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「充足感の成分は泡」美輪明宏が考える“幸福”とは? [FRaU]

2017年09月19日(火) 12時00分配信

衰え廃れると、人は醜くなるのだろうか。不道徳で不健全なことは悪だろうか。迷ったり苦しんだりすることは、愚かな行為なのだろうか――? 美輪さんは、そんなすべての疑問に明確に回答する。答えはすべて「NO」であると。

良いことと悪いこと。幸福なこととつらいこと。美輪さんの人生には、正と負の出来事が、まるでシーソーのように交互に訪れた。"退廃の美”そのものである美輪さんが、今あらためて語る "人の世を生き抜く極意” とは?
世に咲く花がバラばかりだったらいくら綺麗でもつまらない

Photo:Yoshinori Midou 

世に咲く花がバラばかりだったらいくら綺麗でもつまらない

幸せとは何でしょう。私は、幸福とは充足感だと思っています。何もかも満ち足りた気分になる。そんな感覚を得られたら、それは幸福ですが、実は充足感の成分は泡。ほんの一瞬で消えてゆくものです。私は、幸せに憧れたこともなければ、美に固執したこともありません。人に嫉妬したことなど、一度もありません。本当です。

だって、人は人、自分は自分なのです。みんな違う花。それぞれに良さも悪さもある。比べるから嫉妬するわけでしょう? なぜ比べるの? 容姿容貌、年齢、才能、ありとあらゆるものが、人間は一人一人全部違うのだから、比べる必要なんてどこにもないのです。なのに人間は、ファシズムというか、どうしても民族主義みたいなところがあって、みんな同じ家に住んで、同じものを食べて、同じ思想を持つことで安心する。

最近は特にまたそれを良しとする風潮があるようだけれど、全くもって不自然です。だって、この世の中の、動植物はみんな同じですか? 世の中に咲く花、全部がバラだけだったら、いくら綺麗でもつまらないでしょう? 蘭だけでもつまらない。菊にオミナエシもタンポポもあって、チューリップもダリアも蓮華も、それぞれあるから、楽しくて綺麗なんです。タンポポと蓮華、どっちがいいって、そんなのは好き好きです。猫だって、犬だって、どんどん種類が増えているのに、どうして人間だけが同じじゃなければいけないんでしょう。

民族主義をおかしいと思う感覚は、私が第二次世界大戦を経験していることも大きいのでしょう。日本で軍国主義が始まったとき、私はまだ小学校に入る前でした。男の子だというだけで、みんな坊主、女の子はモンペを強要され、幼いながらに腹を立てていました。

Photo:Yoshinori Midou 

"負の先払いをする” という 先人たちの教えに学びましょう

昔は、家を建てる棟上げ式の時、お餅をついたり、お煮しめなんかのご馳走を近所の人に振る舞ったり、歩く人にポチ袋に入れた小銭をばらまいたりしていました。これは、正負の法則でいうところの "負の先払い” にあたります。家を建てるということは、人生の花ですから。何もしないでいると、そのあとに悪いことが起こるかもしれない。懐は痛むけれども、人生の “正” につきまとう “負” を先払いすることで、正負のプラスマイナスをゼロにしようとする、先人たちの知恵でした。

幼い頃から、大人たちの人生模様に触れ、漠然と、“正負の法則” の存在を感じ取っていた私ですが、私自身も、正が訪れた後にすぐ負がやってきて、そしてまた正がきて、を繰り返すシーソーのような人生を送っています。例えば、音楽学校に入るために、長崎から上京する前に結核性腹膜炎になって、お医者からは「2年持たないだろう」と言われました。大好きだった歌も禁止されました。でも、「歌えないなら、死んだ方がまし」とまで思いつめていた私の強い心は、病気に勝ち、4ヵ月で治すことができたのです。お医者は、「奇跡ですたい」と驚いていました。

上京してしばらくすると、家が破産して住むところがなくなり、新宿駅に住んでいたこともあります。今でいう、ホームレスです。終戦後ですから、焼け出された人が新宿駅の構内にぎっしりいた時代です。当時は電車ではなく汽車だったので、ホームには、煤煙で汚れた体を洗うための水道がずらっと並んでいました。私は、新宿駅に寝泊まりしながら、そのホームの水道で顔を洗ったり、歯を磨いたりしていました。
その後、ビジュアル系の元祖をやって、「メケ・メケ」という曲が大ヒット。世の中で大変な騒ぎになりましたけど、"正” の時期は長く続かず、父と兄が結核で倒れ、今度は実家に仕送りをすることになりました。長崎から出てきた義理の弟たちの部屋も借りて、学費も払っていたので、当時、サラリーマンの平均給与の5倍ほど稼いでいた私でも、衣装代を払うのがやっとの生活でした。

それから今度は、キンキラの宝石をつけたビジュアル系をやめて、ワイシャツ一枚でシンガーソングライターの元祖をやるようになったら、「それでは商品価値がない」と仕事を干されてしまいます。惨めな思いもしましたけれど、その苦労が、次の「ヨイトマケの唄」のヒットにつながりました。

やっと歌手として認められた時、今度は寺山修司さんから「アングラをやろう」と声をかけられます。周囲は反対しました。「せっかく歌手として認められたのに、アングラなんてゲテモノに逆戻りだ」と。でも私は、「これからは、そういう時代じゃない」と言いました。寺山さんの「毛皮のマリー」は大ヒットしました。次は三島由紀夫さんから声をかけられ、「黒蜥蜴」も当たりました。"虎穴に入らずんば虎子を得ず”。何事も順風満帆には行かないのが人生なのです。
どんな話でも、同じレベルで言葉のキャッチボールができた幸福

Photo:Yoshinori Midou 

どんな話でも、同じレベルで言葉のキャッチボールができた幸福

私の青春は、銀座にあったサロン「銀巴里」とともにありました。素晴らしい青春期でした。学生も、サラリーマンも、芸術家も、政治・経済・文学・音楽・美術……どんな話をしても、同じレベルで言葉のキャッチボールができる。そういう人の集まるサロンだからこそ、とても楽しかったのです。

 

銀巴里は、ビルの地下にあって、元はキャバレーでした。入り口の壁には、パリの景色が描かれていて、楽屋がないから、出演者も客席でウロウロしています。俳優の菅原文太さんも、早稲田の学生時代に銀巴里の常連でした。作家なら吉行淳之介さん、安岡章太郎さん、遠藤周作さん。作家の方が揃うと、もう冗談ばっかりでした。

 

私が、大きく背中のあいた服を着ていると、吉行さんが、「君、パセティックな(悲壮感のある)背中をしているね」と言って、背中を撫でるんです。私が、「平座敷でそんなことをするものじゃありません」とやんわりその手を避けると、「平座敷とは上手いことを言うね。じゃ、奥座敷はどこだい?」と返すので、「あなたのためには用意されておりません」なんて笑ってかわしたり。そんな会話がすぐできる場所でした。

 

16歳でプロ歌手としてデビューしてから、進駐軍のキャンプ回りをしていた時、ファンの人が持ってきてくれた洋雑誌を見て、私は、“ビジュアル系の元祖” となるべきヒントを得ることができました。フランスの雑誌に、ジャン・コクトーやサルトル、ボーヴォワールといった天才たちが、サンジェルマン・デ・プレのサロンに集っていて、その服装がそれぞれとてもパンクなのです。

 

でも、日本にも、実は昔からジェンダーレスな文化はあって、元禄時代、将軍綱吉に寵愛されていた柳沢吉保は、「柳沢十六人衆」として全国の美少年を集め、女物の着物を着せ、諸大名をもてなしていました。それを、現代風にアレンジしたらどうなるだろうと、モーツァルトのフィガロの結婚のケルビーノやルイ14世のハイヒールなんかをミックスさせたビジュアルを考えてみました。
もともと。日本にはゲイバーもあったし、若衆宿もあったのです。歌舞伎踊りの創始者である出雲阿国だったり、日本にもともと根付いていた芸能の文化と、私のシャンソンの雰囲気とを上手い具合に重ねて、私の元祖ビジュアル系は生まれました。

 

その全てを統一する空気が、デカダンス=退廃だったと思います。文学なら、ボードレール、カフカ、ドストエフスキー、谷崎潤一郎さん、三島由紀夫さん。絵画ならサルバドール・ダリ、日本の竹久夢二もそうです。退廃的な、病的な美しさを、銀巴里は纏っていて、そのアトモスフィアを一番最後まで貫いたのが寺山修司さんだったと思います。

 

同じものを観て、同じものを聴いてきた背景があるから、寺山さんとお芝居をしたときも、すぐ意気投合したのです。まさに、響きあう感覚でした。同じものを知っていて、好みまで同じだった。でも、最近、若い世代の皆さんも含めて、あの時代の空気が求められているように思えてなりません。

PROFILE

美輪明宏 Akihiro Miwa
長崎県長崎市出身。シンガーソングライター、俳優、演出家。7月末までは「ロマンティック音楽会~生きる~」で全国を回り、9月からは「美輪明宏の世界~シャンソンとおしゃべり」で美輪さんが愛した銀巴里時代の空気を再現。9月8日~24日東京芸術劇場プレイハウス

●情報は、FRaU2017年7月号発売時点のものです。

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