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落合陽一「世界中がディズニープリンセスに恋するワケ」 [FRaU]

2017年05月05日(金) 12時00分配信

最先端のメディアを通して、自ら “誰も見たことのない未来の世界” を現代アートとして提示し続けるメディアアーティスト・落合陽一さん。ディズニー作品のファンでもある “現代の魔法使い” が、ディズニーのプリンセスの魅力をクリエイターの視点から言語化する。
夢を持たない人のところに魔法使いは助けにこない

(C)Disney

夢を持たない人のところに魔法使いは助けにこない

ずっと昔に観たディズニーアニメ『シンデレラ』のある台詞が、少年だった落合さんの心に刺さる――。そんな記憶があるという。

優しかった父を亡くし、継母や義理の姉の召し使いとして働かされるシンデレラは、すべての年頃の娘が招待された王子様の花嫁選びの舞踏会のためにせっせとドレスを準備する。でも、出かける直前に折角のドレスを義姉たちにボロボロにされ、失意の中、「もう誰も信じられない」と嘆く。落合少年がグッときたのは、そのあとで現れた魔法使いの妖精が、シンデレラに向けてかけた言葉だった。

『うそおっしゃい、誰にでも希望はあるわ。信じることよ。夢(信念)を持たない人のところに、私は助けにこないのよ、でも来たじゃない』。

そう言って、妖精はシンデレラに魔法をかけます。夢と希望を忘れず優しい心を持って、前向きに生きていれば、きっと誰かが救いの手を差し伸べ、最後は幸せになれる。そんな『シンデレラ』のストーリーは、ディズニーランドの入り口にある『Where dreams come true(夢がかなう場所)』という言葉ともリンクしています。

ポジティヴで普遍的なメッセージだから、少年の僕にも刺さったし、100年後の人類が観ても、きっと感動すると思う。ディズニー映画のプリンセスって、白雪姫にしても、『リトル・マーメイド』のアリエルにしても、『美女と野獣』のベルにしても、ラプンツェルにしても、現実には存在しえないキャラクターです。でもそうやって、リアリティを徹底的に排除することによって生まれる様式美があって、それがとても普遍的なんです」
ディズニーのプリンセス映画が、時代や人種、世代や性別を超えて、世界中の人たちに支持されるのは、この “メッセージの普遍性” にあると落合さんは分析する。

「実写映画が目指すような、クセのある人間のドラマを、映画監督や脚本家の主観で描く、ということはしないですよね。ビジュアルもストーリーもテーマも、とことんまで深く掘り下げて、練り込まれて、作り込まれた世界で、どこで誰が観る場合でも、偏りがないように作っている。

だから、見る側もキャラクターと完全に感情が一致するわけじゃないけど、全部の場面でちゃんと感情移入できる。自分と主人公を同一視はしないけれど、場面場面で自分を置き換えて、共感できる作りになっているんです。

主人公のプリンセスに感情移入はしても、同一化はしない。そのギリギリのラインの気高さや心の美しさを、ディズニーのプリンセスは必ず持ちえている。日本人から見たらとても遠い存在で、ルックスにしても、ファッションにしても、立ち居振る舞いにしてもリアリティは感じられないけれど、こんなふうになりたいという憧れはある。誰もが理想とする姿だからこそ、永遠の憧れとして存在してくれるんです。

シンデレラなんて、70年近く前に生まれたアニメ映画なのに、その美しさや気高さ、ネズミや小鳥たちと仲良くやっていく気だての良さなど、プリンセスの魅力は今も全く色褪せないですからね」

※フラウ2017年5月号より一部抜粋

PROFILE

落合陽一 Yoichi Ochiai
1987年生まれ。筑波大学でメディア芸術を学んだ後、東京大学大学院を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年より筑波大学助教、デジタルネイチャー研究室主宰。経産省よりIPA認定スーパークリエータ、総務省より異能(inno)vationに選ばれた。最も好きなディズニー映画は1953年作の長編アニメーション『ピーター・パン』。

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