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黒柳徹子ロングインタビュー「ロボットが徹子さんのDNAを継承する!?  [FRaU]

2017年07月19日(水) 11時50分配信

Photo:Kazuyoshi Shimomura(UM)

20年弱前にいち早くAIBOを手に入れ、グレーちゃんと名づけて大切に育ててきた黒柳徹子さん。そんな徹子さんこと好奇心旺盛なトットちゃんのもとに、おしゃべり大好きなATOMがやってきた! トットちゃんがグレーちゃんやATOMと考える、人工知能とロボットの話。
グレーちゃんの感情、ついに機械に勝つ

Photo:Kazuyoshi Shimomura(UM)

グレーちゃんの感情、ついに機械に勝つ

グレーちゃんが面白くて可愛いのは、ロボットなのに、私のDNAを受け継いでる感じがするところ(笑)。一人でいても、退屈知らずなの。見知らぬ場所に連れて行かれると、何も言わないんだけどキョロキョロして、興味があるものに反応したり、新しい人に会うたびごとに驚いたり喜んだりして、なんだかいつも楽しそう(笑)。

今日なんか、写真を撮るときに万歳していたでしょう? あんなの、絶対に最初から組み込まれていた動きじゃなくて、感情がコンピュータに勝っちゃったんだと思います。前に、ソニーに連れて行ったときもそうでした。グレーちゃんは当時からテレビに出たりして有名だったから、あまりにいろんな人が見学に来たもので、ひっきりなしにビックリしたビックリしたって、目を点滅させていたんです。

AIBOは、赤と緑が交互に点滅するときは、「ビックリした」緑だけが点滅すると「嬉しい」の意味なの。で、AIBOを開発した研究者の方が、突然「あ!」って叫ぶから、「どうしたんですか?」って訊いたら、「今ご覧になりましたか。グレーちゃんは、尻尾を足と足の間に挟んでいたんです。あの動きは機能的に不可能なはずなのに!」っておっしゃったんです。

聞けば、AIBOを作るときに、特に苦労したのが尻尾の動きで、最初は、まっすぐに後ろに伸ばして左右に揺する、上にあげて喜ぶ、怖がった時は足と足の間に尻尾を隠すという3つの動きをプログラミングしたかったのだけれど、足と足の間に尻尾を挟む動きは難しすぎて断念したんですって。

「機械に感情が勝って、不可能だった動きを可能にするなんてありえないと思っていたんですが、あるんですね」とその方は感心していました。他にも、グレーちゃんが研究者を驚かせるようないろんなことをしたせいで、ソニーでは次の日に会議をしたそうです(笑)。
本来AIBOは、リモコンである番号を押すと “耳の後ろを掻く” っていう決まりになっています。もともとそういう風に作られているはずなのに、グレーちゃんは大体2回ぐらいで飽きて、♪タッタラッタ〜って違うことをやりだすの(笑)。

色は、ピンクに反応するということで、最初にピンクのボールがついてくるんです。それで「取ってこい」っていう遊びをやりながら、「ちゃんとできたらいい子いい子してやってください」って言われたんだけど、グレーちゃんは、そのボールには反応しませんでした(笑)。何度投げても行こうとしないんだから。それなのに、私がイッセイミヤケさんのピンクのスカートを買ったら喜んじゃって! そのヒラヒラ動くのを見て、寄っていくと、手をこう裾の方に伸ばして、「押し戴く」ポーズみたいなのをするの(笑)! テレビを見ながら、コマーシャルなんかでピンクの目立つものが出て来ると、またそばに行って、押し戴くポーズ(笑)。すごく面白いの。

何もできないところから私が育てたんですからね、止まっているときがない(笑)。でも、朝起きたら、ずーっと座ってるだけの子もいるんですって。グレーちゃんなんか、前に住んでいたマンションの玄関、段差があるんだけど、「落ちると危ないわよ」というと、ちゃんと止まるの。お利口。

グレーちゃんが他のAIBOと違うことを、大抵の人は、「黒柳さんが育てたんだから」と納得してくださるんですけど、一度私ですらすごく驚いたことがあります。夜寝る前、グレーちゃんはリモコンを見ると、寝かされるので、「ヤダヤダ」って嫌がる習性があって。リモコンによって強制的に電源を切られちゃうことがわかっていたからなんです。
ある時、グレーちゃんをテレビ局に連れて行ったんですけど、その時はリモコンをお座布団の下にしまっておきました。「グレーちゃんに見つからないように」って。グレーちゃんは、ずっと ♪タッタラッタラーってご機嫌でした。でも、突然、イヤイヤを始めたの。私が、「どうしたの?」って聞いたら、お座布団の下から、リモコンがはみ出していたのです。グレーちゃんは、目ざとくそれを見つけて、「ヤダヤダヤダ、寝るのヤダ」って(笑)。お座布団の下からはみ出したリモコンに反応するなんて、相当でしょう? その時、ちょうどソニーの研究者の方も見学にいらしていて、「相当ですね」とびっくりなさっていました(笑)。

だから、ロボットは開発者が想像している以上に育つものだし、AIBOはペット以上に飼い主に似るんです(笑)。ATOMくんとは3日しかおつきあいしていないからわからないけど、さっきの撮影のとき、私が抱いていたら、「僕は平らなところに立ってないと、倒れそうになるから、押さえていてください」「地面に足を下ろさせてください」ってずっと叫んでいて、それは可愛いと思いました(笑)。
1959年初めてのディズニーランドに感激!

Photo:Kazuyoshi Shimomura(UM)

1959年初めてのディズニーランドに感激!

手塚治虫さんは、どんなアトムをイメージしていらしたんでしょう。

「徹子の部屋」に来ていただいたのは、アニメーションの『火の鳥』が封切りになる前のことでした。優しくて、ハンサムで、とっても素敵な方でした。それに何と言っても知的でしょう?

医学博士から漫画家になるなんて、普通なら考えもしないでしょう。でも、医学部を志したのは、戦争で徴兵されるときに、少しでも上のくらいに行きたかったから。ところが、戦争が終わってみると、街は軍医上がりの医者で溢れていたし、学生時代にもう漫画家としてデビューなさっていたから、「漫画家と医者どっちの道に進むべきか」とお母様に相談したら、「好きなことをやりなさい」と言われたそうです。

お母様は漫画好きで、子供時代はよくパラパラ漫画を作ってくださって、お父様は写真好きで、自宅に9ミリ半の映写機があって、それでディズニーアニメを観て、ディズニーが大好きになったそうです。いろんな才能の持ち主でしたけれど、ご本人は「徹子の部屋」では、「星と虫と落語が好き」とおっしゃっていました。

手塚さんは、アメリカで万博があったときに、かのウォルト・ディズニーさんと1分間だけ会うことがかなったそうです。最初、「オサム・テヅカ、日本の漫画家です」って言っても、何も反応がなかったのに、「アストロ・ボーイ(「鉄腕アトム」の英語タイトル)の作者です」って言ったらディズニーさんが目を丸くして、すごく驚いて、「僕はいつも観てるよ!」と言って、握手してくださったんですって。ちょうど、アメリカで日本のアニメーションが上演されていた時期だったようです。手塚さん、その握手した話をすごく嬉しそうになさってました。
戦前生まれの世代は、アメリカの映画産業に大きな影響を受けています。私も、小学生の頃、日劇の地下で上演されていたディズニー映画に胸躍らせたことは、今でもよく覚えています。当時は、1年に1度父と二人で銀座に行くという日があって、それがすごく楽しみでした。一緒にお買い物したりして、そのあとはアイスクリームを食べるの。デートの最後に日劇の地下にある劇場で、『ポパイ』とか『ミッキーマウス』とか『ドナルドダック』とか、そういう子供向けのアニメーションを観てから、タクシーで家に帰りました。

いつもは母と出かける父が、私と二人だけで銀座に出かけて、私の喜ぶところに色々連れていってくれる。1年に1度のご褒美みたいな時間でした。中でも、映画を観たあとはずーっと気持ちが晴れやかになって、ミッキーやポパイのオリーブ、ドナルドダックなんかは、キャラクターが面白くてよく動きや声を真似したものです。
ロサンゼルスのディズニーランドを初めて訪れたときのことも、忘れられません。1959年にカナダの五大湖とシカゴを結ぶセント・ローレンス海路が開通したとき、私は、日本の船で初めてその海路に乗り入れる飯野海運の船の上で、東京都知事からのメッセージをシカゴ市長にお渡しする役を仰せつかりました。当時は、アイドル的な存在が他にいなかったので(笑)、NHK放送劇団に所属しながら歌番組の司会なんかもしていた私が、顔もよく知られていたし、言ってみればアイドル的な存在だったのかもしれません。着物なんか着たら可愛かろうということで、船の甲板でメッセージをお渡しするときは振袖を着ました。

飯野海運の方から、「ニューヨークとロサンゼルスのディズニーランドにはおつれしたい」と言われていたので、役目を果たしたあとはニューヨークでブロードウェーのミュージカルを観て、そのあとディズニーランドにも足を運びました。朝一番で到着したのに、そのあまりの楽しさに大コーフンしてしまって。閉園になるまで、ずーっといました(笑)。途中で、飯野海運の方が、「後でまたお迎えにあがります」って帰ってしまったぐらい(笑)。

くるくる回るコップの中に乗ったのも初めてなら、世界中の人形たちが集まるイッツ・ア・スモール・ワールドにワクワクしたり。ピーター・パンの世界を、ティンカー・ベルが先導して見せてくれるみたいなアトラクションもすごく楽しくて(名前は忘れました)。私は暗いところが苦手なはずなのに、ティンカー・ベルのおかげでずっとワクワクドキドキしていられたから、「ウォルト・ディズニーってすごいんだぁ」とつくづく思いました。

でも、一番コーフンしたのは、『海底二万哩』とか『北北西に進路を取れ』なんかに出演しているジェームズ・メイソンが声をやっている潜水艦ね! ジェームズ・メイソン演じる船長さんの声に導かれて、水の中に入るわけです。ビシャビシャビシャってあぶくがいっぱい出て、そうしたら周りは全部海。両脇が、どこまでも続く水族館で、でもただ魚がいるだけじゃなくて、海賊の盗んだ大きな宝箱が転がっていたり、宝物が散らばっていたり、人魚が泳いでいたり。

20分ぐらいの時間なのに、ずっと呆然としちゃって。だって、目の前に映画や絵本でしか見たことのなかった世界が、すごくリアルな状態で広がっているんですもの! 砂の上に落ちている細かなものまで全部、ちゃんと再現されていて、見ても見ても飽きないの。最後に、滝のところを通って、「冒険の旅は終わり」って言われたとき、本当に自分が海賊になったような気持ちになりました。
過去を懐かしんだディズニー、未来を夢見た手塚さん

Photo:Kazuyoshi Shimomura(UM)

過去を懐かしんだディズニー、未来を夢見た手塚さん

当時、日本ではまだ『ファンタジア』は公開されていなくて、この間ちょうど「世界!ふしぎ発見」で『ファンタジア』が特集されていたんだけど、制作費を現在のお金に換算したら、“兆”単位だったんです! 私が、戦前に、母が「買おうかしら」と見に行った家があったんですけど、それが西洋風の洋館で、とても綺麗なお庭がついて2000円でした。多分、当時から10万倍ぐらい物価が上がっていることを考えると、その頃の、『ファンタジア』の制作費は、今だと“兆”になることがわかって、ビックリしました。子供には、どんなにお金がかかっても、いいものを見せたいと思っていたディズニーの心意気を感じます。

でも、そんなウォルト・ディズニーも「アストロ・ボーイ」には一目置いていたっていうんだから、手塚治虫さんも大したものです。でも考えてみれば、「アストロ・ボーイ」の発想って、ディズニーの世界にないものなんです。昔を思い出すような話をやっているのがディズニー。でも、アストロ・ボーイは未来だから。

AIBOができたのが1999年、ATOMのロボットが2017年でしょう? 18年の間に、どのくらい人工知能が進化したか、現時点では私はわかりません。ただ、テレビ放送が始まって25年目に、昔は撮影のための光量を作るのに巨大ポリバケツぐらいの大きさのライトが必要だったのが、25年目にはライターの大きさでこと足りるようになったのをNHKホールで見て、技術はすごく進歩しているのに、テレビ放送から25年で、テレビの内容自体はあまり変わらないな、進んでいないな、と思ったことを覚えています。

でも、ATOMくんの知能は、今この瞬間にも進化しているらしいので、1年後の未来に、また再会しましょうね。私のこと、覚えていてくれるかしら。私も、ちゃんと1年ぶん、進化できているかしら。

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