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“後悔する準備”していませんか?小説家 保坂和志「ご機嫌問答」 [おとなスタイル]

2017年04月04日(火) 09時00分配信

小説家・保坂和志さん

家を整え、人間関係も仕事も抜かりなく、おしゃれをしてニュースをチェックし、周囲から「素敵な50代」と言われる日々―。
でも、ときどき窮屈に感じること、ないですか?
小説家・保坂和志さんの作品世界は、あくまで自由。
記憶を愛いとおしみ、景色を眺め、愛すべき人々との会話を楽しむ。生きる仲間として、猫を慈しむ。
文章作法や世間の常識から解放されて、のびのびと物語を読むときの気分は、まさに“ご機嫌”。
ご機嫌な日々は、どこから生まれる?
そもそも、ご機嫌の正体とは?
頭と心をほぐす、機知に富んだ言葉の数々。
伺ったのは、ゆったりと時間の流れる午後でした。
「老病死」の年代を意識的に生きていく

たらればを言う人は後悔に酔っているだけ。

「老病死」の年代を意識的に生きていく

―最新刊の『地鳴き、小鳥みたいな』は、創作とエッセイの垣根を越えた、広々と豊かな短篇小説集。読んでいてしみじみと幸福を感じるのは、やはり書いているご本人が楽しんでいるからではないか、と思ったのですが……。

えっとね、楽しいんですよ。でも、楽しいというよりも「何かしている」という、一種の充実感かな。年を取ると、気がつくと何もしていない時間が多くて。以前はだいたい午前1時頃に寝ていたんだけど、今は家の猫の病気のこととかいろいろあって、4時くらいになる。2時を過ぎると翌朝早起きできなくなるから、それまでには寝ようと思って、12時あたりから歯を磨いたりして準備を始めるんだけど、気がつくと2時間くらい経っている。そういう感じ。
たぶん、立ち止まったりしているんだと思う。あとは、ついテレビを観たり、新聞の隅っこを読んだり、ネットを見たり……。とにかく「何をした」と思えない時間が本当に多いので、文章を書いている間は、確実に何かしているわけで、それだけでもうれしいし、喜ばしい。

―この10月に誕生日を迎えられて、60歳に。公式ホームページの掲示板で〈50代の10年間がとても長かった〉とコメントされていたのが印象的でしたが、なぜ〈長かった〉と?

いろいろあったから。いっぱいあったから。50代は、家の猫も、外で面倒を見ている猫たちも含めていっぱい見送ったし、それから親父も。

―お父さんは「それから」ですか。

あ、それは話の流れが猫だったから(笑)。まあ、気が気でないようなときや、「ああ、これが最期なんだな」と思う時間が、本当に長かったんです。

―「年を取ると1日が早い」といいますが。

1日は短いですよ。でも、振り返れば長い。50代の10年は、10代の頃の5年に比べれば、実感としてはもちろん短いです。僕は大学を6年かかって出るまで鎌倉の実家にいたんだけど、その間が20年。あんなに長い時代ってないよね。
40代の頃、エッセイ集のあとがきに〈夜寝る前の歯磨きをしているときにわかったのだが、ぼくは「明日」という日がくるのを待っていない〉(『アウトブリード』河出文庫)と書いたことがあったんだけど、子どもの頃って、テレビの放送日とかマンガの発売日とかが、勝手に向こうからやってくるじゃないですか。でも、40を過ぎると自分で何かしていないと何も来なくなっちゃう。しかも、自分でやらないとどうしようもないことばっかりだからね。介護をやっている人とか、振り返って短かったと感じる人もいるかもしれないけど、やっぱり長いはず。

―それに、「生老病死」といわれるうちの、「老病死」の年代ですから、あまり楽しくはない。

ああ……そういう考え方自体が、僕には、けっこう意外なんだけど。

―意外?

いや、どうも……根っこが、すごく明るいらしいんだよね(笑)。努力してそうなってる形跡もないから、説明のしようがないんだけど、猫の看病とか見送ったということとか、僕にとってはぜんぜん暗いことではないんです。
ひとつには、自分がやらなきゃしょうがないということ。これは、けっこう大事だったかもしれない。僕は、猫が具合が悪くなると、とにかく最善を尽くすんです。病気や薬について調べまくって、先生にもとことん相談する。そうすると、もうこれ以上はできなかっただろうという、ある程度納得できるところにいける。
「ああしておけば」「こうしておけば」と愚痴っぽく言う人って、実は後悔に酔ってるんですよね。親が死んだときに「申し訳ない」って言う人も多いんだけど、そういう人は親孝行をしてなかったり、親にキチッと感謝していない。親父が死んでも僕がぜんぜん平気だったのは、それなりにリスペクトしていたから。ちゃんとしていると、そんなに後悔しなくて済むんです。

―手は尽くしたいと思いつつ、日々の慌ただしさに取り紛れて……ということもあるのでは。

そこは、戦いでさ。仕事があろうが何があろうが、いちばん大事なことを優先させる。僕だって、猫のことで仕事を断るとかいろいろ不都合があったけど、「保坂さん、猫のことがあると仕事しないからなぁ」みたいな状態に、10年以上かかって持っていったわけだから(笑)。
仕事やっている間に猫が死んじゃった、じゃ、最善を尽くしてないでしょ。猫に対して。

―意識的でないと、忙しさに流されてしまう。

だからさ、その「忙しさ」ってぜんぜん嘘じゃん? 寝る前の2時間、ぼんやりするのと同じで、それをどうにかしようという努力がないという……。「忙しさに取り紛れて」とか「人との付き合いは避けられない」とか言う人は、後悔する準備をしているんですよ。

 

――やることは多くて、でも、毎日は慌ただしくて…… 。

「何もかも、自分でやらないとしょうがない。

でも、それが、けっこう大事なことかもしれない。

何か困難なことが起こったら、全部を引き受けて、

そのことに対して最善を尽くす。愚痴を言う人って、

後悔することに酔ってるだけなんだよ」
機嫌よく、できることを着々とやっていけば

「人生の残り時間が少ない」というのも罠。

機嫌よく、できることを着々とやっていけば

―つまり、保坂さんにとっての50代は、長くとも機嫌の悪い時間ではなかったんですね。

ぜんぜん。悪くなるのは、ベイスターズが弱いときくらい(笑)。今年はだいぶよかった。

―直球の質問ですが、「機嫌」の正体って、何だと思われますか。

えーと……僕の学生時代って’70年代後半なんですけど、その頃よく「私、鬱なの」って言う女の子がいて。でも、あれはただの気分なんだよね。共感や注目を得たかっただけだと思うけど、機嫌よくしていないと会う人に悪いじゃん?
それって、礼儀だと思うんですよ。あなたは友だちが大事なのか、自分が大事なのか。本当に友だちが大事だったら、友だちの前では笑って、みんな楽しい思いをしようよと。
50代って、死に対してブルーやグリーフ(悲しみ)を感じることが多くなるかもしれないけど、そういうときには宗教的な手続きというのがすごく重要で。僕、最初に飼っていた猫が死んだときは、月命日には毎月、墓参りに行ってたからね。朝、手を合わせて拝むとか、ごはんやお線香をあげるとか、そういう具体的で面倒くさいことをすることで、気持ちが救われるんですよ。
お見舞いや、お葬式に行くのも大事。今の社会って、あらゆる価値観が、ぜんぶ人を働かせるようにできているんだよね。でも、経済活動とか社会のルールとかのために、プライベートを黙殺すること、ないでしょ。逆だよ。

―自分と、自分の大切なもののために、きちんと時間を使う。でも、何だかわからないうちに過ぎる2時間って、不安ですよね……。

そのボキャブラリーが、いけないんだってば(笑)。最近、あんまり見かけなくなったけど、新興宗教の勧誘の人が、よく街角にいたじゃない? 「人生についてどう思いますか」「今、生きていて幸せですか」って。この、人生だとか、生きるとか、幸せとか、大きな設問を立てることが、間違いなんですよ。
生きるってことは、つまり、日常生活のひとつひとつをきちんとやること。料理を作る人は作るし、僕みたいに向いていないと思ったら料理はしない。でも、小説を書くのが向いているとか、猫の世話はできるとか、掃除は面倒くさいからやらないけど洗濯は好きだとか、生活を細かく分解していく。そうすると「人生とは」って問いは成立しなくなるんです。「50代をどう生きるか」なんていうのも全部、罠。

―では、やはりよく聞く「人生の残り時間が少ない」というのも……。

騙されてる。歯が痛いと一晩が長いじゃないですか(笑)。それと同じで、何かしようとしていると、ちゃんと長いんです。あのさ、小説家って、80くらいまで生きるんだよ。現役でさ。そうすると、それまでの時間を…… 60代の10年、70代の10年をどうやって乗り切るかというのは、本当に大変。むしろ、ぜんぜん短くない。

―確かに。短くない時間なら、よけいに安心して、機嫌よく生きたいです。

うん。……UFO番組をたくさん作ってた矢追(純一)ディレクターっているでしょ? あの人、何でUFOって言い出したかというと、都会の人に空を見上げてもらうためなんだって。

―そんなロマンチックな理由だったとは。

会社勤めの3年目くらいのとき、会社を辞めようかどうしようか考えたことがあって、朝まで酒を飲んで、始発で鎌倉へ向かって、駅から海沿いを歩いて実家へ帰ったんです。そのとき、海を見たら「ま、いいじゃん」って。海や山ってやっぱり、すごいんだよね。相当辛いことがあっても、見れば忘れられる。癒やされるとか、そんな弱いものじゃなくて、吹っ飛ぶ感じ。
海や山が無理でも、空はある。空を見上げるのは、人間が肯定的になることだと思いますね。

―好きな時間帯って、ありますか。

いちばんいいのは、夜明け。早起きが理想ですけどね。前は、秋になると夕方に暗くなるのが嫌だったんだけど、考えてみれば、夏だと暗くなったらもう7時過ぎでしょ。「あ、暗いけどまだ5時半なのか。ラッキー」って。

―本当によい生まれつきです。保坂さんにとって、猫は仲間? それとも庇護すべき相手?

『フォー・ウェディング』(’94年公開)っていう映画で、ある登場人物が死んだときの葬式で、イギリスの有名な詩人の言葉を引用して〈彼は私の北であり、南であり、東であり、西であった〉(W・H・オーデンの詩)とスピーチする場面があるんだけど、まさにそれですね。猫がいるから、僕に四季があり、時間があり、東西南北があり、喜びがあり、悲しみがある。

―猫がいるから、すべてがある。

そう。僕を支えるものであり、基盤なんです。

 
――人生の残り時間の少なさを思うと、焦ります。

「時間がない?  そんなの、?だと思うよ。

『人生とは』『生きるとは』『幸福とは』

なんて問いかけも、全部、罠。

きちんと生きれば、人生はちゃんと長い。

人生に対して肯定的になりたいときは、空を見上げること」
■Profile
保坂和志
ほさかかずし
1956年山梨県生まれ。のちに鎌倉市で育つ。’90年、『プレーンソング』でデビューし、’95年、『この人の閾』で芥川賞、『未明の闘争』で2013年度野間文芸賞を受賞。『草の上の朝食』『季節の記憶』『カンバセイション・ピース』『小説の自由』『考える練習』『書きあぐねている人のための小説入門』『試行錯誤に漂う』など著書多数。

 
『おとなスタイル』Vol.6 2017冬号より
(撮影/相馬ミナ)

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