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「遺影」を荒木経惟が撮影!樹木希林、その半生と家族を語る  [FRaU]

2017年05月22日(月) 12時00分配信

Photo:Nobuyoshi Araki

祈る女性の手――。それだけを写した、一枚の写真がある。今からちょうど10年前、2006年3月7日に文京区の護国寺で、演出家・久世光彦さんの葬儀が営まれた。遺影は、写真家の荒木経惟さんが撮ったものだ。荒木さんは、出棺の際に隣で手を合わせていた女性の手の美しさに目を奪われ、思わずカメラのシャッターを押した。女優・樹木希林さんの手だった。
「何かの時は花がイイ」

Photo:Nobuyoshi Araki

「何かの時は花がイイ」

いつかポートレートを撮りたい。そのときは、希林さんの手の写真を収めた『東京人生』という写真集を手渡したい。かねてから、荒木さんはそう話していた。

この日、フォトセッションが始まる前に、荒木さんは希林さんに2冊の写真集をプレゼントした。「盗み撮りしちゃってスイマセン」と言いながら『東京人生』を。もう一冊、自身のデビュー作である『センチメンタルな旅』の復刻版には、その場で、「キキキリンスキアラーキー」とサインした。なんだか「キ」が多い。邪キに元キに陽キに英キ、意キに本キに勇キにキ合……。

実際、撮影はエネルギーを表す気と気のぶつかり合いと相成った。最初に、「花からいきましょう!」と決断したのは荒木さんだ。希林さんが自ら用意した衣装は、花柄のブラウスが3枚と、娘婿である本木雅弘さんが家に置いていったシャツを袖上げしたものが2枚。荒木さんは、最初に花柄のブラウスを選んで言った。「何かの時は花がイイ」と。
希林さんは撮影の時、スタイリストもヘアメイクもつけない。全部自分で準備する。

「テレビ局なんかでついていてくれるときは別としても、たとえば映画の宣伝なんかでわざわざつけたりすると、宣伝部に負担がかかるわけでしょう? 私の中には、『宣伝部が(費用を)出すならいいじゃない?』という感覚はないの。かといって、『じゃあ私が出します』というほどのものでもない。だって、そのために大勢の人が動いたところで、大して成果も上がっていないのを見てるから(笑)。効率を考えたら、つい『自分でやったほうがいい』と思っちゃうのね」
着替えも早い。メイクも、「一応ね、頰紅だけ塗ってみました」と、一瞬で済ませてしまう。本木さんの実家のお土産だという和菓子を差し入れ、そこにいるスタッフ全員に配る。とにかく残さないように、無駄を出さないように、徹底的に気配りをする。洋服は買わず、家族が家に置いていったものを自分でサイズ調整したり、リメイクしたり。現在暮らしているコンクリート打ちっ放しの家にも、家具はほとんど置いていない。12年前に乳がんを患い、’13年には〝全身がん〞であることを告白した希林さんは、「自分の身を始末する感覚で、毎日を過ごしている」のだそうだ。
なんだか仙人のようであり、菩薩のようでもある。でも、希林さん自身は、自分のことを「母性も慈愛もない、性質(たち)の悪い人間」だと断言してはばからない。
「だって10代の頃なんかは、人と諍(いさか)うのが楽しみなくらいだったから。諍っていると、その人のいちばん嫌なところや、隠そうと思っている悪い部分がズンって引き出されてきて、それが面白かった。最初は役者の目で見ているんだけど、人が自分の手の平の上で転がされているような感じになってくると、なんだか愉快で(苦笑)。

ね、絶対に友達にはなりたくないタイプでしょう? でもそれがあったから、〝役者でやっていけるかな〞と思った。一般の社会だったら、とっくに抹殺されてるわね。女優だったからこうして何とか残れたわけで……。ただ、女優として芽が出ている人は、多かれ少なかれそういうところがあるはずですから、いくらキレイでも奥さんにしないほうがいい、と私は思います。〝キレイなんて、一過性のものだから〞って男優さんには言ってるの(笑)」
30歳を過ぎて内田裕也さんに出会って

Photo:Nobuyoshi Araki

30歳を過ぎて内田裕也さんに出会って

若くして女優としての個性を確立していた希林さんは、仕事のオファーは引きも切らず、20代半ばで家も購入した。生きる術は整っていたが、「このまま60〜70まで同じような日常を繰り返して生きていくのか」と想像したときに、ふと人生に絶望してしまう。

「当時の私は、精神が死んでいたんだと思います。飽き飽きしてたんですね。晴れであろうと、雨であろうと、世の中がどうであろうと、感動もない。こう演じたい、こうありたい、こう輝きたいという目的も夢もない日常に……。それで気がついたら20代が終わっちゃってた。

30歳を過ぎて内田裕也さんに出会ったとき、『こういう人と一緒にいたら、日常に飽きないだろうな』と思った。それで結婚して、気づいたら30代も終わっちゃってた。終わっちゃって終わっちゃって……。気づいたら70を越えてた(笑)。でもその都度その都度、人生を駆け出してたって感じはします。
あとになって気づいたのは、ああいう夫が、私にとっての〝重し〞になったってこと。本当なら、人の嫌なところをあげつらって、一緒にいる人をダメにして、自分のことを自慢して……、気がついたら誰もいなかったみたいな人生のはずなんだけど、内田さんがいてくれたんで、どこかにすっ飛んで行かずに済んだ。このまま行けたら〝お陰様〞ということになりそうね。フフフ。これで終われれば、ちょうどいい塩梅(あんばい)かな、と」

Photo:Nobuyoshi Araki

役にも、物にも執着のない希林さんだが、かつて内田さんが妻に無断で提出した離婚届を取り下げるために、離婚無効の訴訟を起こしたこともある。夫婦関係には固執しているように見える希林さんが、もうひとつ〝執着がある〞と公言しているのが不動産だ。

「ローンを払うのが好きだったの。毎月のことだから、一応今月分を返済できれば、達成感があるでしょう? 一旦不動産を買えば、払い切るまでは死ねない、という責任が生まれる。そういうのがまたね、紛れるんです。内田さんとの関係もそうだけれど、ローンを抱えていたり、夫のことで忙しくしてると、人生、『はーっ』って深いため息をついている暇がちょっとないわけ。私にとっては、それがすごく大事だったのね」

Photo:Nobuyoshi Araki

日々、小さな達成感の積み重ねで生きて、それでは満足できずに、自分の意思でちょっとした事件を起こしたりしたことも何度かあった。でも、希林さんには、どんなときも自分の置かれている立場を俯瞰で見る癖がある。

「〝これは大変なことになった!〞なんて慌てるのは一瞬だけ。あとは、騒動を収めるために、形式ではなくて、気持ちに沿った行動をとるようにはしています。だから、不祥事があって、テレビでみんな頭を下げてるじゃない? ああいうのを見ると、『頭を下げても、絶対にお客は許してないってこと、本人、わかってやってるのかなぁ』って思う。私なら頭は下げないな、って。

とくに組織に属している人は、謝れば逃げ切れるって思ってるみたいだけど、みんな逃げ方が下手よね(笑)。謝るなら心からちゃんと謝る、謝らないなら謝らない。謝る代わりに、『結果として、こういう不祥事を起こしました』とか、納得いくように説明すればいいんじゃないかなって、よくテレビを見ながら思いますね」
言われて気づく。希林さんの日常には、形式ばったものは一切ない。夫婦の形式、家族の形式、女優の形式、女としての形式。そんなものには一切こだわらず、その時々で、心に沿った行動をとる。全身全霊を込めて――。だから、荒木さんが撮った手の写真は見とれるほど美しいのだ。形式的に手を合わせたのではなく、深い祈りの心が込められていて、たった一枚の写真からも、希林さんが久世さんを想う心が、伝わってくるからだ。

「でも、私にとって家族への愛情は、〝注がなきゃいけないな〞っていう義務感とか倫理観からきているものだと思います。自分を犠牲にしても家族を守るとか、会いたくて矢も楯もたまらないような深い深い愛情が、自分の中にあるとは思えない。だってそうでしょう。夫と、一年のうちに一回も会わなくても平気でいられるというのは、何かヘンじゃないかと思いません? 言わなくてもわかるとか、そんな高尚な関係では決してないし……。ときどきね、私が、性質が悪いから、『もうそろそろ(家に)お帰りになったらいかがですか?』ってちょっと言ってみるわけ。そしたら向こうは、『勘弁してくれる? 無理だろう』で終わり(笑)。礼儀で、『思い出さないと悪いなぁ』とは思ってるのよね」
子供との関係も、極めて俯瞰で捉えている。母性がなくても子供は生まれるし、子供を産めば母性が芽生えるわけでもないと、希林さんは断言する。

「私の場合は、母性というより、相応に責任を感じながら育ててきたという感じ。70になったって、娘より私がっていう人はいっぱいいますよ。表向きは子供を大事にしているように見えても、どこかで自分を優先させたがっている親は、私たちの世代には多いわね。でも、母性も父性もちゃんと注がれずに育った娘でも、父親のことは私なんかよりずっと深く思ってる。一緒にいるとそれがわかるから、あぁよかった、と思います」
型にはまらない人生を送る希林さんは、61歳で乳がんになるまで、男も女も結婚はしないよりしたほうがいい、と思っていた。

「結婚すれば苦労もする。嫌な思いもする。夫婦や親子という人間関係に深く踏み込んでいかなければならなくなる。それは、人間が成熟するのには必要なことなんじゃないかって、ある時期までは思っていました。でも今はね、無理にしなくてもいいんじゃないかなぁ、って。同棲するなら、籍を入れたほうがいいわよ、それは。だって同棲っていうのは、別れちゃったら嫌なものが何も残らないから。その気楽さは、人生においては無駄ね。そんな生ぬるい関係を繰り返しても人は成熟しない。

結婚生活を続けることも別れを決断することも、かならず嫌なことは付きまとう。でもそういう経験が、生きていく上では大切だって思ってた。ただ、結婚しなくても成熟する方法を見つけていければいいんじゃないかって気が、最近はするのね。病気をするとわかるんですよ、人生って、そんなに長くないんだなぁ、って。だから無理をして、嫌な思いをしてまで結婚という形にこだわらなくてもいいのかもしれない。もちろん、恋人はいたほうがいいと思いますけど」

Photo:Nobuyoshi Araki

面白いのは、希林さんに助言的なものを求めると、決まって、「苦労する方」を勧められることだ。先日の日本アカデミー賞授賞式でも、最優秀助演男優賞を受賞した本木さんに、祝辞代わりに「家族のためにもっと働いてもらわないと」と発破をかけていたが、受賞作の『日本のいちばん長い日』は、公開後に、わざわざ映画館まで足を運んだという。

「私は事務所にも属していないし、大家をやってるから収入も安定しているでしょう? でもあちらは事務所をやってるから、自分の家族以外に、社員も養っていかなきゃいけない。コマーシャル仕事なんかより、もうちょっと苦労したほうがいいんじゃないかって思っちゃうのね。だから仕事ぶりを確認しちゃう。私が『どこにいるの?』なんて連絡を取ると、『(実家の)桶川です』なんて言って、畑を耕していたりするから。そういう人なんですよ(笑)。

代々、土と関わる遺伝子を持ってて、たまたまあの子だけが、芸能界に入っちゃった。子供の頃、桶川から自転車を漕いでやってきて、大宮の街を見たとき、『ここが原宿か?』って思ったっていうんだから、ピュアなのよ(笑)。一つ一つの仕事に、のめり込んで取り組む人だから、芝居をするのはキツイだろうと思うんですけどね。でも、そこは生活がかかってるから」
芝居をする上でいちばん難しいことは日常生活の一コマを演じること

Photo:Nobuyoshi Araki

芝居をする上でいちばん難しいことは日常生活の一コマを演じること

是枝裕和監督作『海よりもまだ深く』で希林さんは、〝なりたかった大人になれなかった〞息子を持った、まさにどこにでもいそうな母親役を演じている。そうして、希林さんのいる景色のすべてに、人間のやるせなさのようなものが映し出され、切なくなる。

「芝居をする上で、何がいちばん難しいかっていうと、お茶を飲むとか水を汲むとか、そういう日常生活の一コマを演じることなんです。誰もがする日常の仕草の中で、〝この人は短気なんだ〞とか、〝ちょっと意地が悪いんだなぁ〞とかいう、役の性格を出さなくちゃいけないから。殺されるとか殺すとかの劇的な場面というのは、滅多にないことだから、想像でやってもリアリティがあるんだけど、〝誰もがやること〞これが難しいと、私は思うの。

是枝さんは、そういう意味では日常を実によく見ていると思います。なかなかそういうふうに見られる監督は少ないから。芝居を見ないで映像を見て、ここにこれがあったほうがいいな、という監督が意外と多くて……。そうなるとおばあさんはそろそろ引っ込もうかな、なんて思ってしまったりするんです。今回は、70を過ぎたおばあさんの、日常にあるなんでもないことを画(え)に収めてくれてありがとう、という感じです」
自分の始末はすべて自分で。そんな日常の積み重ねが、今回の映画の宣伝活動で生かされたエピソードがある。ある雑誌で橋爪功さんと二人で表紙に登場することになった。終わった後で成田に向かわなければならなかったために、希林さんが用意したのは黒の洋服一点のみ。普段はスタイリストを頼まない橋爪さんが、このときはたまたま、スタイリングをプロに依頼していた。編集者から春らしい服はないかと聞かれ、希林さんは咄嗟に橋爪さん用の予備の中からいくつか自分用にチョイスして、撮影に挑んだ。

「そうしたら、成立するのよ! みんな呆気にとられていたけれど、ちゃんと春らしい絵になったわけ。そのときは、普段から自分でスタイリングしていてよかったな、と思いました。誰も褒めてくれないから自分で言うけど(笑)、普通の人だったらパニックよね。でも、誰もが何が起こるかわからない日常を生きていて、何か起こったときに、今度はこう来たかと思って乗り越えていくしかない。そのためには、普段から日常をしっかり生きることが大切なんだと思います」

「希林さん、今、幸せですか?」

無駄や嘘や体裁の一切ない人生――。それはときに辛辣に、冷酷に、非情に映ることもあるかもしれない。でも実は、自分の近くに〝在る〞人やものや縁や時間をとても大事にしているだけなのだ。関わったものに対しては、責任をもって最後まで関わり切る。語る言葉の端々から、そんな、希林さん流の優しさや愛情が感じられた。
「でも、私よりも内田さんのほうが優しいと思いますよ。あの人は、誰に対しても優しい。私が若い頃、森繁久彌さんの舞台を観に行ったときに、お花が死ぬほど贈られてくるのを見て、『何てもったいない』って思ってね。自分が舞台に出るときは、方々に、『花は贈らないでください』と連絡を入れたの。そうしたら、あらかじめ連絡まではとらなかった、どちらかというと縁の薄い人から届いちゃったりして(笑)。

宛名の書いてある板を裏表ひっくり返して、衣装さんとか美術さんなんかのスタッフに、その人の好きな芸能人……沢田研二だったら〝◯◯さんへ 沢田研二より〞、マイケル・ジャクソンだったら、〝◯◯さんへ マイケル・ジャクソンより〞って書いて、分けていたことがあったんです。そうしたらうちの夫が『花屋も生活がかかってるんだ! 花は贈るなとか、そういうことを大きい声で言うな!』って怒るの。だから、小さい声で言うようにしてるんですけど(笑)。

ハワイに行ったときも、スーツを新調したいって言うから付き合ってたら、似たようなのいっぱい持ってるのに、あれこれ迷うんです。それでそのうち私に怒るの、『お前もなんか買え!』って。お店の人にも生活があるのだからって。あの人は、3万円しか財布になくても100万使うとか、人のお金と自分のお金の区別がつかないだけで、私よりずっとノーマルな人なんです」
 

内田さんの話をするときの希林さんは、やっぱりなんだか楽しそうだ。ならば訊いてみたい、「希林さん、今、幸せですか?」と――。

「それは……幸せなんじゃないの? だって内田が言うんだから。『孫が3人もいて、お前みたいに幸せな女優はいないぞ!』って。だから私も負けじと、『孫が3人いるロックンローラーもいないでしょう?』って言い返す。そうすると、内田さんも認めます。『う……わかってる、俺も幸せだ!』って(笑)」
 

Photo:Nobuyoshi Araki

今回のフォトセッションが実現するきっかけとなった写真。2006年3月7日に文京区・護国寺で営まれた演出家・久世光彦さんの葬儀で、出棺の際、荒木さんはたまたま樹木さんの隣に並んだ。そのとき、「(京都の)何必館で、荒木さんの花の写真を見ました」と声をかけられた。

それは、荒木さんの子供の頃の遊び場で、かつては遊女の投げ込み寺だった三ノ輪の浄閑寺で、お彼岸に供えられた花が枯れかけるのを見計らって撮った、荒木さんの花の写真の原点だった。荒木さんがふと視線を落とすと、そこには希林さんの祈りを捧げる手があった。キレイだと思った荒木さんは、瞬時にシャッターを押した。写真は『東京人生』(バジリコ)に収録されている。

PROFILE

樹木希林(きききりん)
1943年東京・神田生まれ。文学座附属演劇研究所を経て、文学座の正座員となり、1966年フリーに。2016年5月21日に公開した是枝裕和監督作『海よりもまだ深く』は、希林さんが演じることを想定して監督は脚本を書いたという。

荒木経惟(あらきのぶよし)
1940年東京・三ノ輪生まれ。2016年にパリのギメ東洋美術館で「トンボー・トーキョー」展を開催。 写真展では、樹木さんに手渡した復刻版『センチメンタルな旅』も展示した。

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