こうやって活動した結果、後世に何か残せたらな、と思うようになりました」

撮影/梅佳代

今の自分についているイメージ以外に、どんな部分を見てもらいたいか。そう尋ねたところ、「変わっている人扱いをされて悩む人も多いと思うけど、僕を見て、人と違っていてもいいんだと思ってもらいたい」という答えが返ってきた。

「とくに日本の女性って、飲みの席になるとみんな一様にお酒を注いでいる。その姿を見ていると、大変だなーと思うんですよ。僕は海外育ちの妻の影響で、もう15年くらいレディファーストの意識でやってきているので、もっと女性が自由であれる手伝いというか、トリートができたらと思っています。

欧米の女性は主張が強すぎるという声もありますが、僕はそういうほうが好きですね。……日本の男性に対する印象ですか? みんな、とにかくオシャレですよね。だから自分ってだせぇなとプレッシャーなんですよ(笑)」
そう笑って締めくくったディーンさん。インタビューが終わると、おもむろに、「上手な自撮り法を知りたい」と梅佳代さんにコツを聞き始めた。

「ファンの方からよく、『一緒に写真を撮ってください』と言われるんですけど、そのときサッと自撮りができたら、スムーズでいいなと思って」
そんな、お互いの壁をさっと飛び越えてくるような距離の縮め方も、人種、国民性など様々な違いを超えてきた彼だからこその魅力なのだろう。今後、演技のほうでもどんな異色な一面を見せてくれるのか。私たちは今後も、ディーン・フジオカという俳優から目が離せない。
PROFILE

撮影/梅佳代

PROFILE

ディーン・フジオカ
1980年 8月19日生まれ。福島県出身。香港、台湾を中心とした中華圏で俳優として活動。2015年から日本でも本格的に活動をスタートし、『あさが来た』(NHK)、『ダメな私に恋してください』(TBS系)に出演。日本語の他に、英語、北京語、広東語、インドネシア語を駆使する国際的俳優。
●情報は、FRaU2016年10月号発売時点のものです。

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